『英国王のスピーチ』 トム・フーパー 2010

彼は彼だけにできる仕事を果たしたのです。
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もちのんさんよりリクエストいただきました。どうもありがとうございました。

 アカデミー賞作品ですね。わりと賛否が分かれているのでしょうか。英国王の史実に基づくものですが、歴史的事実に違いがあるんじゃないかなんてことも言われているようですし、英国王室という題材が題材だけに脚色にも気を遣うところがあったのでしょう。時は第二次世界大戦前、というきわめて政治的に不安定な時期を舞台にしており、それがゆえに評価が分かれる部分もあるようです。

 イギリス史や英国王室史に明るくないので、その辺のアレへの深い言及はまったくできぬのですけれども、まあ行きましょう。主人公はコリン・ファース演じるイギリス王ジョージ6世、劇中では即位する前の時期から描かれます。彼は吃音症を抱えていて、大事なスピーチの席でもうまく声が出せない有様。それをなんとかするのじゃい、というような話と、王位継承時のあれこれが描かれています。
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映画の時代は1930年代後半、戦争前夜のきな臭い頃合いですが、政治的な話は後半までほとんど出てきません。ジョージ6世が王としてスピーチをちゃんとできるのかどうか、に焦点が当てられています。
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 これはこの映画の作りとしては正しいと思います。というのも、王にとってスピーチはとても重要な行為だからです。裏を返すと、外国との政治的な駆け引きに王は参加できない。それは当然首相をはじめとする政治家の仕事であって、王が口出しすることではないわけです。「君臨すれども統治せず」なわけです。
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 ではなぜ王室が重要なのかと言えば、それは国家の権威の象徴、国家の伝統を代表するものとして大切なわけで、求められるのは威厳です。だからこそ、スピーチがとても重要になる。特にテレビもなく、ラジオしかない時代ですから、その存在を国民に示すうえではある意味今以上にスピーチが大事。劇中でもヒトラーが出てきますが、彼がドイツ国民から支持された大きな要因として、彼が演説の名手だったことが挙げられるわけです。実際の政治に携わることができず、それでいて国家の権威を示すべき立場にある王としては、スピーチの正否は死活問題だったのですね。
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 映画では第二次世界大戦の開始に際し、国民を勇気づけるスピーチを放送するところがクライマックスになります。で、スピーチがうまくいってよかったね、ということで話が終わる。宇多丸さんの評のリスナーメールでは、ここを怒っている人もいるようです。今から戦争が始まるってのに、そんなのんきな結論でいいのか、ということのようです。
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 うーん、そこはどうなんだろう、うーん。
 じゃああのときの彼に何ができたのかってことですけど、王には政治的権限なんかほとんどないに等しいわけでしょう? あのとき反戦のメッセージを放っていればよかったのか? 彼の立場ではそれはできなかったでしょう。ナチスやファシスト党のような勢力がばきばき出てきているときに、反戦を訴えたってしょうがない状況があったわけで、その中で彼に尽くせるベストはもはや、スピーチを立派に遂げる、そうしてイギリスの人々を勇気づけることしかなかったんじゃないかと思うんです。それは人々を戦争に駆り立てる行為だ、というかもしれないけど、じゃあどうするんだって。ナチスみたいなとんでもないやつらが明らかに脅威的になっていて、協定結んでも破ってきて、形式上は軍の最高司令官だとしても実質は何もできない王に、何ができたのか。それでも反戦メッセージを訴える? 言うのはたやすいけれど、そんなこと言い出して国に混乱が起きている間に攻め込まれて殺されるぜ?  フランスだけで南北からのファシズム勢力を迎え撃たせればよかったの? イギリスがいたってフランスは占領されちゃったわけで、交戦しないのにも無理があったでしょう。ジョージ6世についての細かい話はそんなに知らないけれど、彼は彼のベストを尽くしたんじゃないのでしょうか。それは今振り返れば異論はあるかも知れないけれど、そのときその時代のその立場の人間じゃないんだから、わからないって。

 王は前線に出るわけでもなく、安全地帯にいるというかもしれないけど、そんなことはないでしょう。国家の威信を背負う立場です。政治家みたいにやめれば済むわけじゃないし、いや、やめることは形式上できたかも知れないけど、父が死んで、その後即位した兄貴が変なやめ方しちゃってるから自分まで立て続けになんて絶対できない。そいつだけが背負っているもんってのがあるわけで、安全地帯でも何でもない。ある意味、最前線です。彼は彼なりに、国家の威信を守るっていう仕事を果たした。その後の戦争うんぬんとは別の話です。
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 もちろんこのときの状況は日本とは無縁ではないし、だから日本人としてこの映画のスピーチにいい評価を与えるのはいかがなものか的なこともわかるんですけど、じゃあ三国同盟を結んだナチスドイツの側に立った映画ならいいのかっていうとそんなわけもないし、むしろこれはどちらの立場でどうのではなく、国家の威信を守らんとして、自分にできることをやり遂げようとした人の話として観たほうが、実りがあるんじゃないですかね。そのとき、吃音症の克服は個人レベルの小さなものではなくなります。死活問題たるスピーチの前に立ちはだかる、大きな大きなものなんです。そういう立場のことを考えることなんて日頃ないわけで、この映画を観た甲斐もあるというものです。国家というものを大事に思う人ほど、この映画の意義は感じられるんじゃないでしょうかね。単に吃音症を克服した感動話だって観るのは、いくら感動したとしても矮小化しすぎでしょう。
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 言語療法士を演じたジェフリー・ラッシュとの掛け合いのテンポよく、飽かずに観られました。実際の細かいところには違いもあるようなんですが、この映画で彼が免許も資格も何もない男として出てきたのはいい対比になりました。彼は第一次世界大戦で、今で言うPTSDを発症した兵士たちの治療に努めた過去があるという話をして、ここなどは権威あるが経験のない王と、権威は何もないが経験のある男のコンビという対照的な関係があってよい。ヘレナ・ボナム・カーターの存在感もちょうどいい。
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 なんか戦争がらみの拙い議論を展開してしまい、聡明な方から叱責を受けそうで怖々しているところもあるのですが、ぼくはこの映画はよいと思いました。映画自体のレビウにしては映画からそれすぎている感もあるやもしれないのですが、映画自体よりもそこから膨らませられることを考えることに今のぼくの力点はございまして、まあアカデミー賞ですしレビウはそこかしこにあるでしょうし、ご勘弁願いたく存じます。
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by karasmoker | 2012-05-23 22:00 | 洋画 | Comments(0)
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