『戦争のはらわた』 サム・ペキンパー 1977

戦争の悲痛さや愚かしさよりも、虚しさを感じました。
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原題『Cross of Iron』
 町山さんがオールタイムベストワンにしていて、サム・ペキンパー監督で、ずっと前から観ようと思っていた映画なのですが、新しく発売されたDVDの字幕がひどいという評判が定着しているようで、敬遠しておりました。ツタヤで発見したので借りました。

 字幕は確かに不自然というか、最適な訳とはかけ離れているという印象でありました。「誰々が、誰々が」みたいな主語の連続が随所で出てきたり、自動翻訳みたいな箇所があったりなどして困ってしまい、英語の聞き取りも不十分な身の上とありまして、細かい部分はたぶんよくわかっていないのだろうなあと思います。
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 また、観る前に歴史についてもう少し覚えておくべきだったなあという箇所もあり、観終えてから方々の解説サイトを回り、なんとか意味がわかったぞみたいなところもあるため、今日はいつも以上に底の浅いことしか書けそうにありません。とても細かく批評しているサイトなどもいくつもあるようなので、そちらに行くべきであります。なんとなく知りたい人だけ読めばよいのです。

 第二次世界大戦の、ドイツとソ連の戦いの一幕を描いた作品です。しかし、戦時下のドイツと言ってもこの映画では、ナチスの影はかなり薄いというか、ナチスに反目するドイツ軍人が主人公なのです。主演はジェームズ・コバーンです。

邦題からはわかりませんが、原題は『Cross of Iron』といって、鉄十字勲章を指します。これはプロイセン王国時代から続くドイツ軍の勲章だそうで、ナチスの鉤十字などよりずっと由緒あるものなのです。この原題からして、非ナチスの映画、ドイツ軍人が全員ナチスの手先だったわけじゃないんだぞというのが示されています。

 サム・ペキンパーの映画はこれまで8作くらいは観ているのですが、大体において特有の「もったり感」があります。他の映画にはない、「もーん」とした感じがあるのです。なんというか汗臭く土臭く、砂まみれで乾いたような印象を与えるのです。この映画もまさにそうで、独ソ戦の様子が美化ゼロの風合いで描かれています。
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両軍の戦闘シーンは『ワイルドバンチ』でも観られた高速カットで描かれ、くらくらさせられます。何が何だかわからなくなってくる、というのがそのまま当てはまります。特に本作の場合、両軍の見た目をわかりやすく分けたりなんてことはないし、どちらも土と泥で汚れているような状態ですから、わわわわわと圧倒させられるのですね。これは戦争シーンの描写としてとても正しいと思います。何が何だかわからないままに敵がやってきて味方がやられて敵を殺してまた味方がやられてという極限的な状況は、むしろ「何が何だかわからない」からこそ写実的に描かれていると思うのです。観客に臨場感を与える演出として大変効果的であるなあと感服いたします。
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 主人公のコバーンと対比的に描かれるのはマクシミリアン・シェル演ずる上官で、彼は勇敢なコバーンとは対照的に、自分の勲功にこだわりながらも決して力強くない存在として出てきます。コバーンと彼がCross of Ironそのものについて語る場面は印象的で、コバーンは勲章など要らないと言い、一方でシェルは十字勲章を尊んでやまぬのです。
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シェルは貴族出身の軍人として出てくるのですが、この辺もこの映画が非ナチス的な軍人たちの物語として生きてくるところですね。そもそもナチスは労働者たちに支持されて台頭してきたのであって、かつての帝政のもとで重んじられていた貴族としては、あまり気分がよろしくない。伝統あるドイツ国防軍もナチスの下に位置づけられてしまい、それでもなお、貴族として、軍人として勲章がほしい。この、階級や所属と一体化してしまった自己像というのは、決して遠い国の昔のものではないと思うのです。
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 コバーンはそれに真っ向から相対する。彼は彼でナチスを嫌っていて、だからいっそう立ち位置が微妙です。彼が戦う相手はソ連で、自分はドイツの側に属しているのだけれども、かといってナチスのために生きることなどできず、軍のために生きることもできず、勲章で自分を誇るような生き方もできない。妻に「あなたは戦争が好きなんだわ」と言われても何も言わず、怪我が完治せぬままに戦場に出向く。彼は彼で何をどうして生きればよいのかわからずにいるように思えるのです。疲れ切ったようなあの表情からも。
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 とかく戦争には愛国だなんだと大義がつきものですが、この映画はそんなものを唾棄しているように見受けます。勲功は馬鹿らしいし、国を仕切っているやつらはもっと馬鹿らしい。戦い抜いてはみたものの、味方と思っていた連中が自分に銃を向けてくる。映画公開はベトナム戦争が終わった後のことで、ペキンパー流の反戦の表現が絶品なのです。サイトを巡ると、この映画は反ナチスの映画だ、と書いているものがあったのですが、違うでしょう。ペキンパーがこの時代にわざわざ反ナチスを撮る必要はないし、だからこそこの映画ではむしろナチス色はとても薄められているのです。ナチスというわかりやすい悪役をあえて脇に置いたことが、この映画をより強いものにしているのです。

だからラストに、ドイツの劇作家、詩人のブレヒトの警句が置かれるのです。

Don't rejoice in his defeat, you men
 For Though the world stood up and stopped the bastard,
 The bitch that bore him is in heat again

"the bastard"とはヒトラーのことでしょうが、この警句の要点は、「ヒトラーは死んだが、彼を生み出したものはまた首をもたげているぞ」ということで、なるほどまさしく米ソは戦いを始めるわけです。そして「彼を生み出したもの」は、今もなお生きているわけです(蛇足ですが、それは特定の国家や団体ではあり得ません)。
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戦争の悲痛さとか愚かさとかそういうものよりも、強い「虚しさ」を感じさせる映画でございました。
反戦映画の金字塔としては、語弊を承知であえて言うなら、『まぼろしの市街戦』が愚かしさを、『ジョニーは戦場へ行った』が悲痛さを、そしてこの『戦争のはらわた』が虚しさを顕現しているように思います。
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by karasmoker | 2012-11-02 00:00 | 洋画 | Comments(0)
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