『RIVER』 廣木隆一 2012

この映画はこういう風に観る。あるいは、ぼくたちと社会との関係について。
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昨年、ネット上で概して評判がよくなかった印象のある作品。ナイトウミノワさんがぼろくそに書いていたのが印象に残っていて、じゃあ観なくていいかなあと思っていたら、宮台真司が監督とのトークショーで肯定的な評価をしていたのを知って、うむ、こういう評価の分かれる作品は大好物だぞ、というわけで、『RIVER』。

 2008年の秋葉原通り魔事件をもとに着想したという映画です。主人公はその事件で恋人を亡くしたという設定の女性で、彼女が秋葉原の街をとぼとぼと歩く長回しの場面から幕を開けます。
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 といっても、事件のことについてはほとんど触れられないんですね。だから海外の人とかには何のことかわからないと思います。劇中では「あの事件」的なことでしか言及されず、事件の様子なども何も描かれず、観ている側の了解に委ねられている。

 悪く言えば、「あの事件のことを何も描いていないじゃないか」とこうなる。ただ、ぼくがそこで気になった点として、「あまりにもあの事件のことを描かなすぎている」というのがあります。この映画では本当にあの事件のことが何一つ描かれていない。ここまでやっていると、これは意図的な選択じゃないかと思うんですね。
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「実際の事件に誠実に向き合っていないんじゃないか」的な意見もわかるんですが、ぼくはそこで立ち止まる。じゃあ、事件に誠実に向き合う、あるいはそれを映画化する、それは一体どのような作法で果たされるべきなのか。ぼくにはよくわからなくなります。

 実際の事件をもとにした映画というのはたくさんありますね。たとえばわりと記憶に新しいところだと園子温監督の『冷たい熱帯魚』。あれは実際の愛犬家連続殺人事件をもとにしているわけですけど、あれはどうなのか? 細かい取材はしたかもしれないし、よくできている映画かもしれない。でも、そういう問題なのか? ぼくを含めあの映画を観た多くの人間は、「でんでんサイコー」的な感想を抱いた。でもちょっと待てよと。あれは本当の連続殺人犯がモデルだぞと。それをもとにした映画キャラクターに「最高!」って何だよと。それこそ実際の被害にあった人、遺族の人は、世間が「でんでんのあの殺人鬼はすごい迫力だね!」なんて言う言葉に、いい気持ちが絶対しないだろうと。それってどうなの? という問題がどうしても気になってくる。

 そう、土台事件と関わり合いのない人間が、誠実に向き合うとか綺麗事を言っても、たかが知れている話です。取材を綿密に行った、だから何だという話です。被害者に寄り添う? どのみち綺麗事。実際の事件をエンターテインメントに! マジで言ってるのか?
だったら、あえてその事件には深く触れない作法があり得てもいい。それはそれで事件に関する向き合い方の一つだろうと思ったのです。

 だって、所詮そうじゃないですか? ぼくたちは世間の痛ましい事件を見知るたびに心痛めたり何なりを繰り返す。でも、そのニュースが終わったらいつしか忘れて、自分の楽しみにうつつを抜かしている。街の風景は見事にその様を映し出している。ぼくたちは所詮、そういう存在です。であるならば、「ほんのいっとき誠実に向き合う」ことはそれもまた欺瞞かもしれない。であるならば、触れられぬものには触れない、しかしその周縁にたたずんで見えるものはきちんと見よう、というあり方もあっていいはずです。

 この主人公は恋人が好きだった街、恋人が死んだ街である秋葉原を彷徨する。何をどうしたらいいのかわからないままにさまよう。その中でいろいろなものに触れていく。ただ、どれを取っても自分の求めているものではないと知らされ続ける。世間は「おまえの傷なんて知らないよ」とばかりに動いている。だからこそ冒頭の長回しの最中、「街を作品にしているの」的な女性は彼女の傷に触れた瞬間、大いに戸惑い、寄り添うのをやめてしまう。
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登場する人物や場所にもそれなりの意味があるように思いました。メイド喫茶の様子を見てぼくは、「ああ、ここは幼稚園プレイを楽しむ場所なのだな」と思い至ったのですが、あれは現実の街を流離する彼女が触れる場所として、面白いと思いました。それと、なんか優しげな甘い歌を歌ってやがるな、というストリートミュージシャンの女性。その女性と主人公が川辺で話をする場面があるんですが、ここは笑ってしまった。なんてお花畑なことをだらだら喋っているんだろうって。そう、この映画では、自分がどう進むべきかわからずにいる主人公が、いつまでも現実に触れられずにいる様を、街の様子を通して描いているのです。彼女は現実に触れながら、「これは現実じゃないだろう、これも現実ではないだろう」という気がしてしまう。あるいは、現実自体がかなりしょぼくれたものであることを知らされてしまう(田口トモロヲの役はその象徴でもある)。
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そうやっている中に一人の青年に彼女は出会う。そして彼の故郷が震災の被災地であることを知らされる。これをきっかけに、彼女は彷徨から醒めることになります。
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秋葉原の事件をもとにして、被災地に話が行くなんて、何の関係があるのか。
 答えはひとつ。何の関係もありません。あるいはこう言える。何の関係もあるはずがない。ただ、何も関係がないがゆえに、この映画は成立し得る。

 秋葉原事件と震災に何の関係があるんだ、という問いは、映画を観る者に対して「あなたと映画の主人公に何の関係があるの? 何の関係もないのに何であなたは涙を流したりするの?」と問うのに似ています。そう、言われればその通り。まるで関係ない。にもかかわらず、ぼくたちは映画の中の人物に自分を重ね合わせたりする。

結局のところ、ぼくたちの人生など、自分とは本来無関係であるはずの数々のものに紡がれていくものです。目を閉ざし耳を閉ざし心を閉ざし生きていれば触れずにいられるもの、そのいくつかに、ぼくたちはいい意味でも悪い意味でも、人生を狂わされる。

この映画において、主人公は震災や被災者家族の青年と触れることによってのみ、自分の輪郭を規定できたんです。もう一度言いますが、そこには何の物語的必然もない。ですが、人生において物語的必然などあるわけがない。震災を利用している? はい、この映画は確かに震災を利用している。ですが、果たしてそれは責められるべきことなのか? だったら尋ねますが、貴方は自分の生において、自分と無関係なものを「利用」したことが、ただの一度もないのでしょうか? まさかとは思いますが、残忍な事件をもとにした映画を、娯楽として愉しんだことはないのでしょうね?

 意地悪なトーンになってしまいました。言いたいのはこういうことです。ぼくたちは自分と無関係なものの脅威にさらされ、自分と無関係なものに興味を惹かれ、自分と無関係なものによって日々を送っている。であるならば、その対象が何であっても、そこに前向きな道を見いだすことは、責められるべきではないのです。殺人事件の被害者が震災によって道を見いだすなんてあり得ない? なぜそう言える? 不条理な出来事によって傷をつくった人間が、不条理な出来事によって道を見いだすことは、何もおかしな話ではない。
この映画のモチーフの二つが無関係であることを、ぼくたちに責める資格はない。

 映画は手ぶれが多くて、被災地の場面ではとりわけそれがひどくなって酔いそうにすらなるんですけど、あれはあれで効果を生み出すためのものだろうという気もします。ただ淡々と、カメラをうまく動かしていたら、青年を客体として映すことになりすぎる。ひどく静かな光景の一方で、あの手ぶれが感情のぶれを演出するための方法だとしたなら、安易ではありますが演出的な意図はわかります。
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 序盤に比して後半、終盤は要らない台詞も多かったので、その辺はいまひとつ練れていなかったのかなあとも思いますね。ラストで主人公の女性が台詞を吐くのですが、あれは要らなかったと思います。路地の鏡に映って、「これが現実なの!」というのもくさすぎるんですが、まあ主題を伝えるためなんでしょう。それがわからない観客のための配慮なのでしょう。そこだけ浮き上がっているので、やりすぎかなとは思うのですが。

 事件や震災、というものをどう見るか、向き合うかによっても見方の分かれる作品なんじゃないかと思います。ただ、当事者でもないのならば、「真っ当に向き合う」みたいな考えがどこまでも戯れ言であるというのは、心得ておきたいものであります。
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by karasmoker | 2013-01-12 00:00 | 邦画 | Comments(17)
Commented by pon at 2013-01-12 16:56 x
こんにちわ。「余命1ヶ月の花嫁」で余命で泣かせた後は、アキバ事件と震災ですか。ほんとにこの監督のやり方は下司ですね。ナイトウミノワさんの気持ちがよくわかります 「自分と無関係ないものを「利用」したことが、ただの一度もないのか」という管理人さんの言う事もよくわかるのですが、残忍な事件をもとにした映画を、娯楽として作ったら誰も褒めてくれません、ならばその気概はよし。ということではないでしょうか?震災やら事件の被害者やら余命幾ばくも無い人を描いて客を呼ぶのとは違うと思います。僕自身、人の悲しみを売って金儲けをしようとは思いませんし、そのたぐいの物を利用したこともただの一度もありません。偽善者を責めるのにも資格はいりません。本当にすみません、黙って居られなくて「わたしを離さないで」もそうなのですが、このたぐいの作り手が本当に嫌いなのです。
Commented by karasmoker at 2013-01-12 23:43
 コメントありがとうございます。
 いささか文意をくみ取りにくいところがあるのですが、ぼくにはそこまで嫌悪される理由が正直よくわからないのです。
 この監督の他の作品を観ていないので、監督論はできかねるのですが、少なくともこの作品からは下衆さは感じませんでした。おしゃるとおりの下衆なやり方ならば、秋葉原の事件をもっとわかりやすく、当時の事件の様子を描いてみるなどする方法もあり得た。ところがこの映画はそれを一切やらない。「悲しみを売って金儲けをしようと」するなら、そちらのほうがいいだろうのに、そこには持って行かない。もっとわかりやすくできた部分を回避しているように見える。この映画には確かに手つきが甘いところもありますが、「触れないがゆえに見えるもの」がある。ぼくはそんな風に思うのです。
Commented by karasmoker at 2013-01-12 23:48
 せっかくなのでもうひとつ。「偽善者を責めるのにも資格はいりません」という部分についてなのですが、ぼくはこの監督の他の作品を観ていないし、その人となりも何も知りません。どうしてこの監督、あるいは作り手が「偽善者」であると言えるのでしょうか。ぼくにはこの映画が偽善的だとは別段思わなかったのですが、どのあたりが偽善的なのでしょうか。そう感じられた箇所を教えてもらいたく思います。
Commented by pon at 2013-01-13 13:57 x
こんにちわ。すみませんゲスの漢字をまちがってました この作品そのものが下衆だっていうわけではないのです その心意気がとっても下衆だと僕が感じたと言う事です 必然性が無く震災を描く監督が前作に余命を売りにした作品が有る、それだけで充分じゃないでしょうか?ナイトウミノワさんはほとんど映画をけなしません、そこがいいところだと思っています あの人があそこまでボロクソにけなすのは意味があるのじゃないでしょうか あの人(女の人?)の映画のセレクションは僕が見たセレクトとぴったりなので毎回驚いてます
Commented by pon at 2013-01-13 14:01 x
すみません ついでに一言。 震災は復旧する前に一度見ておかねば(日本人として)と思い去年の始めに陸前高田に行ってきました 言葉を失いました。
Commented by karasmoker at 2013-01-13 16:40
 もっと若い頃のぼくならば、軽々に他人の人間性を即断していたでしょう。しかし、ぼくも多少は分別がついて、あまり軽々しく他人の人間性を決めつけるのはよくないと思うようになりました。ぼくよりも人生経験豊富であろうponさんがそのような発言をなさるのには、いささか戸惑います。
 この映画も前作も、一体どのような経緯を経てつくられたのかぼくは知らない。「余命を売りにした作品」がどんな内容かぼくは知りませんが、「それだけで充分」に他者の人間性を即断などできない。この映画における「モチーフの必然性の無さ」が、イコール「モチーフを金儲けの道具にしている」と言える理由が、ぼくにはどうしてもわからない。むしろ、そう勘ぐってしまう自分の感性こそが下衆である可能性は?
Commented by karasmoker at 2013-01-13 16:51
 勘違いしないでほしいのは、繰り返し述べるとおり、ぼくはこの監督について詳しく知らない。だから強く弁護する気はないし、あくまでもこの映画を観て感じたことを述べたに過ぎません。そしてその中で、「この監督のやり方は下衆だ」と言えるものは、何も読み取れませんでした。「余命ものとかアキバ事件とか震災とか、そういうわかりやすいモチーフに飛びついた時点で駄目だ。内容は問題じゃないんだ」というのならば、「『ザ・コーブ』も『靖国』も反日映画だから駄目だ。内容は問題じゃないんだ」と言うような言説と同じに思えてしまいます。そしてぼくはその立場に与することができません。
Commented by karasmoker at 2013-01-13 16:55
せっかくなのでもうひとつ。ぼくね、これ、怒られるかもしれないですけど、この映画と秋葉事件を結びつけて怒っている人って、実は、「自分の観たいものが描かれていない!」って怒っているじゃないかって気がしてしまうんです。で、その「観たいもの」ってのは結局、あの事件の有様なんじゃないかって気がしてしまうんです。凄惨な事件が描かれていないから、「ちゃんと描いていない」みたいに言っているんじゃないのって。もしもそうだとするならば(そうではないことを信じますが)、ぼくはそのとき、「下衆な興味持ってるのはどっちだよ?」という思いを、禁じ得ないのですけれどね。
Commented by pon at 2013-01-14 10:40 x
管理人さんの言う事はまったく僕の核心をついてくれないんですけど、要するに良い歳なんだから黙ってろって言う事ですね、それが一番しっくりきます(笑)。でわ、沈黙します。
Commented by karasmoker at 2013-01-14 14:23
これが初めて接する方との対話であるならば別ですが、ponさんは何度も書き込みをしてくれているし、ぼくの映画の見方にも付き合ってくれる方だと思っていたので、どうしてそのような捉え方をされてしまったのだろうと、とても不可解でなりません。ぼくが一貫して述べているのは、「わからない」ということに尽きます。この映画の作り手が下衆であること、本当に嫌いだと言い切ること、その理由がわからない。ponさんが「それだけで充分だ」と言い切る理由についても、ぼくはわからない。なぜなら少なくとも本作を見る限りにおいて、下衆な商売心に基づいてつくられたようには見えないからです。もしもそうなら、もっとやり方がいくらでもあっただろうにというつくり方です。
Commented by karasmoker at 2013-01-14 14:30
当然のことですが、「良い歳なんだから黙ってろ」などとはもうこれっぽっちも考えていませんし、むしろ黙られてしまうとただでさえコメント貧乏なので、さらに寂しくなってしまいます(笑)。それに、ぼくがもしそう思ったとしたなら、そういう風に書きます。ぼくはむしろ対話を求めるがゆえに、わからなさを払拭したいがゆえに、問いを投げたわけです。黙ってろというのは、ぼくの思いとまったく逆です。なるべくきちんとお話ししたいので、長くなりますが続きます。
Commented by karasmoker at 2013-01-14 14:46
 ぼくがponさんの「核心」をつけない理由は単純だと思います。
 ぼくは作品の中のことで話をしているし、逆にそれ以外のことはできない。ponさんは作品の中身に言及することはせず、作り手のモチーフの取り上げ方に焦点を当てている。これではすれ違う。
 これは書こうかどうか迷ったのですが、あまり長くなってもあれなのでまとめて言います。ponさんは『RIVER』をご覧になっていますか? ご覧にならずに今までの話をおっしゃっていた場合のみ、ぼくは「黙ってろ」と言うことになります。やはりそこは、映画を語るときの大原則で、「観てから批判する」のが作法だと思いますから。ぼくだってたとえばテレビ局の映画などに対して、観る前から印象を決めつけてしまうところがあるけれど、それを擁護する人が現れたなら、「観ていないけどこいつの映画はむかつくから駄目だ」などとは言いません。観たうえでどこが駄目なのか、ぜひ知りたく思います。ひとまずは以上です。
Commented by pon at 2013-01-15 15:57 x
すみません。いろいろ心をくだいていただいて。僕は管理人さんにこれっぽっちも不満はありません。むしろけなされても楽しいです。それを前提に読んで下さい。僕のこの話は基本映画の出来不出来とは関係ありません。なので判らなければ判らないと思います。なぜなら、たとえば「わたしを離さないで」は人によれば傑作です、僕にとって作品の根底にある姿勢が偽善的に見えたので、だめだっただけ。作品の出来は素晴らしかった(なにさま〜の「わたしを離さないで」のコメント欄を見て下さい)。この「RIVER」に関しては作品としても『どうかな?」と思いました。作品は頂き物のDVDで見ました   続きます。
Commented by pon at 2013-01-15 15:59 x
監督のインタビューで撮影途中で震災が起きて急遽映画に取り入れたと言っていました。普通、撮ってる途中で無理矢理入れますか?なんか、うまく話題作りに使った感がぬぐえません。これは、この映画が嫌いな人のほとんどが思ったことだと思います(実際けなす方のかなりの人が内容ではなく作り方に問題があるという類いの事を言っています)しかも秋葉原の事件そのものにも触れていません これは別の見方をすれば詳細な取材など必要が無く、ただ衝撃的なテーマを使っただけという非情に省エネな脚本です。 
もう少し続きます
Commented by pon at 2013-01-15 16:00 x
余命はどうでしょう?それだけで泣けませんか?この監督の基本的な姿勢です。感動を誘う方法を選ばない。痛々しい震災の風景は多くの人にそれだけで感動を呼ぶでしょう。そういう商業的にずるいやり方が作品を評価する以前に拒否反応を起こしてしまうのですよ 僕はどんなクソ映画でも基本的にけなしません。でも、これだけはダメ。まぁアレルギーのようなものです、お許しください。
Commented by karasmoker at 2013-01-15 22:14
震災を取り入れた映画でいうと、他にあの『ヒミズ』もありますね。あれなどはもともとが震災と無関係な話。そうなると『ヒミズ』もアウトであるということなのですかね。むう、ぼくが映画をつくる人間だったらどうだろうな、と少し考えてみました。そうなったときに、「今、撮るしかない」という思いが芽生えることもあるんじゃないかと、そんな風には思います。これで商業的にうまく行くぞと考えて震災を撮りに行くか。これは感動的になるぞと考えて撮りに行くか。ぼくには、「そうに決まってる!」と断言することがどうしてもできないのですね。話題作りにしたいというゲスな目論見があるなら、なぜ予告編で震災の様子を用いなかったのでしょうか?(youtubeで確認してください)。
 「話の本筋は震災と何の関係も無いじゃないか!」と言う意見に対してのぼくの見方は、既に記事中で述べています。続きます。
Commented by karasmoker at 2013-01-15 22:28
 どうしても気になることがあります。ponさんは『余命』と本作を繋げて論を展開していますが、どうしてその作品だけを取り上げて「監督の基本的な姿勢」を論じるのでしょうか。他にもそういう作品を多数撮っているのでしょうか。そうであるならば別なのですし、映画業界に詳しいponさんならばきっと十分な論拠があってのことと思います。まさかその一本だけで基本的な姿勢を論じていらっしゃるわけがないと思いますので、その点はぜひにお訊きしたいところです。
 また、本作が秋葉原事件に触れていない点についてのぼくの考えは、既に記事中で述べたので繰り返しません。以上であります。
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