『ウィンターズ・ボーン』 デブラ・グラニク 2010

アメリカ、自由、共同体、その他。
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 とかくアメリカ映画といえばビッグバジェットのハリウッド映画。とりわけ2000年代後半以後はずっとアメコミヒーローものがその話題的中心を担っているように見受けるのですが、ぼくはそれよりも今回の作品のような、アメリカの深い部分を覗き込ませてくれるようなもののほうがずっと好みなのですね。特にこの数年は。

 余談ですが、アメコミヒーローものとかって、いまひとつ乗り切れない。興味が湧いてこない。なぜなのかなあと考えたら、わりと理由がはっきりしてきました。というのもね、ぼかあ幼少期、ウルトラマンや仮面ライダーが大好きだったんです。たとえば仮面ライダーの放送を観終えますね、するとぼくはテンションが上がりきって、エンディングテーマを聴きながら、まるでそれが何かの儀式であるかのように、戦うライダーの真似をして飛び回っていたんです。ちゃぶ台の上から何もない中空に向かってジャンプキックしていたのです。友達と遊ぶときも本気で自分をライダーやウルトラマンの化身と信じ、戦いに身を投じていたのです。身体的に感染していたわけです。そういう記憶があると、今更アメコミのヒーローで盛り上がりましょうと言われたって、とてもじゃないがあの頃みたいな熱量は自分の中で生み出せない。何々格好いい! とか言ったって、あの頃に抱いたウルトラマンやライダーへの憧れにはとてもじゃないが及ばない。それを思うと、アメコミヒーローとか、かなりどうでもよく感じられてくるわけですね。
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 さて、そうなるとやはりこうした、陰鬱とした地味な映画に学びを得たくなる。
 本作は山中に住むアメリカ白人、ヒルビリーの少女の話です。町山さんのWOWOWでの解説がとてもわかりやすいです。背景などがよくわかります。この映画を未見で、「ヒルビリー? 何それ?」と思われる方は、検索して解説を聴いてから観るとよいかもしれません。
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 ところで、ここ数年はオバマ大統領による医療保険制度改革が取りざたされています。世界を牽引する先進国の筆頭でありながら、国民皆保険制度を持たずにきたアメリカ。ではなぜアメリカは国民皆保険を実施せずに来たのか。
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 その背景には、アメリカが建国の旗印にした「自由」というものがあります。 アメリカにとって「自由」というのはとても重要な概念ですが、ざっくり言うにその政治的意味は、「国家が国民を縛ることがあってはならない」ということですね。だからこそ1791年に制定された憲法修正の第一条では「宗教、言論、集会の自由」が保障されているのだし、二条では「民兵の自由」、つまりは革命権が謳われているし、今でも銃は自衛のための不可欠な存在と考えられている。イギリスからの独立によって人工的に構築された国家ゆえに、もともとから「国家への不信」がプログラムされている。アメリカが断固として共産主義を許さずに来たのもひとつにはこのためです。
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そういう発想からすれば、国家が保険制度に入ることを強制するなんてあり得ない! という考えが右翼方面から出てくるわけです。それがいいものであれ悪いものであれ、そもそも国家が強制するのはよくない、というわけですね。

 そのような発想が底流している国は、一方で多様な民族、いまや三億の国民、広大な国土を有している。そうなってくると必然、いかに世界第一の国家であろうと、その施政からこぼれ落ちる人たちが出てくる。この映画で描かれているのはそんな社会の様相です。

この少女は幼い兄弟二人と、精神を煩った母を支えながら暮らしています。父はというと、家を担保に借金をして出て行ってしまったのです。サブプライムローンが記憶に新しいわけですが、貧乏な人たちが借金返済ができず、福祉制度も備わっていないとなれば、これはもうどうしようもない状況に追い込まれます。主人公の少女は行き場もないままに、家を売りに出さざるを得ないような形になるのです。その前になんとしても父親を捜し出さなくてはなりません。

 しかし、近所の人たちに父親のことを聞き回っても、みんな頑なに口を閉ざすんですね。 その様子があまりにもあからさまで、どうやら何かあったらしいとわかってくる。
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こうした、閉ざされた田舎というのは、万国共通なのだなあと思いますね。田舎というのはやっぱり狭い世界であるらしくて、独特の怖さみたいなもんがあります。かく言うぼくも田舎の生まれですが、その辺の怖さはそこはかとなく感じますね。旧友の結婚式で地元に帰って飲んだときも、既に地元で家庭を築くなどしている同級生が、「どこどこの誰々はああだこうだ」という話に花を咲かせたりしていた。うわあ、なんか、いろんなことがばればれでやっていかなあかんねんなあと、少し距離感を抱きました。東京で暮らしていると気づきにくいことです。「これからの時代と田舎における人間関係」というのには、文化人類学的な興味をそそられます。

ネタバレ速報。ういーん。
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 話が進むうちに、どうやらこの少女の父親は、村における掟を破ってしまったらしいとわかってきます。村における掟って。昔じゃないんだから。という感覚になったりもするのですが、そこでアメリカ社会ってもんがちょっと垣間見えますね。
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国家というものは信用できない、という国家においては、民族やその系譜などをよりどころにして、国家よりも小さく緊密な共同体が、大きな意味を保持する。その助けになるのはキリスト教ですが、本作でそうであるように、宗教など何の生活的救いにもならない。そうなってくると、個人個人は自分たちの生活を守るために共同体が必要で、そこでは掟というものがどうしても重要視される。その掟が犯罪にまつわるものになってしまっても、貧困が絡んでそこから抜け出すことができない。そう、おそらく、日本では既に昔話にしか出てこないような「村の掟」なるものが、今もってアメリカでは意味をなしているのでしょう。すごい話だなあと思います。そして、「そんなのはよくないよ、もっと福祉制度を充実させて」などと言っても通じないわけですから、これは根の深い話です。別の国家ですが、中国の田舎なんかも、もしかしたらこういう面があるんじゃないですかね。要因は当然ぜんぜん違ってくるでしょうけど、これは中国に置き換えても成立する話に思えます。中国とアメリカって実は似ていて、「国家を信用する」ことができない歴史があるんです。向こうは王朝や支配者層の変転というものがありますから。

 全体を通じて、かなり地味というか、話らしい話はぜんぜん膨らみません。親父はどこだ、親父には触れるなの繰り返しですからね。でも、最終的には結構えげつないことになるんですねえ。抑制したトーンでずっと来ていた分、あのチェーンソーの響きが重いんです。「うわあ、最悪やあ」のシーンです。あれはきついです。少女にしたら、「なんでこんなことになってるんだ」というほかない状況です。
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「地域の共同体」という言葉、概念の怖さがここにはあります。「共同体」とか「自治」とかっていうのには、相互扶助、もっと優しい言い方ならば「助け合い」という祝福の側面がありますね。日本でも、「昔はよかった。貧しかったけれど隣近所で互いが助け合って」みたいな言説がある。ただ他方、「隣近所の輪から抜け出せない地獄」という呪いの側面もあるわけです。まあ、今更言う必要もないことでしょうけれど、経済的な問題などによってその呪いが膿んでしまうと、こういうどうしようもない事態が発生してしまうわけです。そんなどうしようもなさをまざまざと見せつける作品でございました。
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 年が明けて2013年になりましたが、ぼくの映画に対する接し方はどうやらこのまま継続しそうです。すなわち、映画そのものよりも、映画を通して見えるもののほうに惹かれる、ということですね。何々格好いい! とか、誰々の演技がぁ、というのは、とりあえず過去の記事の中のものです。映画を観る以上は、学びを得ていきたいのですね。映画を観て、面白い面白くないというのはもういい。そんなことにぶうたれている大人なら、アニメに文句も言わず熱中する幼児のほうがよほどいい。そんな感じなんで、これからも大した数の読者を得られずに低空飛行だと思いますが、まあ、よろしければよろしくです。
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by karasmoker | 2013-01-14 00:00 | 洋画 | Comments(4)
Commented by pon at 2013-01-15 16:18 x
こんにちわ。たしかアカデミーとかノミネートされる前に見たのですがその年のベストワンでした。その後のこの主演女優の作品は、見つけると見ているのですが「ハンガー・ゲーム」は笑ってしまいました でも続編が出ると見てしまうと思います(笑)
Commented by karasmoker at 2013-01-15 21:48
多様な切り口から論じさせてくれる映画だと思いますね。
Commented by クレ神 at 2013-01-22 09:05 x
この映画の主人公は、未成年で家と家族の事もあって、がんじがらめなんですよね。それで、自分ではどうしようもないくらいドデカいモノにぶち当たる。イタい!コワい!
この映画のような主人公が女性で、かつ一家の大黒柱だというのはアメリカ映画ではあまり記憶にないですね。思い出す限りでは『フローズンリバー』、『チェンジリング』ぐらいですかね、やはりごく最近と思われます。
そして、妹役の子は、演技経験ゼロの地元の子だそうで。それを知ると、より感慨が深まりますよね。
Commented by karasmoker at 2013-01-22 23:59
 コメントありがとうございます。
 なるほど、未成年の少女が一家を支えている映画というのは、何かしらあるのでしょうが、確かにあまり思い当たりません。この映画は彼女という小さな存在を通して、アメリカ社会の影の部分をわかりやすく暴き出しているわけですね。
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