『恋の罪』 園子温 2011

ぴんとこなければそれはそれで幸福。
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最新作を除いて、ここしばらくの園作品はずっと観ていたのですが、一本だけ観ないでいた作品です。特に理由はないのですが。

 いざ観てみるとゼロ年代の、『自殺サークル』『奇妙なサーカス』『紀子の食卓』などの系譜にある作品だなあとつくづく思いました。いわゆるひとつの園ワールドが真っ当に体現されているなあと思うのでした。

 神楽坂恵演ずる貞淑な妻が娼婦へと変化していく話、というのが主軸です。富樫真演ずる娼婦(昼は大学教授)が、彼女を陰の世界へと引きずりこみます。一方、女性が被害者である猟奇殺人事件が起こっており、それを捜査する刑事として水野美紀がいます。この三者の動きで話が紡がれていくわけです。
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 リアリティは度外視、熱量で押す。というのが園子温のひとつの形です。園子温と増村保造の類似についてここで何度か述べていますが、どちらにも他の日本映画とは異質な、演劇的な空間があります。だからまず言っておくべきは、本作をしてリアリティうんぬんというのは、とても間違った見方であるということです。ぼくは園監督の作品を観ると、「マジック」という言葉が似合う監督であるなあとよく思うのですが、ひとつのマジカルな世界をつくりあげて、そこにどろどろとしたものをぶちこむのが彼の得意技だとぼくは捉えています。
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 その点について、ひとつの明確なサインをぼくは感知しましたね、ええ。
 というのはね、主人公の神楽坂恵。彼女は園監督の妻でもあるわけですが、他の多くの役者に比べて、演技が拙いところがある。序盤、ああ、やっぱりそうだ、なんで監督は妻であるこの女優にだけ、マジックを掛けられないんだろう、と思えてならなかった。
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 ところがある箇所で、ぼくはちょっと見方を変えることになります。
 彼女は潔癖的に厳格な夫と生活しているのですが、あるときパートを始めて外の世界に触れます。そしてAVにも触れます。そういう一連の中で、彼女は家の姿見の前で全裸になるのです。
 ここが面白い。彼女はパートであるスーパーの売り子のフレーズを、全裸のままで連呼し続けるのです。で、それがちょっと長いんです。これをぽんと放り込んでくる。このシーンがひとつの大きな契機です。この映画はこの変なトーンで行くからね、よろしくね、という宣言です。この場面で乗れないと、この映画に乗れないと思います。そういう意味では親切設計でもあります。

これね、うん、よくね、自分を解放する、みたいな言い方ってあるじゃあないですか。自分を解放してやりたいことをやろう、みたいなポジティブな言葉って、あるじゃあないですか。でもね、それとはちょっと違うんです。うーん、ここは書き方が難しいですね。
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 劇中、「言葉なんか覚えるんじゃなかった」というフレーズが繰り返されます。田村隆一という詩人の『帰途』という詩の一節がくどいほどに繰り返される。これほど繰り返されるならば、ここにこの映画の主題のひとつがあるのは明白です。
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 などと言いつつ、ぼくは詩の読解にかけては大変不得手でありますゆえ、正しい読み解きには自信がないわけですが、ぼくなりに考えたのは、「言葉」というものがもたらす認識の拘束性です。富樫真も、彼女に感染した神楽坂恵も、この詩を何度となく繰り返す。それがヒントです。

 言葉とは何か。それは事物を認識するための道具です。同時に、人間はその事物に意味付けを行い、あるいは印象付けを行います。そしてもうひとつ、言葉の役割は、誰かとコミュニケーションをする際の道具であります。言葉をいっぱい覚えることによってぼくたちは様々なものを認識できるし、様々な形でコミュニケーションを行えるのです。

 しかし他方、言葉は認識を拘束してしまうものでもあります。ぼくたちは言葉に認識を拘束されることによって、その外側を見なくなる。言葉が通じることを当然と思って、言葉が通じないものに触れるのをやめてしまう。あえて乱暴なものいいをするなら、言葉というのは、ぼくたちを社会の内側に閉じ込めるものでもある。ぼくたちの認識は言葉によって広がりますが、一方言葉によって拘束されているわけです。 
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 言葉なんか覚えるんじゃなかった、と繰り返すこと。すなわち、言葉の呪縛から解かれようとすること。これを富樫真にせよ神楽坂恵にせよ希求しているわけです。ではなぜ言葉の呪縛から逃れようとするのか。言葉が自分と自分の認識を、社会の内側に閉じ込めるものであるからです。ではなぜ社会の内側に閉じ込められることを嫌がるのか。
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 劇中ではわかりやすい設定がなされていますね。神楽坂の場合は厳格な夫、富樫の場合はほとんどきちがいみたいな母親。これがひとつの重しになります。観客に対してわかりやすい設定と言えます。今までの自分を縛り付けていたものの象徴から逃れることと、社会から逃れることが通じます(すみません、もっと詳しく書けばいいのですが、すっげえ面倒くさいんです)。

 誤解されないようにしたいのですが、「社会の内側へ閉じ込められることを嫌う」というのは、たとえば尾崎豊的な「社会への反抗」ではない。社会への反抗は、既存の社会への反発に過ぎない。この映画が言っているのは「脱社会」のほうです。劇中とラスト、「ゴミを捨てに行った主婦が遠くへ行ってしまう」という話が出てくるのはそのことです。

 ではなぜ人は「脱社会化」を求めるのか、という話になりますが、それはちょっと、今のぼくには荷が重すぎるので、各々で考えてもらうほうがいいでしょう。生活が嫌になったとか、退屈だとか、そういう簡単な解釈で済むならたやすいのですが、それだけではない。「意味に還元されない世界への触知」とか「情動」とかの方面の話になってきます。それはあまりにも面倒くさいので、ここでこれ以上広げるのやめます。っていうか、ぼくにもそんなに手持ちがないし。
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 社会学者の宮台真司が「自分にとって映画は娯楽ではなく、アート。ではアートとは何か。それに触れる前と触れた後では、身の回りの世界を同じようには捉えられなくなるものだ」というようなことを言っていて、その感覚はよくわかる。彼が園子温を激賞するのもよくわかります。なんだか、感覚をぶらされるところがあるのです。だからこれを、娯楽映画を観る構えで観ようとすると(たくさんの映画を観ている人は時として見方が凝り固まっているものです)、ちょっと見方を間違えるんじゃないかと思います。

 とはいえ、ぼくとしても大いに賛美できない部分もあるにはあります。富樫真と神楽坂恵が大学のキャンパスでごちょごちょ話すところとか、水野美紀が廃屋で雨に打たれる妄想をするようなところは、やや映画の手つきに酔っているな、と思えてしまいます。

 あとはちょっと、中途半端にカットを切りすぎているようにも思いました。カットを切るのか切らないのか、その辺のこだわりがもうひとつぼくには見えなかった。たとえば神楽坂恵が富樫真と邂逅し、彼女を追って歩き回るシーンなどは、カットを切らずに長回しで追ったほうが、別の世界に足を踏み入れていく様を、実在感をもって描けたのでないか。それと、あのクライマックス。富樫が狂ったようにセックスするシーン。そしてピンクのボールをひょろっちい男が投げるあの場面。あれはもっと高速でカットを切ってもいいんじゃないかと思いました。観客の認識をぶらすには少し遅いように思えた。それこそペキンパー的な高速カットで追ったほうが、もっと訳がわからなくなったのに。

手つきに酔ったり、なまじうまくなったりすると、狂気とは離れてしまう。この映画にはもっともっともっと野蛮さがあればよかったのに、というのは残念なところです。かつての『うつしみ』みたいな野蛮さです。この映画に大事なのは野蛮さ。それがもうひとつ足りなかったという印象はあります。だから後半はちょっと、だれてもいた。
 
しかし総じて、最近の園子温作品の中では少なくなっていた、「狂い」を前に押し出そうとした作品として、面白く観ました。園子温はあまり観ていないけどビデオ屋で借りてみるか、という場合は、これと『奇妙なサーカス』『紀子の食卓』、あるいは『ハザード』あたりと一緒に借りて、立て続けに観てみるとよいのではないでしょうか。
 
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by karasmoker | 2013-01-25 00:00 | 邦画 | Comments(9)
Commented by pon at 2013-01-27 20:33 x
こんにちわ。輸入BDを買ったのですが 水野美紀が見事にカットされていたので買い直しました。正直、買ってよかったです(笑)
……それだけかよ!
立て続けに園作品を見るなんて……なんてtoughなの
Commented by karasmoker at 2013-01-27 22:30
 コメントありがとうございます。
 ところでponさんは、『RIVER』にまつわるぼくの問いに、答えてくれておりません。ぼくはこの監督に何の思い入れもありませんが、作り手をゲスだと断じた以上は、その論拠をお示し頂きたく思います。
Commented by pon at 2013-01-28 13:03 x
ぼくがこの監督が嫌いな理由はもう散々書いたつもりなので、わかっていただけなければ、きっとわからないと思われます。「その一本だけで」と管理人さんはおっしゃってますが嫌いな理由の映画はとりあえず2本あげました。ぼくには、その2本で充分です、足りませんか?こういうことは数の問題でも無いとおもいますけど。「余命1ヶ月〜」に関しても韓国でそっくりのドキュメンタリーがあったりとか、いろいろ疑惑があるみたいで、「だからなんだ!」と思いますけどもやはり気持ちは釈然としません。でも管理人さんがここまでこの監督にこだわるのはなぜでしょう?「下衆な奴」とか言い方が汚かったのはあやまります。管理人さんの記事の中でも結構、罵詈雑言があったのでその辺は気にしない方かとおもいました。以後、気をつけます、申し訳ありませんでした。このコメントに関してはこれで打ち止めにしていただけるとありがたいです。
Commented by karasmoker at 2013-01-28 23:46
 コメントありがとうございます。
 ぼくがこの件に関してこだわった理由は、『RIVER』は下手ではあっても決して悪い作品ではないと思ったから、というのがひとつです。この作品の見方を理解したうえでの批判ならばまだしもですが、(失礼を承知で申し上げるに)ponさんの批判は非常に浅く思えた。だからぼくは気になったのです。まさか浅い話で批判してはいないだろう、もっと深い理由があるのだろう、そう思って掘り下げてみたいと思ったのです。これは次の理由に繋がります。
 
Commented by karasmoker at 2013-01-28 23:46
二つ目の理由です。映画において、悪人と見えた登場人物が、実はこちらの知らない背景を抱えていた、という話を数多く観てきました。そんな中でぼくは考えるようになった。表面的には悪人に思えても、それには何か理由があるんじゃないか、世の中はそう単純ではないのではないか。実際の社会でも、悪と断罪された人間が実は潔白だったということもよくあること。そう、ぼくには易々と何かを断じることができない。それほどぼくはものを知らない。そういう風に思うようになりました。だからこそぼくは尋ねた。ponさんがゲスと断じるからには、何かそれ相応の理由があるはずだと。表面的ではない何かがあるはずだと、それを期待したのです。ponさんはきっとぼくよりも映画をたくさん観ているし、人生経験も豊富に違いない。だから、そんなponさんの断罪が気になったのです。これがつまらない吐き捨てをして去っていくコメント人なら別でしたが、ponさんを信頼してゆえのことです。
 
Commented by karasmoker at 2013-01-28 23:47
確かにぼくも過去の記事で、乱暴な物言いをすることは数多くありました。これからもあるかもしれません。だからそれを指摘されて、その通りだと思ったら、ぼくは喜んで(本当に喜んで)訂正するつもりでいます(事実誤認でなければ文面は変えませんが)。このブログも長く続けているので、いろいろあったりして、見方もそれなりに変容していくのです。気にすることも気にしないことも変わってしまうのです。これからも、自分の見方を変容させていきたいと思っております。
 
Commented by pon at 2013-01-29 10:33 x
僕は震災やら余命やら人道的なことだけを言っているので、決して浅くはないですよ。人の不幸で金を稼ぐのを見るのが不快だ(それを作った人も)、と言っているだけですが浅いですか?「人の尊厳」は僕の根底に関わることなので浅くはないです。管理人さんは僕に「この作品を見たのか、ちゃんと見たのか」と言っていますが逆に言うと僕がこれだけ言う理由を浅いと判断する管理人さんはこの監督の作品をこれしか見ていないとおっしゃっています。見ないで僕の言う事を浅いと判断する理由は何でしょう?僕はこの2本以外にこの監督の主要な作品を数本見ました。どれも好きではなかったです。まぁそれはこの話とは関係ない事ですけど。面と向かって人を傷付ける言葉を堂々と使うのはやめましょう。僕はなんども謝っているのでこれで終わりにできるはずです。
Commented by karasmoker at 2013-01-29 21:52
文中にある「面と向かって人を傷つける言葉」というのが何を指すのか、申し訳ないですがぼくにはわからないのです。「浅い」という言葉でしょうか。それはあくまで論に対する印象であって、決して人格批判的なものではあり得ない。理屈について述べているのであって、人間性の批判ではあり得ない。それをして「傷つく」という情緒的な部分に話がいくことが、ぼくには本当にわからないのです。「なんだかよくわからないけれど不快に思われたならすみません」と申し上げるほかないです。
 
Commented by karasmoker at 2013-01-29 21:52
そのうえで、「浅いと判断する理由は何でしょう」という問いにお答えします。それは、ponさんがこれまで述べてきたことは「誰にでも言えること」だからです。映画を観ていても観ていなくても言えてしまうことだからです。震災や余命のテーマという話題性のある映画で人気を集めようとしている、けしからん。これは誰にでも言えることです。本作しか観ていないぼくの質問に対して、他の作品をいくつもご覧になったというponさんが、「誰にでも言えること」しか述べてくれないもので、深いところが窺えず、浅く感じたのです。事実、ここまでの議論で、ponさんは一切作品内容に言及していません。「観ていない人でも言えてしまうことだな」と、ぼくはつい思ってしまったわけです。
 ぼくとしてはぜひ議論を深めたくも思いますが、打ち切ることをご希望であれば、お話を終わりにするかどうかのご判断はお任せいたします。ぼくは頂いたコメントには基本的になんらかの返答をするようにしているので、これに返信されることがなければ、これ以上ぼくは踏み込まないことにいたします。
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