『コンプライアンス 服従の心理』 クレイグ・ゾベル 2012

マインド・コントロールについての興味深い一品
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 つい最近、豊田正義氏のノンフィクション、『消された一家 ―北九州・連続監禁殺人事件』を読んだのですが、あまりに凄惨な内容で、何度も頭の中を巡ってしまいます。小野一光氏の『家族喰い ―尼崎連続変死事件の真相』も以前に読んでおりまして、この二つはいやはやなんとも筆舌に尽くしがたい事件です。
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詳しく知らない人は各々に調べ、読んでいただければと思うのですが、本のタイトルにもあるように、家族が次々殺害された事件です。しかもその方法が尋常ではなく、家族同士を殺し合わせるような形を取っているのです。こう言ってはなんですが、人間が行い得る非道の、最も醜悪な形式じゃないかと思います。もちろん加害者が被害者に直接手を下すものも酷いわけですが、尊厳を完全に放棄させるようなこれらの事件には、他の残虐事件以上の恐怖を感じます。
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 二つの事件には共通点があります。加害者による直接的圧迫感と同時に、家族同士の信頼関係を壊してしまうのです。「誰々は保身のためにおまえを裏切ったんだぞ」とか、「おまえの配偶者は不倫していたんだぞ」みたいなことを吹き込んだり、子供に対しては「おまえの親は駄目な人間なんだぞ」と教え込んだりする。そうやって家族関係をばらばらにしたうえでひとつの空間に拉致し、お互いを傷つけ合わせるのです。加害者は暴力的な威圧感を保ちつつ、家族同士の諍いの調停者のようなポジションに立ち、精神的に追い込んでいくのです。

 精神的侵食。マインド・コントロール。その恐怖について読んでいたので、この映画もしっくり来るところが多くありました。まさしく「服従の心理」という作品です。

 といって、本作自体は先に述べた事件のような凄惨さを持つものではありません。警察を名乗る人物がファストフード店に電話を掛けてきて店員の少女に犯罪の濡れ衣を着せ、遠隔操作的に陵辱する話です。小さな話ではあるし、さほど過激な描写があるわけでもないのですが、マインド・コントロールがいかなるものかの一端がわかります。
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 人手不足で忙しいファストフード店で事件は起こります。標的となるのは若いバイトの女の子です。ドリーマ・ウォーカーという人が演じているのですが、この人の顔立ちがまずいいです。こう言っちゃなんですが、いい感じで品のない、学のなさそうな顔なんです。若さと無知ゆえのとんがりを、片田舎でくすぶらせているような少女です。北関東くさい、と言ったら北関東の人に怒られそうですが、まあなんかそんな感じなのです。
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 警察を名乗る人間の電話を、店長のアン・ダウドが受けます。「彼女は窃盗を働いた疑いがある。服を脱がせて調べろ」と指示されます。店長は怪訝に感じつつも、巧みな誘導に乗せられてその指示に従うのです。

 マインド・コントロールの肝のひとつは、「相手の思考能力を奪う/思考の働かない状態のときにつけ込む」というものです。本作では店舗運営上の不手際があったり忙しさが高じていたりで、店長は冷静な判断が少しつかなくなっているわけですね。ここが怖いところです。冷静に、沈思黙考する暇があればおかしさに気づく。後で振り返ってみればどうしてあんなことをしたのかわからないと思う。そういう思考の隙を突かれてしまう。「忙」という漢字が「心を亡くす」と書くのはまさしきところで、「忙しいからとりあえずこの場をしのごう」と考えてしまう。そのままずるずると引き込まれる。
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 ぼくは心理学方面には疎い人間ですが、素人目にもなるほどこれは心理操作の手法だな、というのが見て取れます。たとえばこの犯人はことある事に"Sir"を要求するんですね。敬語を使えと。自分に従えと。それから相手の弱みにもつけ込む。少女に「兄の犯罪を調べている」などと吹き込み、従わないと不利益を与えるぞとちょいちょい挟み込んでくる。

 この映画は実際アメリカで頻発した事件を元にしています。自分の意見をはっきりさせるはずのアメリカ人でもこうですから、空気重視民族日本人は余計に気を遣わねばならないでしょうね。振り込め詐欺の犯人もこの辺の手法を研究していたりするのでしょう。
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金を隠していないか調べるという名目で少女は裸にされます。後半では男性の登場人物がその役目を任じられてしまいます。この辺も心理を突いているんですね。男性はそりゃもちろん倫理観はあるにせよ、一方では若い少女への性欲も持つ生き物です。そして、犯人の言うままに彼女を陵辱してしまうのです。観客は傍観者で冷静に観ていますから、それはこういう風に回避すればよいとか、ここではそんな風にせずこうすればいいのに、などと思い巡らせられますが、それはあくまで傍観者の目線に過ぎない。あの男性の立場になってみると、「自分は従っているだけだ。従わないと不利益になるだろうからそうしているのだ」と言い訳できてしまうし、自分が密かに抱く欲望もそれを後押ししてしまう。
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 この映画はその辺にちゃんと目を配っていますね。というのは、きちんと拒む人間も出しているんです。拒む者もいるよ、と観客に告げている。しかし別の場面では、受け入れちゃう人もまたいるんだよねと示してくる。私は関わりたくないわ、と明言する人間も出していて、狭い中で様々な立場を表している。それを救うのは、ふらりと飲みに来たおじさん。ここも示唆的ですね。その場の空気や状況に一切支配されていない人間だけが救いうる、という。腑に落ちる解決です。

 劇中では気になることがいくつか出てきます。冒頭で言われる冷凍庫の話とか、犯人の目的とか。それらはぜんぜん解決されないのですが、観終えてみるとどうでもよくなります。この映画で大事なのはぜんぜんそこじゃないですから。冷凍庫は「思考の分散」のための装置だったわけですし、動機がつまらないものでもそこはどうでもいい。

映画って、たまにもどかしくなるときがありますよね。登場人物の行動に対して、ああすればいいこうすればいいと観客が彼らの思考を追い抜いてしまうとき。本作でもそれはあるんですよ。警察がそんなことするわけないじゃないか、冷静に考えればわかるのに、とか。でも、本作においてはそれは一切の瑕疵にならない。むしろ、追い抜いてしまうことそれ自体がこの映画の意義を照らします。店長はラストで指摘されるんです。
「どうしてあのときあんな判断をしたのか?」
その答えは実に明確。
「あの状況では誰もがそうしていたはずだわ」
これがマインド・コントロールの髄の部分じゃないでしょうか。思考の余地自体を奪ってしまうわけです。観終えて振り返るに、店長が駐車場をとぼとぼ歩いて指示に従う場面なんかは、その思考の無さにぞっとするところがあります。
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 小さな話だし、「マインド・コントロールの恐怖を鮮烈に描いている!」みたいな作品じゃないので、刺激を期待すると裏切られます。しかし、読み取ってみようと思いながら観てみると、なるほどいろいろと興味深い切り口が出てくるのです。時間も90分と短いし、一見の価値はあろうかと思います。今日はここまでにいたします。
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by karasmoker | 2014-04-22 00:00 | 洋画 | Comments(0)
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