ゴキブリ考

他国の事情は知りませんが、日本で「嫌いなもの」のアンケートを採ったら一番手に来るのがゴキブリでしょう。そして「ゴキブリが好きですか、嫌いですか」と尋ねたら、99%近くの人が嫌いと答えるでしょう。

 はて、しかしなぜ人はゴキブリを嫌うのでしょう。かくいうぼくも素手で触れるかと言われれば、逡巡してしまいます。どうしてぼくを含めた多くの人々は、ゴキブリが苦手なのでしょう。

そもそも虫全般が苦手である、という人もいます。それならばまだ話はわかります。顔が見えないのでコミュニケートしづらい、という感覚もわかる。足が六本(以上)ある、羽が生えているなど、人類とは別種の変化を遂げたその姿形が、距離感を覚えさせるのもわかります。

 ここでの議題は、「カブトムシや蝶々なら愛でるのに、ゴキブリは嫌いである」というその差別意識なのです。

 本能的なものとは考えにくいのです。食用にしている文化圏もあるわけだし、「ゴキブリによって殺された」という話も聞きません。人間を殺す動物ならば他にもいくらでもいるし、病原体の媒介でいえばネズミや蚊のほうがよほど脅威です。ゴキブリにそれほど嫌われる理由があるとは思えないのです。

 おまえ自身の理由を考えてみたらよかろう、と言われそうです。ふむ、考えてみましょう。自己対話です。

「あの黒光りした様が嫌なのです」
「ふむ、しかしおまえの好きな色は黒ではなかったかね」
「あいつはちょっと茶色っぽいじゃないですか」
「茶色いものを嫌いなのか。ではチョコレートはどうだね」
「そういうことじゃないのです。チョコレートは食べ物ですから、比較材料としては不適切です」
「ふむ、ならば黒光りしていて茶色っぽい虫だから嫌いなのかね」
「そうです」 
「だったら白いゴキブリであれば問題ないのかね」
「部屋に白いゴキブリが出たらある意味普通のゴキブリ以上に怖いです」
「どうも色が理由だというのは少し怪しい気がするぞ」
「だいたい、あいつらは不潔じゃないですか。ゴミ捨て場や下水道などに生息しているじゃないですか」 
「ほう、だったら清潔な環境で飼育されたゴキブリなら触れるのかね」
「自信がありません」
「なぜかね」
「なぜでしょう。そうだ、あの触覚が嫌なのです。体と不釣り合いに長いあの触覚が微妙に動く様など、不気味に思われます」
「触覚がなければ平気かね」
「少しはマシな気もします」
「だったら君は、ゴキブリが嫌いとは言わずに、触覚が長い生き物が嫌いだと言えばいい。なぜそうゴキブリばかり嫌悪するんだね」
「あいつらはカサカサッと動くじゃないですか。あの動き方が嫌です」
「君は気づいているかね」
「何でしょう」
「君はさっきからゴキブリの特徴ばかりを述べている。そこに『嫌い』とくっつけているだけだ。それでは説明にならない。イヌが嫌いだという人がいたとして、四足歩行だから、ワンと鳴くから、全身に毛が生えているからと説明されても、ぴんと来ないだろう」
「はて、ではなぜぼくはそれらの属性を嫌っているのでしょう」
「そこに勘違いがあるのだよ」

 そう。ここにはおそらく認識の転倒があるのです。きっとぼくたちは「嫌い、という認識から始まっている」のです。親がゴキブリの出現に大騒ぎしたり、嫌なものとして扱われているのをテレビで見たり、ゴキブリホイホイの存在を知ったり。とにかく「ゴキブリ=嫌うべきもの」という認識を与えられ続けてきたのです。そしてそのあとから、理由付けをしているに過ぎないのです。合理的な理由があって嫌っている、わけではないのです(不潔だからという合理的理由がある、という人は、清潔なゴキブリなら触れるという人ですね。でもそれは不潔なものを嫌う理由であって、ゴキブリをことさらに嫌う理由にはならないのです)。

 ではなぜ日本人は文化的にゴキブリを嫌うようになったのか、という話ができればぼくも立派なもんですが、あいにく文化人類学には疎いのです。
 ぼくはこの議題を、ヘイトスピーチ問題に結びつけて考えたくなります。
 中国や韓国を強く嫌悪する人々と、ぼくたちがゴキブリを嫌う理由というのは、実は似ているのじゃないでしょうか。ここで言いたいのは当然、「中韓=ゴキブリ」などという話ではまったくありません。述べたいのは、「嫌いから始まっている」ということです。 理由は後付なのです。

だから、ヘイトスピーカーに対して、合理的な説得を図っても難しいような気がするのです。彼らの理屈や言葉を剝がして剝がして残るものはきっと、単純な叫びです。
「理由なんかどうでもいいんだ! とにかく自分は中国や韓国が嫌いなんだ!」
というものでしょう。嫌いなものは嫌いだ、というだけの話です。

 ぼくは彼らの罵倒を不当だと感じます。しかし、であるならばぼくは正当な理由をもってゴキブリを嫌悪していると、果たして言えるだろうか。そう考えると不安になってきます。もしかしたらぼくたちは、不当にゴキブリを差別しているのではないか? 好きになる必要はなくとも、他の虫と同じくらいに扱ってやってもいいのではないか?

 こう書くと、「外国人は人間だぞ。ゴキブリは虫じゃないか。同等に扱うのは乱暴だ」「ゴキブリを触れなくても誰も迷惑しないじゃないか。ヘイトスピーチは人を傷つけるんだ」と言われそうです。しかし、ぼくの言いたいことの力点はそこじゃない。問いたいのは、嫌悪するものを思い描くことで、ヘイトスピーカーの心性を理解できるんじゃないかということ。そして、果たしてぼくたちは差別をやめることができるのかということ。

 ヘイトスピーカーにやめろということはできる。でも、やめる側には難しいのかもしれない。ぼくたちにとってゴキブリを触ることが、難しいように。理由のない差別をやめるべきだというならば、ぼくたちも同じようにしなくちゃいけないのかもしれない。

 去年ぼくはナウシカの原作をがっつり読んで、虫への慈しみを覚えるようになりました。 ゴキブリだって懸命に生きているのです。
 何もぼくたちに嫌がらせをしようと台所に出現しているわけじゃない。「おなかがすいたなあ。食べ物無いかなあ」「あ、あった、巣に持って帰ろう、子供たちに食べさせなくっちゃ」。そう思っているとき、ばったりぼくたちに出会ってしまうだけなのです。
ぼくは時々本気で、「おまえは一匹のゴキブリよりも一生懸命生きているか?」と自分に問うてしまうほどなのです。

 さあ、そう考えたら触れそうだ。と、思いながらも、やはりためらう。
 ぼくはまだまだです。ゴキブリを平気で触れるようになったとき、「一段上の男」になれる気がするのですが、なかなか果たせません。
 さて、どうでしょう。あなたはゴキブリを触れるでしょうか。
「嫌うことをやめる」というのは、なかなかに難しいことなのかもしれません。

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by karasmoker | 2014-07-22 00:56 | 社会 | Comments(6)
Commented by golow5060 at 2014-07-22 02:06
こんばんは、ツイッターから来ました。前回ではお目汚しを。今回の記事、面白いです。映画評でなくてもこのような話題で、更新して頂けたら読者は嬉しゅう御座います。ヘイトをやってるレイシスト達は実際に「ゴキブリ」「寄生虫」などと叫んでいますね。彼等が「中・韓」を嫌う理由は、仰るように「嫌いだから嫌い」なのでしょう。ゴキブリと同じく。「嫌いだから嫌い」は誰にである感覚として認めます。事実ぼくはタマネギを死ぬほど嫌って居ります。ですが、同士を集めて「玉葱ファシズムを許さない市民の会」を立ち上げて「玉葱排斥デモ」を繰り広げることは(今のところ)しないのです。「嫌いだから嫌い」から実際の運動までには、かなりの距離が有りますよね。まあ、そのような思考が「胆略」なのですが。 また、お邪魔しました。
Commented by golow5060 at 2014-07-22 02:11
スミマセン↑の「胆略」は「短略」です。失礼。
Commented by karasmoker at 2014-07-22 09:35
コメントありがとうございます。
ヘイトスピーカーに対して、「嫌うのは仕方ない。でも悪罵をぶつけるのはやめろ」というスタンスに立つか、「嫌うのをやめよう」というスタンスに立つか。彼らを押さえ込もうとする人たちの間でも、おそらくその点は共有されていないと思われます。根源的な解決は後者でしかあり得ないので、そこに力点を置いて書いたつもりでした。「自分の中のヘイト性」を見つめようと思ったのであります。

 ちなみに、老婆心ながら申しますに、「たんりゃく」という言葉はありませんで、「たんらく」=短絡かと思われます。
Commented by golow5060 at 2014-07-22 18:57
はい「短絡」ですね。理解しました。恥の三段上塗りであります。お恥ずかしい。(後で辞書で確認しました)。「嫌いだから嫌い」や「生理的に無理」と思っている人に、「嫌うのはやめよう」を説くのはなかなか難しそうですね。偏った考えに取り憑かれている人に、根源的な解決は少しハードルが高いかと思うのです。かと言って自分に代替案が有るのかと言えば具体的にはありません。漠然と「緩急を付けた説得」が今のところは有効ではないかと。「言い分は認めよう。だが愚行は止めよ」というところです。どっち付かずでしょうが僕はこれだと思います。 では。
Commented by golow5060 at 2014-07-22 21:29
続きです。また言葉足らずでしたので追記します。上で書いた「根源的な解決は難しそう」はkarasmoker様の仰る事に異を唱えているのではありません(念のため)。想像するに「(理解させるのは)大変そうだなあ」と言う意味であります。骨が折れそう、めんどくさそうなのです。以前も述べましたがkarasmoker様の物事に対する真摯な姿勢については、疑うものではなく敬意を表して居ります。僕なんぞの方がずっと怠惰であります。怠惰な奴からで申し訳ないのですが、今回の記事の切り口は大変面白かったのです。このように時事的な話題に絡めて(今は、再び食指が向かなくなっているかもしれない)映画の話を挟んで記事にして頂けると、僕個人は嬉しいのです。まあ、でも自由なテーマで書いて下さい。楽しみに(勝手ながら)して居ります。では失礼します。
Commented by karasmoker at 2014-07-22 23:34
コメントありがとうございます。
コメントいただけると励みになりますゆえ、期待せずに見守っていただければ幸いでございます。
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