『悪い種子』 マーヴィン・ルロイ 1956

サイコパスってだれのこと?
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golow5060さんよりリクエストいただきました。ありがとうございました。






原題『The Bad Seed』
8歳の少女ローダをめぐるお話です。タイトルは簡明に、彼女を指していると考えてよいのでしょう。子供というのは純真であり無垢であり、清いものである。という「常識」に痛撃を加えるような作品でありまして、当時の観客をのけぞらせる代物であったようです。

先に書いておくと、この頃のアメリカ映画にはヘイズコード、一口に言えば強い倫理規制のようなものが敷かれております。そのため、暴力描写などはほとんど描かれておらず、結末は作品自体を台無しにしかねないものになっています。この作品の中身について語るときには、結末は省いたほうがいいでしょう。原作にないものらしいし、監督もあの部分は付け加えたくなかったはずです。あれはもう、当時の基準として仕方ないのですね。
 ただ、そういったこともあるので、刺激になれきった現代人としてはやや退屈であったのも否めません。家の中で進行する場面がほとんどですし、100分くらいのサイズの話でしょう。2時間越えは長いです。
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少女ローダの同級生が事故で死んだ。彼女は無関係だと思っていたら実は……という具合でこの子の本性があらわになっていきます。

 いわゆる「サイコパス」というものの一例として、この映画が取り上げられたりもするようですね。「サイコパスもの」は昔からありますが、最近ではそんなタイトルのアニメもあったりして、概念として相当広まった感じがあります。
 サイコパスというのは物語的装置としてはとても使い勝手がいいんですね。絶対悪のような形で描けるし、モンスターとして重宝する。この作品の美点としては、「子供の純粋性」を「悪の純粋性」に結びつけたところで、その二つの合致が人々を驚嘆させたのでしょう。
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 ところで、子供というのは「純粋で無垢で清いものだ」という観念があるとして、それはいつ頃生まれたものなんでしょうね。あるいはそれ自体が大人たちの、願望に過ぎないのかも知れないなあとぼくなどは思います。純粋で無垢であるというのは、「欲望に忠実」という意味でもあるでしょう。大人になると道徳心や倫理観が育ってくるから、踏み外さずにいられるけれど、子供のほうがある面で残酷だったりするわけです。子供はくっだらないことで怒られますが、それは大人からすれば「社会性の欠如」「常識感覚の欠如」ですね。騒いで怒られたり、ずるをして怒られたり。そうやって、怒られるという経験を通して、大抵の子供は規範を獲得していく(と信じられる)けれど、一方、中にはその叱責がちっとも響かない人間もいるのではないか。
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 この映画はそこを突いてくるんですね。だからこそ、衝撃的に映る。富を蓄積し、良識を広め、つくりあげられてきたはずの社会、あるいはそこで磨かれたはずの人間という存在。その足下を揺るがすような感覚に陥らせる。
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 サイコパスというのは、興味深い存在だと個人的には思います。自分と決して無縁ではないなあと思います。むしろ、「サイコパスと自分はまったく無縁である」という感覚のほうがぼくには怖いですね。それもまたある種のサイコパスなんじゃないかって。
ウィキによりますと、サイコパスとは以下のような特徴を持つ人のことだそうです。

「良心が異常に欠如している」「他者に冷淡で共感しない」「慢性的に平然と嘘をつく」「行動に対する責任が全く取れない」「罪悪感が皆無」「自尊心が過大で自己中心的」「口が達者で表面は魅力的」

これだけ列挙すると、自分はそんな人間ではないと大半の人は思うでしょう。ただ、それ自体も「他者に冷淡で共感しない」「罪悪感が皆無」なことなんじゃないかってぼくは考えてしまう。ぼくたちは普段の生活で、中東やアフリカの問題をまったくの他人事として受け止めているし、その遠因に自分たちの生活が絡んでいるとしても、まったく罪悪感を感じません。「君が生活で使っているその道具は、中国の工場で奴隷的に働かされている人が作ったものだよ」と言われても、一時は心を動かされたとしても、平然と使い続けますね。良心が欠如しているとも考えずに、行動に対する責任をまったく取る必要がないことにして。慢性的に平然と嘘をついていても、それにすら気づかずに。そしてまた、口が達者で表面は魅力的な政治家に投票するわけです。
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 また映画から離れた。
 本作ではこのローダの人間性の遠因を、遺伝に求めているところがあります。母親は自分の出生に思い至り、犯罪者的素質の遺伝を読み取ってしまいます。この辺などは現代的に考えると問題の多い部分と思われますが、先にぼくの述べたことと繋げると、それなりに意味を持ちますね。すなわち、この社会自体がサイコパス的側面を持つのだとするなら、自分もまたその種子を繋いでいる存在ではないか、という感覚を抱かせるのです。これが大人の悪人ならば、「怖い人間がいるものだ」で済むところを、そうさせないものを描いているのですね。

 正直なことを言うと、映画的な面白みという点で行けば、対応年数を大きく過ぎている感があります。ヘイズコードにがんじがらめだし、味としては素朴すぎる。でも、だからこそ表面的な刺激に頼らず、その本質がむきだしになって迫ってくる。このローダは他人ではなく、どこかしら自分である。もしくは、この社会それ自体である。つまらなかったという人でも、そういう目線で観てみると、また違う感覚を得られるであろうと思います。


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by karasmoker | 2015-01-28 00:00 | 洋画 | Comments(2)
Commented by golow5060 at 2015-01-28 00:43
レヴュー読ませて頂きました。流石と言うか、karasmokerさんであれば当然と言うか「無垢な存在としての子供」と「犯罪者の遺伝子」への懐疑に言及されましたね。作品としての面白味に欠けるのは、僕も同感なのですが上の様な現代にも通じるテーマをどのように観てもらえるかが楽しみでした。ローダ役の子役の表情や演技に関してはどうでしたか?私見では直接的な暴力描写に替わるものに思えました。ありがとうございました。
Commented by karasmoker at 2015-01-28 01:26
コメントありがとうございます。
「犯罪者の遺伝子」みたいなものを今つくればナンセンスと嗤われます。ですが一方で、「我々の社会自体が持つ犯罪者性」というものがあるのであり、その意味でいえば我々は結局のところ、犯罪者の遺伝子を受け継いでいるのではないか、などと考えたりもします。とても深い話になりそうですね。
 ローダ役の子については、個人的にはすっごく可愛いという感じは受けないのですが、そこは言っても詮ないところでありましょう。表情や演技でいうなら、リクエストいただいた別の作品、『エスター』のほうでこそ感服いたしました。
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