『自転車泥棒』 ヴィットリオ・デ・シーカ 1948

ぼくの成熟度としては、まだまだでした。
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ヨメンさんよりリクエストいただきました。ありがとうございました。

 




数年前に観たときにはぜんぜんぴんと来なかった映画です。見直す機会を与えてもらってありがたく思います。映画でもなんでも、「無防備に観る」とぴんと来ないことは多いものであります。やはりその背景となる社会の事情などがわからないと、それが何を表しているのかが伝わってこなかったりするわけですね。だから、「映画は感じるままに観ればよいのだ」的言説というのは明確に間違いであって、その時代のことなんかをある程度頭に入れた上で観る必要があるわけですね。

 本作はネオレアリズモと呼ばれる文化的な運動の中に位置づけられる作品です。ファシズムの時代を経験した後のイタリアで起こった、新写実主義運動というもので、現実の辛さや報われなさみたいなもんが一つの大きなテーマになっているようです。
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職のない男性が映画のポスター貼りの仕事を見つける。でも仕事で必要な自転車を持っていないので、家財のシーツを質に入れてなんとか自転車を手に入れる。しかし、あるときそれが泥棒に盗まれてしまい、息子と一緒にずっとそれを探し続けるという話です。
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 今見返してもね、じれったーい映画なんです。一言で言うと、「ムダ足映画」ですね。もうとにかくずーっと探している。自転車泥棒ってどんな映画? と聞かれたらそれに尽きます。ずーっと自転車を探している映画だよと。

以前のぼくが途中で投げ出したくなったのはひとつに、エンターテイメント的な構成として、まったく出来上がっていないからなんですね。設計思想自体が、物語的な常道を完全に外しているのです。うまくできている物語というのは、必ず行動に意味があるんです。
一見無駄足かと思いきや、あとで意外なところと繋がっていたりとか、思いがけない出会いによって別の道が開かれたりとか、そういう伏線と回収によって物語というのは編まれていくものです。
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 ところがこの映画はそこを完全に裏切ってくる。友人に掛け合って一緒に探してもらうんですけど、結局見つからない。で、そこから何かに繋がっていくわけでもない。
 じいさんを追い回すのもそうですね。泥棒の知り合いじゃないかと言って一人のおじいさんをずっとつけ回して、ここでかなりの尺を使うんですが、結局おじいさんはどこかに消えちゃって、何も得られない。この映画がびっくりさせるのは、その過程で、別の何かを得るとかそういうものが一切ないところです。本当にただ、骨折り損のくたびれもうけが描かれ続ける。
 いちばん拍子抜けさせられるのが占いのシーンですね。レストランでの食事中に、占いに行こうと思いついて(ここは序盤に伏線が引かれています)、いざ出掛けてみるのですが、占い師には「どこにあるかはわからない。見つかるか見つからないか、どちらかだ」と激しく無内容なことを言われるんです。で、結局見つからない。
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 まあ、リアルと言えばこれ以上なくリアルですね。
 通りすがりの誰かが親切をしてくれるわけでもないし、別の事件に巻き込まれてドタバタ劇があるわけでもないので、その意味では嫌になるくらいのリアルです。
 個人的に言うとしかし、この手のリアルは今は観たくないですね。そんなものはこちらも、散々に経験してきたよ、というところもあって。いろんなものに縋りながら結局は何も得られなかったり、いけるかと思いきやてんで駄目でとぼとぼ帰ったり、そういうことを繰り返してきた自負があるので、これを観ても、気分がどよんとしてしまう部分が強いです。
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 ある意味では呪いの映画なんですよね。この主人公は自転車に呪われてしまったとも言える。これをポジティブな映画にすることもできるんですよ。自転車はなくなっちゃったんだから別の生き方をしよう、と別の仕事をして、お金が貯まった後になくなった自転車が出てくる、みたいな映画ならポジティブなんですけど、この映画はそうなれない。ずっとなくなった自転車に取り憑かれている。だからある意味で、夢を追う人間の戯画として見えなくもない。ぼく個人はそこで胸が痛くなるところがありますから、彼に対してはそれでもなお「もういいじゃん」とは言えないんです。人によってはこの映画、途中で「もういいじゃん」と言いたくなると思うんですよ。だからある面では、人間性をはかる作品でもありますね。
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 ただ、ここまで書いて思いますけれど、今回もそこまでぴんとは来なかったのですね。
 正直、「これは名作だ」という思いは湧いてこないのです。親子愛がどうの、という感想もあるのですが、別段この父親が息子のために何かしたという場面もないんです。父親がうろうろするのに息子がとことこくっついてるだけですから、ああ、この親は子供を大事にしているんだなあ、というのもないのです。
 最後の場面は確かにね、うわあ、なんて無様なのだろうと悲しくなるんですけど、もっと無様なものはこの世に溢れているよな、と思わせるくらいの無様さなのですね。今これを観ても、そこまで感じ入るものはない。
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 やはり映画というのは時代固有の、土地固有の空気というのがあります。
 たとえば『エヴァ』なんかでも、今観ても面白さはそこまでじゃないと思うんです。そりゃもちろん面白いんだけど、あれは90年代あってのものなんです。本作にしても、僕にはこの映画の空気感がそこまでぐっとくるわけはないし、この映画に描かれる無様さというのは、映画に描かれなくても嫌というほど感じているものだったりする。結論から言うと、ぼくが観るにはまだぼくの成熟度が足りていないのだろうな、という感じがしました。子供を持ったりするとまた違うかもしれませんが、まだ深いところまでは見えてこない。もやっとした終わり方で不本意なのですが、ここまでとさせてくださいませ。
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by karasmoker | 2015-02-05 00:00 | 洋画 | Comments(2)
Commented by よめん at 2015-03-06 01:04 x
レヴューありがとうございます。
この映画を見たのは何年か前のBS放送でしたが、見終えた後は「何でだよ」というやるせなさが残りました。
普段あまり映画をみないのですが、時間つぶしで映画館に入り観た「息も出来ない」を見終えたあとのやるせなさに近かったです。
自転車泥棒ですが、今思えばおっしゃる通り「むだ足映画」だったような気がします。
しかし結末の印象が強かったため、他の記憶がありませんでした。
DVDを購入したにもかかわらずまだ見返せてないのですが、私ももう一度観てみたいと思います。
Commented by karasmoker at 2015-03-11 23:52
コメントありがとうございます。
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