『プライマー』 シェーン・カールス 2004

ロジカル野郎のド直球
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砂ぼうずさんよりオーダーいただきました。ありがとうございました。



 一つ前の記事で「考えさせてくれる文学的な映画がほしい」と書いたのですが、どえらいもんがやってきた感じでございます。正直な話、いわゆる「難解な映画」というのは苦手なのですね。苦手というか、初見ではまずわからない人間なのです。ミステリーなんかでも、ちょっと込み入ったものになるともう絶対に騙される。本作はそんなぼくにとって、もうどうしていいやらの一本でございます。

 タイムトラベルもの、タイムパラドクスものの映画で、見るからに低予算。一種のタイムマシンみたいなものをつくった二人が、何度も時間を行き来する中で話がくちゃくちゃになってしまいます。分析サイトがたくさんあるみたいで、そっちの話はもうそっちにお任せするしかないですね。というより、それを読まないともうぼくにはわかりません。
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幻滅させてしまうでしょうけれども、観ている間はわからなすぎて、何がおもろいねん状態に陥っていました。ん、これはどういうことなのだと整理しているうちに次々わからなくなってきて、逆にぼけーっとしながら観るという、「難しい授業を受けている、勉強ができない生徒」みたいになってしまいました。そういう場合の生徒はどこに縋るかというと、「ここだけはわかる」「よくわからないけど語り口は面白い感じがする」という形でなんとか参加を試みるのですが、いかんせんこの先生はどんどん話を複雑化させて留まらないため、ぽかんとなりました。
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この映画の面白さはきっと、ある種の数学的な面白さなんですね。パズル的な秩序の構築というか、起点と終点の整合性の獲得というか、そういうもんを楽しめる人は結構楽しめたと思います。ぼくはその辺のセンスがないかもしれません。
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 ここ最近で取り上げた難しい映画でいうと『複製された男』があるんですが、あれはわかりやすい引っかかりがありましたね。同じ顔の二人の人間がいる、しかもどうやら二人とも別々の人格をきちんと持っていて幽霊的存在には見えない。そういうわかりやすい入り口があって、大グモの存在が視覚的な面白みを与えていた。それで謎が解けるとすっきりして、アハ体験ができる。おう、鮮やかな構造だという風に見えてくるし、その手があったかあと爽快な感じがある。ヴィジュアル的な面白さをきちんと重視している。

 本作はその辺の外連味を持っていなくて、透徹した論理の美学みたいなところでつくられています。外面はどうでもいいんですね。たとえば劇中で、どこの誰々がこういうことをしたぞ、みたいな話が出てきても、そのシーンをそれほどちゃんと描いてくれない。この映画にとって大事なのはシーンの面白さや印象づけではなく、論理的にどう繋がっていくかであり、どこの誰々がこのときここにいた、という事実だけなんです。分析する人はその出来事の情報を元に、また推理を組み立てていくというわけです。
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 言ってしまえば、「徹底して、論理で作られた映画」じゃないかと思うんです。だから分析したい人にとってはこの上なく楽しい作品なんだと思う。そしてそれは、低予算映画のひとつの攻め方として、格好いいなとも思います。制作費はたった七千ドルとも聞きますし、実際これを学生が撮ろうと思ったら撮れてしまうと思います。それくらいヴィジュアル的には何も面白くない。でも、そんな低予算の作品が一部の人には強い興味を与え、分析熱をたぎらせている。
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 正直に言えばぼくにはよくわからなかったし、分析してやろうと思うような映画的面白みも感知できなかったけれど、この「インテリのド直球」的な意欲には敬服します。金もないし、面白い画は撮れないし、美女もいないし、セックスもバイオレンスもないし、オタク的な興味をそそりもしないけれど、俺にはとにかくロジックがあるんだよ! という心意気。もう本当に、そこだけで勝負している。この映画に面白さを覚えた人は、たぶんそこになにがしかを感じている。
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あいにく、ぼくの興味のある部分とは違います。「難解な映画」というと聞こえはいいけれど、その種の映画が持つ裏面は「不親切な映画」でもあるわけですね。キューブリックのあの『2001年宇宙の旅』にしても、映画に「マジック」を生み出すためにあえてわかりにくくしている。説明を切ったりとかね。その不親切さゆえに、ぼくの観たい部分とは外れてしまったというのはあります。時間を行き来する話ならばやはり「リグレット」がほしくなるんですね。「人生はこうじゃなかったかもしれないな」という可能性問題みたいなものがほしくなるし、そこに人生のなにがしかを読み取りたくなる。その意味においてやはり、時間を行き来したからこその印象的なシーンというのはほしかったんですが、そういう部分の旨味は監督の興味ではまったくないらしいので、そこは合わなかったなあというのがあります。
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なんだか中身のあることを何も書けなかったような気がして恥ずかしいのですけれども、この映画について中身のあることというのは既にさんざっぱら書かれているでしょうし、致し方ありません。皆が散々論じ合った数学的問題に、新たな知見を与えられるような人間ではないのであります。ぼくに述べられたことはただ、「難解な映画だし見た目にも面白くないよね」という評価に対して、「いやいや、ちゃうで。こないにまっすぐ我が道を行こうとしとる野郎はそうそうおれへんで」と、外野のおっさん的に称賛を送ることだけでありました。

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by karasmoker | 2015-04-16 00:00 | 洋画 | Comments(0)
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