8,6秒バズーカ―の件

「ラッスンゴレライ」のネタでブレイクしている8,6秒バズーカー。そのネタが反日的暗喩に充ち満ちているのではないか、彼らは反日的な人間ではないかという話がネット上に渦を巻いているようです。この辺りについて考えてみましょう。

 と申しましても、あのネタにまつわる疑惑をひとつひとつ検証しようという類のものではありませんので、そういうのに興味がある人は読んでも仕方がないですよということを、先にお伝えしておきます。

 さて、ところで、件のネタや芸人に関する疑惑について、本当だと思うかどうかを正面から問われたならば、ぼくはこう述べます。
「ぼくにはわからない」と。
 前回の山本圭一さんにまつわる記事でもしつこく触れたとおりに、わからないものにはわからないとしか言いようがないのです。今回の件で言えば、件の芸人さんがどういう思想を持っているのかぼくには判断できないし、疑惑とされている要素のひとつひとつについて誰もが納得できる答えなど示せはしない。既にデマだと断じられているものについて「なるほど」と思うこともあれば、奇妙な符号があるぞという主張について「なるほど」と思うものもある。基本的な姿勢はつまり、「真相はわからない」という、ごく平凡なものに過ぎません。

 では、何を考えてみたいかといえば、ネット上でつぶさにネタを検証しようとしている人の、その心性です。有り体に言えば、「かのコンビが反日的であるという証拠集めをしている、その人の心性」。ぼくの興味はそこにあります。そういった人たちはなぜ、かのコンビが反日的であると「信じたい」のか? 「反日的であってほしい」と思っているのか?

こう述べると、「別に、反日的であってほしいとは思っていない」と返されますでしょうか。そして、「反日的であってほしいとは思わないが、数々の証拠がそれを示しているのだ」と言われるのでしょうか。OK。証拠というのは、「誰がどう見てもそうである」といえるものでなくてはならない。解釈の余地があってはならない。そういったものをひとつも提示できずに、「そう言われればそう見えるかもしれない」というものをいくら並べ立てても、それはひとつの証拠にほど遠い。繰り返しますが、ぼくは彼らが反日的な思想の持ち主かどうか、わかりません。疑惑を叫んでいる人が、あるいは正しいのかもしれない。ただ、残念ながら、証拠はないのです。もしもあなたがそれらの「証拠」に説得力を感じているとするなら、あなたが見つめるべきはモニターではない。説得されたいと感じている、あなたの内面です。なぜ、反日的であってほしいと思っているのか?

 反日的なものを見つけるべきだからか? 反日的なものを見つけて潰すべきだからか?
 もしそうだとするなら、それは大変愛国的な精神だと思います。そして、そのような崇高なる精神は、ぽっと出の芸人に向けるのはあまりにももったいないものです。その強靱なる精神は、アメリカ政府に向けるべき類のものでありましょう。「原爆投下は非戦闘員を大量に殺害する非人道的行為であった」ことを認めさせ、米国から謝罪を引き出す熱意とするべきものでしょう。そこに力を結集すべきだし、呼びかけるべきでしょう。あるいは、原爆投下を是としている米国人のブログやSNSを見つけて、皆で反論をぶつけるべきでしょう。ちまちまと証拠集めをする労力は、日本人を侮蔑する発言の摘発にこそ、傾けられるべきでしょう。なぜ、たかがお笑い芸人などに? なぜ、いずれは消える可能性の高いような芸人に注目するのです? なぜ、彼らが反日的であってほしいのです?

世間が気づいていなくて自分だけが気づいている真実がある、と感じたとき、人は気分が高揚するものなのでしょう。世界の謎を解いたような気がして、すごく聡明であるような気分になれて、いい気持ちになるのでしょう。そして、一度そう感じてしまった場合、その解釈を取り下げることは難しいのかもしれない。自分の知性に疑いをもたれることは、人間にとって好ましいことではないからです。

 彼らが反日だったところで、実のところ何の意味もありません。仮に彼らを潰したところで、原爆投下を実行したアメリカ政府には塵ほどの痛痒もありません。本質にはかすりもしません。彼らが潰れたとき、起こることはひとつ。潰したいと思っていた人間が「すかっとする」こと。ただそれだけです。これが、ぼくの提示する仮説です。むろん、証拠はありませんが。

 彼らには反日的であってほしい。なぜなら、反日的なものを見ると気分が高揚するから。潰すとすかっとするから。

 それならそれで構わない。反日的なものを潰してすかっとするのは思想の自由です。
 ただその場合、そういう人はいくつかの項目にチェックサインを入れることになるでしょう。

 まず、そういう人は、己の「すかっとする」のために日本を利用するという、まったく非愛国的な精神をお持ちだということです。日本という国家、日本という共同体は、そういう人の自尊心や満足感のためにあるのではない。万世一系の皇統を有する、世界に類を見ない国家です。にもかかわらずそういう人はそれを利用し、反日的なものを設定するための道具とし、つまりはオナニーのおかずとして用いている。ぼくはなにもそれが悪いとは思わない。ただその行為自体はかなり反日的であり、ひどく国辱的だなあとは思いますが。

そんなことはない、自分は真に日本を思っている。と、おっしゃるでしょうか。であるならば、繰り返します。あなたの標的は、いずれ消える可能性の高い芸人などではないはずです。

 断っておきますが、これはスポーツの日本代表が相手国のチームや選手に勝ったときに芽生える喜びとは、まったく違うものです。日本代表は公式に認められ、国際的にその立場を正式に認められたものです。それが勝ってすかっとすることには、何の国辱性もありませんので、誤解なきように。

 さてふたつめ。反日的なものを潰してすかっとする。そのために証拠のないものを反日的だと信じる。その心性をもたらすのは、反日的なものへの依存です。そういう人は、いつでも求めているのです。反日的なものにいてほしくていてほしくてたまらない。そしてそれは、潰せる程度のものでなくてはならない。発信元がデマであろうとかまわない。なぜなら、すかっとしたいから。この心性が何故に生み出されるものなのか、ここでは論じませんけれども、この依存的傾向はたぶんに病理に近しいものであろうと、過去の記事で既に述べております。

まとめましょう。8,6秒バズーカー反日説を信じる人は、「今のところ」、自分の知性に疑義が挟まれることを嫌っている。「今のところ」、かの芸人が反日であってほしいと思っている。そして、反日であってほしいと思っている人間は、実は反日的なものに依存している。
  
まったくでたらめな分析だ、とおっしゃるでしょうか。でも、ぼくもまた自分の考えを信じているのです。彼らが彼らの考えを信じるのと、ちょうど同じように。「今のところ」と付け加えたのは、かの芸人の正体が、今のところはわからないからです。今のところ、反日説は単に唾棄すべき陰謀論ですが、もしかしたら、真実かもしれません。そのときぼくは自分の見識の無さを痛感し、世界の思いがけなさに触れることができます。

 さあ、真実を追い求めてください。

 たとえその先に、何もなかったとしてもです。

 仮に本当に反日だとして、「だから何だ」と虚しい結果を招くとしてもです。

 ぼくもまたきっと、反日の姿を追い求めるあなたを、求めているのでしょうから。




  おもしれえから。バカみたいで。
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by karasmoker | 2015-04-26 00:56 | 社会 | Comments(0)
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