憲法の変え方とその資格について

 憲法を変えるべきか否かという論議が、とりわけ第二次安倍政権になって以降、そこかしこに見聞きされるようになりました。この件について、あなたはどちらの立場ですかという問いははっきり申しまして、現段階においてそのすべてが不毛であると思います。メディアはこの不毛な問いを、この後もしばらく続けるのでしょう。

 どう変えるかもはっきりしないうちに、ただ変えるべきかどうかというのはあまりにも意味がない問いです。たとえば、どうでしょう。「あなたという人間は、変わるべきではないですか? どうですか? 今の人生は完璧ではないでしょう? 完璧ではないならさあ変わろうじゃありませんか!」と言われても、返答のしようがないのです。だって、どう変わるのかもわからないから。

 どう変えるかもはっきりしていない。という事実は、改憲を進めたい人々の決まり文句に見ることができます。すなわち、「GHQに押しつけられた憲法だから変えよう」というものです。GHQ、ひいてはアメリカによって押しつけられた憲法を、後生大事に守っていては、いつまでも日本は精神的自立を果たせない。自国の憲法を自国でつくるという当たり前なことをやろうではないか。これについては、ぼくもそう思います。やはり自国の憲法は自国の人々によってつくられるのがよかろうと思います。ここにはひとえに、「敗戦国日本」から脱したいという浪漫があるのです。浪漫はとても大事なものであります。

 さて、しかし、それはとても難しいことです。ことによると大変ブザマな事態を招きます。と申しますのも、たとえば「加憲」であるとか「部分的改憲」であるとか、そういったものを果たしたところで、ちっとも浪漫は実現されないからです。精神的自立は果たせないのです。「8日間で作られたものを、戦後70年経って、国内で散々揉めに揉めたあげく、やっと一部分だけ変えたぞ」というのでは、浪漫を抱いた分だけあまりにもブザマ。沽券に関わります。一部分だけやって風穴を開ける、みたいなことをおっしゃる人はありますまい。浪漫が泣きます。

 それなら一字一句変えないほうが、まだ格好が付くのではないかと思います。一字一句変えずに、いつか日本がアメリカを超えるような国になってごらんなさい。いや、ある意味で既になっているわけですね。「戦争で自国民を死なせるようなことがない国」を実現したわけです。これを永久に守り続けることが、護憲派にとっての浪漫というわけです。浪漫と浪漫のぶつかりあいがここにあります。

 だからこそ、「押しつけられた憲法だから変えるべき」派の人たちは、全部変えなくてはなりません。ぼくも究極的にはこの立場です。でも、だからこそ、今の改憲派の人たちには、なんとも頼りない感じがして仕方がないのであります。

 自民党は数年前に、改憲草案を発表しました。あれが結党以来、改憲の志を抱き続けて半世紀以上経った末につくられたものであるとするなら、はっきり言って、憲法を変えるに足る知性のようなものが、完全に欠如していると言わざるを得ません。誰からも文句を言われないようなものはできないかもしれない。でも、改憲したいと願い続けて、できたものがあれでは、本当にどうしようもないではないですか。ある議員はあの草案を「たたき台」とおっしゃっていましたけれども、台が腐っていては立つものも立ちません。

 中身もろくに考えることもできずに、変えよう変えようと言っている下品さ。
 ぼくはここで、ある恐るべき考えを抱いてしまいました。
 彼らは、憲法というものを真剣に考える気がないのではないか?
「なんか憲法っていうのがすげえ大事にされてるみたいだしさ、それ変えたっつったらすごくね? なんか、すげえことやった感じしね?」程度でしか考えていないのではないか? そんなことはないって? 誰が信用するのです。50年掛けてあんなものしかつくれない人たちを。それでいて、「8日間でつくられて押しつけられたものだから駄目だ」などと言っているような人たちを。
 
 いったい、何を急いでいるのでしょう。まさかとは思いますが、「安倍政権が続いているうちに変えよう」「盛り上がってるうちに変えよう」みたいな、クソつまらない考えでいるわけではないでしょう。しかしもし仮にそうだとしたらきわめて国辱的な、憲法のことなど何も考えていない、単に自分たちの自己顕示欲求のみに支配された連中だということになります。いや、まさかそんなはずはないでしょう。読み流してくださいませ。

 本当に自立的な憲法をつくりたいなら、落ち着いてやればいいのです。たとえば今から五年間、超党派の議員や学者たちを集めるだけ集めて、じっくり議論する。もちろんその間も適宜メディアに議論の模様を公開していき、各条項についても意見を募る。そして五年後、どこに出しても恥ずかしくないような憲法草案をつくりだし、国会で発議し、現行憲法とどちらがいいのか国民の投票にかける。それでもし駄目だったとしたら、また五年間、修正を繰り返しながら形を整え、あらためて投票の機会をつくる。

 保守というのは、急激な変化を好まず、それまであったもののよさを活かしながらじっくり前に進んでいこうという立場ではないのでしょうか。それがこの憲法に関してだけは最近、妙に革新めいた動きをしているのが不思議で仕方ない。安倍政権が続いている間にとか、国民の関心が高い間にとか、今がチャンスだとか、そんな視力の悪いことを考えているはずはまさかないでしょうし、だからこそ本当に不思議です。こんな奇妙な状況が続くと、今に不条理文学みたいな事態に陥ってしまうかもしれません。

 たとえば、海の珊瑚を潰して外国の基地をつくりつつ、一方で「環境権」を憲法に盛り込もうとか、そういう精神分裂的な政権ができるかもしれません。あるいは、一方の口では外国に対し「民主主義を教えてくれてありがとう。地球の裏側まで戦争支援に行きます」と約束しながら、一方の口では「外国に押しつけられたあんな憲法は駄目だ」という、変な総理が出てきてしまうかもしれません。もしもそんな内閣があったら、憲法を変えるに足る「格」は当然ないのですが、今のところそこまでひどい事態にはなっていないようですので、粛々と憲法論議を進めるのが良ろしかろうと思います。

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by karasmoker | 2015-05-04 02:03 | 社会 | Comments(2)
Commented by ×× at 2015-05-07 10:08 x
××失礼しますが、自分は政治や法律、世界問わずの歴史学、心理学など幅広い学門をやっておりますが、変えるなら憲法は長い目で段々と変えていけば良いんでね派です。ま、横やりが入って無理でしょうがね。
当然、今のままではいけないことはテロやお隣の国々からの惨状を見れば確かで、その脅威に対する危機感は最近やっと一般人にも
日に日に強まってきていますね。
ですが、急な変化は必ず抗争を呼びます。現にこれまでの歴史が証明しています。

国が何かをやる際には、まずは、一般人個々レベル意識、国の本当の現状などの国内の地固めをしなければならないのですが、現在の日本、政府も国民もそれが全くできていません。増税の件もぶっちゃけそうです。政府は増税する前に経済学の視点から見てもやるべきことをすっ飛ばしてしまいました。今は8%だからまだ良いですけどね。
で、私は憲法改正反対云々や憲法改正賛成云々とやたらめったら唱える輩はただのカルトにしか見えません。
なぜなら、あの中で少なくとも政治と法律、歴史くらいをしっかりと学んでいる人は一体何人居るのでしょうかと。こういった問題を唱えることは小中高のレベルの知識でははっきり言って全くお話になりません。鼻くそほじるレベルです。現に私は酒の席での上司が垂れるこういった政治論は鼻くそほじってますよ。
とりあえず言っておくと、憲法九条の基礎を作ったのは何を隠そう日本人であり、それを含め農地改革など、日本国憲法の中の一部の構想は戦中から既に日本にてあったわけです(それは当時お縄になっていない、政府などの第一線で活躍した人の中に何人も居ました)。日本国憲法は日米合作な訳ですが、この事実、知らない人はめちゃくちゃいるんですよねぇ…。困ったもんですな。

さて、実際、現代日本は世界的に見てかなり脆弱で不法入国者が後を絶たず、国内外のヤバい連中によって夜は無法地帯、日本はアブナイブツの中継地点という良いカモな国です。
来たるテロリズムに備え、少なくとも他のヨーロッパあたりの国々と同じく対テロリズムという名目の気持ちばかりの強化は必要だと思います。日本では憲法でなくてね。現に幾つか実行されているようですが。現在の日本の政府では、どこから刺されるかわかりませんので詳しくは触れませんが、結論としては我々一般人が危機意識を持ち、腹をくくる以外無いですね。
Commented by karasmoker at 2015-05-09 11:46
コメントありがとうございます。
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