『セリ・ノワール』 アラン・コルノー 1979

ぼんくら駄目野郎の話は大好物なのですが……。
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di9tkmtnakrsqhomn さんよりオーダーいただきました。ありがとうございました。



 ぼくは正直、フランス映画というのがあまり好きではない、ということはないんですけれども、日本、アメリカ、韓国などの作品に比べるとどうにも旨味が得られないことが多いです。ノリが合わないと言いましょうか。だからこのブログでもヌーヴェルヴァーグ系の作品はほとんど取り上げたことがないんです。ヌーヴェルヴァーグの良さがわかると格好いい感じがするからいろいろ観てみよう、の時期は過ぎてしまいましたし。

 本作はヌーヴェルヴァーグではなく、タイトルにもあるとおりのいわゆるノワール的なもののひとつに数えられるのかなと思いつつ、実際は結構純文学っぽいノリです。少女に恋した男がばあさんなどを殺してしまって、という話なんですが、うーむ、ぼくには旨味がわかりませんでした。残念ながら。

 主演はパトリック・ドベールという俳優で、この三年後にライフル自殺をしているんですね。神経症的な顔つきで映画の風合いにはあっていたと思うのですが、主人公の性質自体にどうもぼくは惹かれませんでした。そこが大きかったのがまずひとつあります。
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 主人公は日用品のセールスマンをやっているのですが、あるとき訪問した家である綺麗な少女に出会います。老婆と同居している少女なのですが、彼女は主人公が部屋に入るなり全裸になって迫ってきます。この辺の感じはすごくミステリアスでよかったんです。ほとんど喋らないし、序盤だから掴みにもなっているし、何かが転がっていくなという予感は好もしいものでした。他方、主人公には妻がいて、彼女とは不和なんですね。それで妻は出て行ってしまう。
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 少女は同居している老婆によって、売春行為をさせられていると思われ、主人公は計画を立てます。老婆をぶち殺して彼女を救ってやるのだと考えます。で、彼女を襲ったような男も出てきたりして、主人公は二人もろともぶっ殺すんですが、ここがピークでした。

 正直ここまでのくだりも長いなと思っていたんですが、やっぱりぼくはアメリカ映画の持つノリに惹かれるんですね。あのノリと引き比べると、どうもフランス映画はもたもたしている気がしてならない。全体的に、「もったり」している感じがしてしまうんです。この話なら110分も要らない。100分か95分くらいでいい。
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 別に序盤からぶち殺しまくればよいというものではないし、この主人公の行為に重みを持たせる意味でも引っ張るのはいいんですが、だったらそこから加速してほしかったです。殺したらもう行くところまで行くしかないぜ、という風になるのかなと思った。ところが主人公はその後、虚空に向かって独りごちてみたりして、なんだかもたもたしているんです。ああ、やっちゃった、やっちゃったよ俺! というのがどうにも見えてこない。ここのノリなんです、ぼくがあまり魅力を感じられないのは。セールスマンの口上を垂れてる場合じゃないでしょう。それならそれでいいけど、直後に耐えかねて吐いてしまうとかね。そういうのがないと、ただのサイコ野郎にさえ見えてしまいます。
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なおかつこの映画はその後、妻が戻ってきてしまう。いや、それはそれでいい。少女のために老婆たちを殺した、取り返しのつかないことをした、かと思うと妻が戻ってきてなんか今までの暮らしが戻ってくるのかな、ああ自分はどうすればよいのだ、というのはわかるんですけども、この「自分はどうすればよいのだ」感がぼくにはあまり見えてこなかったんです。お話として加速していかない。正直ぶち殺した時点でもうポイントオブノーリターンは超えたんだから、熱量を上げてほしいのに、妻が戻ってきて「もったり」してしまう。正直、妻が戻ってきたところで少女のところに行く展開は見えている。
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 これはひとつのセオリーですけども、やはり序盤や中盤でやったことを終盤では超えなくちゃいけないんじゃないかと思うんですね。本作で言うと、後半の最初のほうで二人殺しているでしょう。しかも一人は銃をぶっ放してね。だったら、終盤ではそれに匹敵する暴力を観たくなってしまうんです。あるいは何かそれ以上に取り返しのつかないことですね。にもかかわらず、最後は妻が死んだんだか死んでないんだかわからない地味な閉じ方だし、上司のおっさんにも大人しく金を渡してしまっている。そこはもう、二人とも銃でぶち殺してしまえばいいんじゃないでしょうか。銃は犯行現場に置いてきている? もうそこはごまかしてくれていい。大体老婆の倒れた位置もぜんぜん一致させてないわけだからあの時点で捜査のリアリティなんかない。それよりも、終わりの盛り上がりをつくろうとするほうが尊い。「老婆が殺した模様」という新聞記事でほっとする展開は要らない。「犯人は依然逃走中」にして緊張のフックを仕込んだ方がいい。
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 でなければ、中盤で銃を使ってはいけない。少なくともあのおっさんに大人しく金を渡すのは、あまりにも消化不良な感じがしてしまう。なんだ、今まで取り返しのつかないことを散々やってきたのに、ここでは大人しく引き下がるのか。だったら今までの時間は何だったんだろう、という徒労感だけがわだかまる。

 この映画の十年前には既にアメリカ映画で『俺たちに明日はない』がありますね。俺たちはもう行くところまで行くしかないんだよ! というあまりにもブザマで不器用な生き方があったわけです。ああいうのを観ていると、もうもったりしてもったりして苛々してしまう。
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冒頭でもわかるとおりに、主人公はぼんくらだし、駄目男なんです。ぼんくらの駄目男映画というのはぼくの大好物です。だからこそ、これじゃない感が強い。今まで観てきた幾多のぼんくら駄目男たちの魅力にはぜんぜん及ばないというか、そこはもうフランス映画のノリとの相性かもしれません。「こいつ駄目だなあ、でも、わかるでえ」というのがなかった。言ってしまうと、この男の場合、あの少女とは行くところまで行ってやるぜ!という先々が想像できない。どこかでまた別の出会いがあったらそっちになびくんじゃないのという気がしてしまい、あの結末に哀感がこもらない。ぼくはあの主人公が好きになれなかったんです。それが一番大きい。

 最近取り上げたものだと、『ウィズネイルと僕』を観たときに近いです。これが好きなのだといわれれば、そうですかとしか言いようがないというか。すみませんが、ぼくにはどうにも魅力のわからない一本でありました。 

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by karasmoker | 2015-05-15 00:00 | 洋画 | Comments(0)
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