『ベルフラワー』 エヴァン・グローデル 2011

頭の悪さが、煮ても焼いても食えない腐れ具合で。
d0151584_05020021.jpg




世間では『マッドマックス』の新作が公開されているそうで、当ブログにも『マッドマックス2』の記事にやってくる人がちらほらといらっしゃいます。過去作は一応観ていますが、2→3→1の順に好きでして、やっぱり2の印象が強いですね。2は1981年製作ですからもはや34年前ですけれども、今新作を公開して人気になるということはつまり、同時代の人には原体験的な焼き付きを与えたということでしょう。ぼくにとっての『バトル・ロワイアル』みたいなものかもしれません。

 さて、本作は『マッドマックス2』に出てくる悪役、ヒューマンガスに憧れた男の作品みたいな触れ込みがあったので、どんなもんかいなと観てみました。はっきり言うとなんにも関係がないというか、むしろ主人公のアホさを示すための存在、みたいな使われ方でした。なくてもいいような、ないほうがいいような気もしましたね。
d0151584_05315953.jpg
主人公は監督自身であり、自主映画であり、なんとヒロイン役は実際に監督が過去に付き合っていた女性だそうで、かなり個人的な映画なんですね。『ベルフラワー』というのは監督自身の思い出の道か何かの名前だそうです。
d0151584_05320193.jpg
映画はと言うと主人公が恋をして、ふられて、落ち込みまくる映画ですね。
 舞台はどうやらアメリカ中部という感じですが、これね、この映画ね、一言で言うとあれですね、「北関東映画」ですね。日本でリメイクする場合、舞台は北関東が請け合いです。栃木とか群馬とか茨城とかその辺を舞台にリメイクするとはまりそうです。偏見大爆発で語っていますが。
d0151584_05320232.jpg
出てくる連中がだれも、「ヤンキーは卒業したけれどそのあとどう生きていいかわからないので、とりあえず地元でふらふらしている」感じがするんです。で、頭の悪いコミュニケーションを繰り返しながら、ついたり離れたりしているのです。
d0151584_05320498.jpg
 感想を申しますと、全体的にわりとだるいです。ひとつには構成の問題ですね。
 前半は彼女とくっついてハッピーというのがかなり長めに続くのですが、予告編でも失恋するのがわかってしまっているし、正直そこはもう前振りじゃないですか。何を長々と前振りをしとんねん、はよ先いかんかい、と感じてもったりしてしまう。幸福なシーンを描いて落差をつくりたいのはわかるけれどどうしてもだるくなるから、ああいう場合は「崩壊の気配」をもっと注入すべきです。その気配があるだけで、幸福なシーンにも緊張感が生まれるんです。そういうのがないと、どうしてもだるくなります。
d0151584_05321401.jpg
 で、ぼかあ思うのですけれども、主人公のあいつは何もしてなさ過ぎなんです。あの恋をきっかけに、よっしゃ、今までのぐだぐだした生活から抜け出して真面目に働くぞ、みたいなのがあれば、ふられたときの落差も生まれるけど、結局失恋しただけですからね。あとは車に轢かれたり。
d0151584_05321880.jpg
 映画において、主人公をどん底に突き落とすのは重要です。
 そのとき、失恋というどん底にプラスアルファが重なると深みが出るんです。失恋をきっかけに仕事をやめちゃうでも何でもいい。それまでの軌道が一気に急降下するからいいのです。ところがそういうものをまったく用意していないもんだから、何を配置したかといえば「車に轢かれる」。

 町山さんが激賞していて、「失恋の痛みがすごくよく表現されている」的なことを言っていましたが、さてそうですかね? にしては内面が薄過ぎやしませんかね? 失恋したときはそりゃ落ち込むしし、ああ俺は駄目な人間だなとか、あそこでああしていればとか、俺はどうしてこうなんだとかいろいろ考えもするけれども、こいつは「ふられたー、ぶっ殺してやりたいー」です。何も自分を顧みないのです。わかるでえ、おまえはおまえで一生懸命愛したんやなあ、でもうまく行かないことってあるよなあ、にならないのです。
d0151584_05322067.jpg
 いや、それならそれでいい。ぶっ殺してもよい。
 というか、『マッドマックス2』のヒューマンガスなんていう凶気の人物を前振りで出しているならそうするがよい。でも、そこまではいかない。だから結局、ヒューマンガスは出さなくてよかったと思うんです。火炎放射器、あの炎の咆吼に意味を与えるべきではなかった。炎というのは、内面を表す装置としてもすごく文学的に使えるというのに、なぜヒューマンガスへの憧れみたいなもんに押し込めてしまうのか。せっかくのいいモチーフを矮小化してしまっていると思います。
d0151584_05322126.jpg
 もうひとつ言うと、彼女に振られたあとでも、主人公は別の女の子がそばにいてくれたりしますからね。あれはどうやねんと。もてない人間がね、やっと見つけた恋愛だというならね、あそこで別の女の子がいちゃ駄目でしょう。しかもその子のほうが断然可愛い!

 まああれは妄想の世界のことみたいな話かもしれませんが、その辺でどうも監督が映画を客観視できていない感じがしますね。監督の元カノよりも、もう一人の子のほうが可愛いんです。あれだと、元カノにこだわる理由が薄まってしまいます。いや、わかりますよ。単純な容姿よりも、そいつとすごした時間の尊さみたいなものが本質なんです。でもねえ、そこまで踏み込んでくれている映画ではないですねえ。

「失恋野郎の共感」は非常にしにくい映画です。さすがに頭が悪すぎる感じがします。頭が悪いなら悪いで、ちゃんと悪くいてくれればいいのですが、これが煮ても焼いても食えない。この男を好きになれない。いや、男の失恋なんざしょせん、煮ても焼いても食えないもんかもしれませんが、ちきしょう、そんなこたあ、この映画に教えられるまでもない話だってんでい! 
 投げやりに叫んで、今日は終わり。




[PR]
by karasmoker | 2015-06-28 00:00 | 洋画 | Comments(0)
←menu