『エリジウム』 ニール・ブロムカンプ 2013

アクションの脚本としては実に正しい。しかし、設定に致命傷。
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 傑作『第9地区』のブロムカンプ監督によるSF作品です。
 時は2154年。地球は荒廃し、超富裕層はスペースコロニー「エリジウム」に移住しているという設定で、主人公はじめ地球に残された人々は、貧しい生活を強いられています。
 
 こうなれば作品の目指すべき場所は自ずから決まる。
 序盤で語られるのは「上の世界(エリジウム)に行きたいなあ」という憧れであり、幼い頃の主人公は「おまえは特別な存在だ」と老婆に語られます

 全体的な感想を先に言うなら、モチーフの活かし方がもったいないなあということです。この作品に出てくるのは超富裕層の社会と、荒れ果てた貧困社会。思い切りわかりやすく世界の二極化問題を語っているし、宇宙に難民として飛び立とうとする人々は移民・難民問題にばっちりはまっている。労働問題も描いているんだけれど、広げた分だけ掘り下げきれないでいた

 極端な設定というのは作品を面白くするひとつの要素ではありますが、いかんせんこの作品は脇が甘すぎた。簡単に言えばつっこみどころが多いんですね。どうしてこれはこうなんだ、という疑問が噴出してしまうんです。本作では安全保障問題も語られるのですが、まずいんですね。

 未来設定、特に高度なSFガジェットを出した場合に危険なのはここです。
「どうしてこれほどの文明を築いた社会が、こんなにもバカなのだ?」
そう思わせてしまうと、まずいわけですね。あれほどのスペースコロニーを築いたのに、なぜまともな安全保障体制もできていないのか。こういうのは設定の致命傷になります。現実の社会だってバカじゃないか。これは戯画だ。と、言おうと思えば言えるけれど、だったら宇宙を出しちゃ駄目でしょう。今よりずっと進んでいる部分を見せているのだから。なんでエリジウムの安全保障が、地上のおっさんによるミサイルなんだよ。

じゃあ『第9地区』はつっこみどころがなかったか、というとそうではありません。あの映画も変なところは多いわけです。だけど、そういうつっこみどころを吹き飛ばす熱量があったし、展開にも感動的なものがあった。今回はそこもないのです。

 ハリウッド的な構成は踏まえているし、物語でやっていることも悪くないんです。
 主人公は幼い頃にエリジウムへの憧れを抱きます。大人になった主人公は、労働現場で働いているのですが、事故が起きて放射線を浴びてしまい、数日の命と宣告されます。これを治すにはエリジウムに行かなくてはならない、というところから、大きく話が動き出します。

 脚本的にはとてもいいつくりです。昔は憧れだったものが、今は切実な課題となる。そしてその課題は、主人公の命に関わるものである。これは非常に巧いやり方です。また、(これはわりと話が進んでから出てくるのですが)好きな女性の子供の件もいいんです。主人公の好きな女性には娘がいるのですが、その子が白血病を患っていて、エリジウムに行かないと治せない。こういう設定を入れることで、主人公の動機が強まる

 また途中、主人公を助けてきた仲間が死んでしまうんですね。重要なバディを死なせるというのも、物語に弾みを付けるうえでは使える手です。そしてそのくだりにおいて、主人公は大きな敵から狙われる羽目になってしまう。要するに、主人公を追い込む手順は、綺麗すぎるほど綺麗に踏まえているのです。だから、観ている間は結構楽しめるのです。

 しかし、観終えてみると満足感がない。
 やはり、設定的致命傷が大きいんですね。特に、ジョディ・フォスターとウィリアム・フィクナーのくだりがまずい。ジョディ・フォスターはエリジウムの偉い人で、次のリーダーになりたいと野心を秘めている。かたやウィリアム・フィクナーはエリジウム市民の会社経営者なんですが、自分の会社がうまくいっていない。

 ジョディ・フォスターはリーダーになろうとしてクーデターを画策します。そこで、フィクナーに相談を持ちかけます。なんとかできないかと。するとフィクナーは、なんとかできるというのです。フィクナーはもともとエリジウムの設計者で、「エリジウムの秩序をすべて変えられるプログラム」を持っているというのです。

 何だそりゃ。
 超富裕層が暮らすコロニーをすべてめちゃくちゃにできるような代物を、経営不振の会社社長が持っているのですか。下町のおっさんが核兵器を持っているみたいな話です。いや、それはそれで面白そうな話だけど、その部分をあまりにもさらっと進めてしまうから、死ぬ。リアリティが

 アクション映画自体としてはね、悪くないんです。
 最初は下っ端でしかなかった敵が、ラスボスになるのは面白い。彼の登場するシーンは早めのところに置いてあるし、主人公と途中で一度接触させているのも正しい。アクション映画の脚本としていえば、要点はすごく押さえてあるんです。最後はステゴロというのも渋くていいし、脚本のお手本になるくらいです。この辺りはかなり緻密に組み立てたのだな、と敬服します。一幕から三幕の設計も正しい。

 だからなまじ、経済問題とか移民問題とか安全保障問題とか、あまりにおわせないほうがよかったんじゃないかと思うんですね。そういう「ド現実」の問題を組み込むなら、それなりにリアリティを担保しなくちゃいけなくなるああ、この社会は確かに成立しているんだなと思わせるエクスキューズを、もっと織り込む必要がある

とてももったいない印象を受けました。
 自己犠牲で終える結末もいいんだけれど、話を広げすぎたツケが回ってしまい、『第9地区』のようなアツアツの自己犠牲物語にはなれなかった。極端で魅力的な設定はその分だけ、「細部に宿る悪魔」への対策を怠らぬよう、気をつけねばならない。そんな教訓を与えてくれる映画でございました。

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by karasmoker | 2016-06-08 00:00 | 洋画 | Comments(0)
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