『愛の渦』 三浦大輔 2014

せいぜいが「愛の小さな波紋」。
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「乱交」を目的に秘密クラブに集った男女。その一夜にスポットを当てた作品で、もともとは舞台劇らしいです。監督による『ボーイズ・オン・ザ・ラン』の映画化もよかったし、わりと評価も高いようなので観てみました。

 主人公、というより主な視点人物となるのは池松壮亮。冒頭は彼がATMでなけなしの金を引き落とすところから始まります。街中をさまようように歩き、秘密クラブのあるマンションへと辿り着きます。そこで視点が変わり、次に出てくるのは門脇麦。乱交などとはほど遠い感じの役柄で、彼女が受ける説明によって、この話の中身が浮かんできます。

 客としてやってくるのは彼らの他6名。計8名による乱交の夜が描かれるのですが、この映画はものすごくテンポがゆっくりしています。登場人物たちの会話も全然弾まず、沈黙の時間がずいぶんと長いのですね。

 実際の乱交クラブみたいなものは僕にはぜんぜんわかりませんが、あれは果たしてリアルなのでしょうかね。異常なまでにみんな緊張しているし、よそよそしいんですね。まるで突然に拉致されて、デスゲームに連れてこられたような8人なんです。それにしたってもうちょい喋るだろう、というくらい最初は喋らないので、めちゃくちゃじれったいです。
 そこも狙いなんだろうと思うんですが、やり過ぎな感じも受けました。緊張しているならたとえば酒を飲み出す人間がいてもおかしくないのに、誰一人そんなことはない。音楽とかも最初はがんがん掛かっているのに、急に静かになっている。どうもリアルに見えてこないのです。

 テンポが遅くて沈黙を大事にしている映画なのはわかるけれど、だったらもっと会話部分に重きを置いたほうがいいのではないでしょうか。「ぎこちない会話」以上のものが出てこないんです。ぎこちないまま行為に行っているので、「そのセックスは楽しいのか?」とつっこみたくなります。第二幕への移行点は大体30分前後で、構成としては正しいのですが。

 一回目のセックスがひととおり終わってからもぎこちないままで、大体50分辺りからやっと性的な会話が始まるのですが、そんなのは第一幕でやっておけ、と言いたくなりました。第一幕でやるべきことを映画中盤でやっちゃっているので、映画としての膨らみはどうしても小さくなる。あのぎこちなさは、「初対面の男女がセックスをする」点において確かにリアルではありますが、なにしろ場所は秘密クラブなのであって、日常的なコミュニケーション風景を見せられてもなあと思ってしまいます。

 この映画の致命的な部分は、ぜんぜんエロくないということじゃないでしょうか。園子温ならもっとスケベに撮るだろうなあと劇中何度も思ってしまった。観ている側を高揚させてしまうような情欲の実りがないのです。それをして、「交わっていても乾いている」様を描いているのだ、とでもいうかもしれませんが、いや、それはちょっと寄り添いすぎです。この映画はエロに対して真摯ではないと思うんです。

 登場人物の中に、赤澤セリ演じるシャブ中みたいなヤリマンと、駒木根隆介演じるデブの童貞が出てきます。彼らは他の面々と交わらず、同じ組み合わせでセックスを続けるのですが、デブはぜんぜん常連を満足させられないんですね。まあ、童貞とヤリマンの組み合わせですからそりゃそうだろうと思う。でも最終的にはなんと、童貞は急成長を遂げ、「こんなの初めて」みたいなことをヤリマンに言わせてしまうのです。

 ここなんですねえ。「交わっていても乾いているリアルな風景」じゃなくて、変にフィクショナルになっちゃった。そして肝心のエロスも足りていないので、モチーフに対する真摯さがどうしても疑わしくなる。大体、フェラシーンひとつまともに映していないというのはなぜなのでしょう。ファックにはファックのエロスもあるし、フェラにはフェラのエロスがある。あるいは69のエロスだってあるでしょう。乱交なら複数プレイのエロスもあるでしょう。そういうバリエーションがぜんぜんないんです。こういう映画こそ、エロシーンにためらいなく挑めるAV女優をぜひとも起用してほしいものです。

 確かSODの高橋がなりさんのエピソードだったように記憶しているのですが、彼は会社で雇っている監督に対して、「おまえのAVは頭で撮っている。ちんこで撮ってない」と駄目出ししたそうです。まさにそんな感じがする。監督はこの映画を頭で撮っている。もちろんAVではないから、ちんこで撮る必要はないけれど、肉体表現がどうにも蔑ろになっている気がしてなりません。

 言ってしまうと、セックスを終えて夜も深まっているのに、部屋ではタオルを巻き続けているのはどうやねん、というのが大きくあります。どう考えても、あの状況ではもう全裸でいるでしょう。全裸が映画的に難しいのだとしても、女性陣が胸を隠している必要はない。胸をあらわにしながらもぎこちないテンションでいたりすれば、それはそれで面白みもあったろうに、映画的なお行儀をよくしすぎている

 だから、落差がないんですね。すべてが終わり、やがて朝が来るのですが、あの朝と夜に落差がない。あの空間がもたらす目眩も常習性も、過ぎ去った夢の気配も希薄なのです
 舞台は知らないのでなんとも言えませんが、少なくとも本作は「渦」ではない。せいぜいが「小さな波紋」程度のものです。登場人物が生み出す運動エネルギーのようなものはなく、ぽつぽつと浮かんでは消えるようなものでしかない。それを承知で撮っているのだとすれば、「渦」とつけてはいけない。

あれこれ言いましたが、観ている間は観ていられるんです。でも、どうしてもつっこみながら観てしまう。没入感は得難い。やっぱりね、映像の世界のエロというと、当然AVがあるし、同じ映画の世界でも浪漫ポルノがあるわけです。そういうエロをガチンコで撮っている人たちや作品を思うと、生半にエロの題材に取り組んだものに対しては、どうしても辛めになってしまいます。ひとまずは、そんなところであります。


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by karasmoker | 2016-06-10 00:00 | 邦画 | Comments(0)
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