電通問題を考える。

 社員の女性が自殺して以来、世の注目を集めるようになった電通の労働時間問題。あのあと、電通は夜十時以降にビルの電気を落とすなど、長時間残業を改める努力を続けているようです。ほとぼりが冷めたらまた……といってもこのご時世、すぐに写真をネットにアップされるでしょうから、なかなか深夜のビルの電気を再開するわけにもいかないでしょう。

 そんな電通が最近、隠れ残業をさせていた! ということでネットニュースにされています。この辺のことについて、考えてみたいと思います。

まず前提として、長時間労働は改善されるべきだと思うし、マスメディアが電通のような大企業について発信するようになったのも、いいことであると感じます。セクハラ・パワハラ問題も含め、事態の改善を図る上で、大企業の一件を取り上げるのも効果的なことであると考えます。

ただ、電通ほどの大企業となると、改善は難しかろうなあと感じられてなりません。隠れ残業をしていたと咎めるのもわかるけれど、そうでもしないと電通という会社は回らないんじゃないでしょうか。

ぼくは広告業界について詳しく知りませんが、あれこれと読み聞きするに、とりわけ電通は仕事に対する熱意がすごく、クライアントに対する執着も大変なもののようです。そうであればこそ、ここまでの大企業になってきたわけで、その社風を改めるのは相当困難でありましょう。
労働時間を短くすればその分、仕事のクオリティは下がるかもしれないし、クライアントの数も、受注できる仕事の量も減るだろうし、当然会社の経営にも影響する。それを果たして会社組織が良しとするのかどうか、できるのだろうか、という問題がある。
 これが別の業態であれば、あるいはもっと小さな会社の話ならば別です。
しかし、こと大手広告代理店となると、その広告主にも影響が出てくる。広告の力が弱まることになれば、クライアントサイドの宣伝力にだって差し障りが出る。そういう企業が無数にあるはずで、電通の問題は電通の問題だけでは収まり得ないのです。自殺した女性社員は会社からの長時間労働を強いられていたわけですが、その背後には広告主の存在がある。広告の大企業であればこそ、夥しい数の利害関係者がいるわけです。世の人は電通を叩くけれど、叩いている人の会社が電通に広告を依頼しているケースもあるでしょう。電通が駄目になれば、その人の会社にも影響があるかもしれないわけです。

 だからぼくは、「隠れ残業をしていた! 改善してない!」などといって叩く気にはなれない。残業せざるを得ない状況があるのでしょう。じゃあ何か? クライアントに対してクオリティを下げていいのか? クライアントの会社に影響が出てもいいのか? あるいは受注数を下げていいのか? それで会社は回っていくのか? 

そう考えていくとき、この一件はとりわけ、日本社会そのものへの問いであるなあと思い至るわけです。成長を果たさないことには国家の経済は立ちゆかない。一方で、その成長のためには労働生産性を上げねばならず、長時間労働もそのひとつとして許容しなくてはいけない。もしもそれにノーというなら、経済は鈍化してしまう。さて、それでいいと言えるのか?

 儲けは出さなくてはいけない。一方で、労働時間の改善もしなくてはならない。
 この背反的な事態に対するひとつの解は、たとえば人員の増加ということになる。
 年収一千万円の人間が一人で十六時間働く。その状況を改善するには、人間を二人に増やして八時間ずつの労働とし、それぞれを五百万円にする。
これは最も単純なモデルですし、ここまで綺麗な二等分はないでしょうけれど、会社の収支に影響を出さないように改善を図るには、労働力の分配を果たしていく必要がありそうです。ただこの場合は当然、今まで働いていた人間が収入的に割を食います。
そうならないようにするには、年収一千万円の人は据え置きで、年収がもっと低い人に労働を分配する。雇用を増やす。しかしこれは言うのは簡単、行うは困難。会社の人件費が増加してしまうし、現場でもスムーズに分配できるとは限らない。
 人員増をしないのなら、労働時間数を減らして年収も下げる。この場合、会社自体が縮小の方向に向かうことになりますが、さあ果たしてそれを許容できるのかどうか。
 
 長時間労働についての制度改善は必要、ととりあえずは言える。
 けれど、肝心なこととして見逃せない事実があります。
「我々の社会の発展は、その長時間労働によって支えられてきた」という事実です。
 とりわけ、電通の社員の方々はそれを誇りにしているのではないでしょうか。自分たちは広告で世の中を動かし、資本主義社会をリードする立場にいるのだ。自分たちがこの資本主義社会を支えてきたのだ。そういう矜恃もあるのではないかと勝手に感じています。その矜恃があるからこそ長時間労働に耐え、高収入を得てきたわけで、それもまた大きな誇り。そこに勤めることが社会的ステータス。なればこそ、その状況を変えるのはまた難しい。

 長時間労働が多くのサービス産業を支え、その産業によって我々の利便性は確保されている。長時間労働をやめろ、というとき、自分たちが享受するサービスの低下もまた覚悟しなくてはならないし、ことによっては収入の低下も受け入れねばならない。あなたの着ているその服は外国人が長時間働いたおかげで安く手に入るのかもしれない。あなたの好きなあのアニメはアニメーターが長時間働いてつくったのかもしれない。
 嫌なたとえではあるけれど、この社会はいわば長時間労働という奴隷制度によって支えられている。奴隷を解放するなら、それによって我々の便益が落ち込むことにも耐えなくてはならないわけです。

長時間労働は問題だ、さあ叩こう。長時間労働は問題だ、さあやめよう。
 そう容易く断じられるものではない。それが労働問題であるがゆえに、解決への取り組みは経済そのものに作用する。仮に解決したとして、この社会はきちんと回っていくのだろうか?
 ここについてはまだ、いろいろと考えなくてはならないなあと個人的に思います。

 ただし。
 電通において問題視されたのは労働時間だけでなく、パワハラ・セクハラもしかり。
 こちらは経済とまったく無関係な、やめることへのリスクもまったくない問題です。
こちらが改善されていないとなれば、思うさまぶっ叩いてよいでしょう。
 ですが、こちらはこちらでまたひとつの難しさがあって……という話はまた、別の記事で考えることにします。
 


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by karasmoker | 2017-12-26 22:08 | 社会 | Comments(0)
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