『ガキの使い』から、黒人差別を考える。

 年末恒例の『ガキの使い』における「笑ってはいけないアメリカン・ポリス」において、浜田がエディ・マーフィーの扮装をしたことが物議を醸しているようです。顔を黒く塗るメイク、いわゆるブラックフェイスが差別的であるという指摘が起きているのです。

 日頃から差別問題については多少なりとも敏感であろうと個人的には思っているし、『ワイドナショー』界隈における松本-安倍の距離感などにも懐疑的ではあるし、松本の肝いりである『ドキュメンタル』が結局は下ネタ方向に疾走し続けていることについても、松本的=ダウンタウン的笑いへの疑問符を大きくするばかりなのですが、今回のブラックフェイス問題に関しては、ぼく自身はどうもぴんと来ていません。あれがどれくらいにまずいことなのかを、内発的に理解できていないのです。他人の指摘を見て、「ふうん」と思うくらいの感じなんです。このあたりのことを考えてみたいと思います。

 19世紀のアメリカにおいてはミンストレル・ショーなるものが催されていて、これは白人が黒人の扮装をして見世物をする内容だったそうです。そこで偏見や嘲笑が再生産された歴史があり、それは実際の黒人差別と分かちがたく結びついたものであり、黒塗りの扮装はいまやアメリカ社会ではまったく許されないというわけです。
そういう文脈を理解せずに、黒人メイクで笑いを取るなんてあり得ない! という反応が、物議の中心にあるようです。

 さて、ここで文脈ということについて考えてみたいのですが、『ガキの使い』という番組にもまた、文脈はあります。簡単に言えば、「浜田いじり」の文脈です。浜田が女装したり、普段の彼とは違う髪型をしてみたり、そうしたことで笑いが生まれるという文脈。他の出演者でやっても面白くないのに、浜田がやると面白いんだよなあという文脈。多くの視聴者にとっては、そちらについての共通了解もまた重要な笑いの文脈なのです。ここをまったく考量せずに、黒人メイク=即アウトという枠組みだけで捉えることについて、ぼくは違和感を覚えてしまうのです
 これが田中だったら笑えていたか、遠藤だったらどうか。また、今回の舞台は「アメリカンポリス」であり、あの扮装は『ビバリーヒルズ・コップ』のエディ・マーフィーという個人をモチーフにしたものであり、単純に「黒人だから面白い」「黒人を笑いの対象にしている」という捉え方は、あまりにも単純すぎるようにも思えてしまう(ところで、ふと気になったのですが、あれがエディ・マーフィーだとして、エディ・マーフィー本人はどう捉えているのでしょう? ハリウッドスターですから、なんらかの許可を取ったうえでやっているのか? もしそうなら、エディ・マーフィー自体は今回の黒塗りメイクを許容しているのか、はたまたしていないのか? その辺も無視してしまうと、さらに単純な捉え方になりそうです)。

 番組には番組固有の、芸人には芸人固有の笑いの文脈がある。という点もひとつ、頭に留め置きたい部分なのです。ところで、過去における浜田の女装は問題なかったのか。今回、番組を叩いている人は、トランスジェンダーへの配慮という点で当時、問題視していたのか。その辺りも気になります。

 ただ、そうは言いつつ、『ガキの使い』が外国人を笑いのネタにする文脈について、ぼくは全面的に肯定する気にはなれません。数年前、あるいはわりと最近だったと記憶していますが、レギュラー放送の回で、「外国人に怪談話をさせる」という企画がありました。ガキのメンバー五人を前に、外国人が拙い日本語で怪談を繰り広げ、その日本語の拙さでメンバーが笑うという構図。これなどは、日本語を学ぼうとしている外国人を笑うような構図にも見え、ぼくは不快でした。もっと物議を醸してもいいのにと思ったくらいですが、さして問題視された感じはありません。外国人と笑いについては、確かに考えるべき点はあろうと思います。

 さて、ブラックフェイス問題に戻ります。
 以上のようなことを踏まえつつですが、ぼくはそもそも、「ブラックフェイスが問答無用でアウトなのだ」というテーゼについて、やはりぴんと来ないのです。おそらく、作り手自身もそうだったろうと思います。
 このように言うと、「ぴんと来てないこと自体が問題なのだ。人種差別の意識が足りないのだ」という反応があるやもしれません。ブラックフェイスが駄目なのは国際的な常識だぞ、という風に言われてしまうかもしれません。

 そこに、ぼくの抱く疑問符の核心があるように思います。

 そもそも近代において黒人差別を生み出したのは誰かといえば、これは大航海時代のヨーロッパ、そして奴隷制度を生み出したアメリカでありましょう。かたや、日本において黒人差別の歴史がまったくなかったかといえば、そうではないとも思います。黒人だからと就職や結婚を断られたケースだってあることでしょう。馬鹿にされたりいじめを受けたりというケースもあったでしょう。
 しかし、こと日本においては少なくとも、黒人奴隷の歴史はない(もしかしたらごく一部にはあるのかもしれませんが)。仮に黒人を差別したことがあるとすれば、それ自体が欧米的価値観によってもたらされたものではないのか? と感じてしまうのです。あるいは脱亜入欧的価値観。白人列強の脅威にさらされ、外国との交流を余儀なくされるうちに、白人への畏怖の反作用として、白人以外の外国人=アジア人や黒人への差別心、恐怖心が醸成されたのではないか。そんな風にも思うのです。

 かいつまんで言えば、「黒人を差別してきたのは誰より白人社会だし、その白人社会のルールを押しつけているんじゃないか?」という疑念が、ぼくには拭いきれないのです。

「ブラックフェイスは国際的常識に照らしてアウト」という。なるほど、ではその「国際的常識」なるものは、いったい誰がつくりだしたのか? まさしく、散々に差別を繰り返してきた欧米ではないのか? 自分たちで差別の芽をぶり撒いて、自分たちで勝手にそれを乗り越えて、さも先進的な価値観を広めているかのような振る舞い。それはあくまでも傲慢な白人社会のマッチポンプではないのか? もちろん、黒人の人々の根強い運動がその常識をもたらしたのでしょう。しかしその運動自体、白人が差別を起こさなければ、する必要がなかったものじゃないのか?

 もっと平たく言いましょう。
「日本人は人種差別の感度が鈍い? 国際的常識に疎い? てめえら白人が差別しまくってきた後ろめたさを押しつけてくるんじゃねーよ。日本のラッツ&スター、シャネルズは黒人を笑いものにしたのか? むしろ黒人の格好よさ、黒人への憧れやリスペクトさえもそこにあったんじゃないのか? 差別をぶり撒いてきた白人にはわからないかもしれないが、黒い日焼け、黒々とした肌は格好いいっていう価値観に基づいて日焼けサロンに通い詰める男だって、日本にはいくらでもいるんだよ。確かに日本にも差別はあるよ。それは事実だよ。でも、人種差別の感度が鈍いとか言ってるアメリカ国内自体が差別まみれだろうが。トランプを勝たせてるんだから。いや、だからといって日本での差別が罷免されるわけじゃない。だが少なくとも今回の件において言えば、黒人を笑ってやれという意識でやったわけじゃなく、観ている側も黒人だからと文脈で笑ったわけでもない。黒塗り自体に差別が刻印されている? それが国際的常識? その国際的常識こそをなぜ疑わない? その常識は差別主義者の白人どもがようやく間違いを認めてできあがったものだ。白人が主導する社会で定められた常識、もともとは白人がつくりだした差別の刻印。白人の捉え方に従うことそれ自体が白人的価値観の押しつけなのだ! 黒塗りが黒人差別を再生産させたのは事実かもしれない。でも違う世界の捉え方をすれば、黒塗りが格好よいという文化だってあるんだ。シャネルズはブラックイズビューティフルを体現していたんじゃないのか? あれを差別的だからやめろというのは結局のところ、後ろめたくてたまらない白人的国際常識の表れじゃないのか?」

 なんだか途中から小林よしのりが乗り移ったような書き方になってしまったのですが、やはり「国際常識に反しているからやめろ」「日本の差別意識は欧米の水準に遅れていて問題」という教条的な物言いには、欧米の傲慢を感じてしまうのです。

 黒人の人が、ブラックフェイスを嫌がっている以上、やめるべきなのかもしれない。でも、白人による差別を根本に持つ世界観がすべてではないし、白人によるブラックフェイスと日本人のブラックフェイスが、同一であるとはどうにも思えない。それこそ、別々の文化圏における別々の文脈なのだから。じゃあ未来永劫、黒塗りにするのは駄目なのか。それはつまり未来永劫、白人がもたらした差別的歴史の中でしか、黒人を捉えることが許されないってことなのか? 黒人は未来永劫、差別の刻印から逃れられないのか?

「嫌がっているのだからやめろ論」というのは、言論やバラエティにおいて難しいなあとつくづく思います。ハゲ、デブ、ブス、チビ。これらの記号だってバラエティの中で劣等種の刻印を押され続けているし、それがゆえに人間関係に悩まされる人間だってたくさんいるわけで、にもかかわらず今日も今日とて「ハゲとるやないか!」というツッコミで、毛髪の薄い人間はただ毛髪が薄いというだけで頭を叩かれたりしている。
 そう考えていくと、そもそも笑いにおけるボケ-ツッコミの構図それ自体、「ボケは認知症患者、知的障害者、精神障害者の言動を連想させ、それを叩くことは許されない」という極論まで行き着くリスクを内在させている。
 こと現代において、「差別と笑い」についてどこまでがセーフでどこからアウトなのか。それはどれくらい教条的であるべきなのか、あるいは番組内固有の文脈を許容されるのか。この辺の議論は本当に難しいと思います。

「ブラックフェイスは問答無用でアウト」という意見の人は、国際常識そのものについてどういう見解をお持ちなのか。嫌がっているのだから駄目というなら、ハゲ・デブ・ブス・チビ論、あるいはボケそれ自体が持つ危うさについてどういう見解をお持ちなのか。

 聞いてみたくもあります。ご意見は、お気軽に。


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by karasmoker | 2018-01-04 01:05 | 社会 | Comments(2)
Commented by 相庭 at 2018-01-04 18:33 x
こんにちは。
批判している人達が根拠として掲げている所の“国際常識”、ご指摘の通り曖昧ですよね。
ちなみに不快に感じた黒人の方自身と番組サイドが対話するのは今後の差別論議において有用だと思います。
が、問題なのは、なぜか外野が世界の常識だ-受け手が差別と感じれば差別だーよって日本は意識が後進国だー!と客観性を欠いた論拠で騒ぎ立てている事かと
Commented by karasmoker at 2018-01-04 21:18
コメントありがとうございます。
「不快に感じた」という反応に対する、テレビ局側のリアクションはもっとあっていいのだろうと思います。単に自粛に進むのではなく、建設的な方向性を見出せれば一番よいですね。
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