『ガキの使い』のベッキー問題から、バラエティを考える。

 前回に引き続いて、『ガキの使い』の年末スペシャルを取り上げます。ブラックフェイス問題の一方で、もうひとつの「ネタ」が議論されているようです。タレントのベッキーがドッキリを仕掛けられ、キックボクサーらしき女性からタイキックを受ける、というくだりがあり、一部で非難の声が上がっているようなのです。

 周知の通り、ベッキーは不倫騒動でバッシングを受けました。そのみそぎであるというのがタイキックの名目で、嫌がるベッキーを出演者たちが押さえつけ、お尻にヒットさせるという流れです。この件をどう捉えればよいのか、考えてみようと思います。

 まず大前提として、女性に暴力を振るうことはいけません。いや、性別や年齢の如何を問わず、他者に暴力を振るうことはいけないのです。嫌がる相手に無理矢理押しつけるなどもってのほかであり、セクハラ・パワハラ・レイプ問題などがクローズアップされる昨今にあっては特に、テレビ局は敏感であるべきです。

 だいたい、ああいうものはいじめにつながるのだから全部やめるべきなのです。子供が真似をしてタイキックなどを行い、怪我をしたらどうなるでしょうか。テレビ局はいじめを生み出しているのです。テレビ局がそれを肯定しているのです。世間には実際にレイプの被害者も数多くいて、いじめの被害者も多くいて、そんな人たちはベッキーの嫌がっているあの様子を見て、ひどく傷ついたに違いないのです。ベッキーは暴行の被害者として刑事告訴をしましょう。警察は速やかにテレビ局を取り調べ、ダウンタウンをはじめ暴行に加わった出演者全員を起訴すべきです。ついでに、プロレスラーから毎年いわれのない暴力を受けている月亭方正氏も警察に訴えるべきでしょう。その結果、ベッキーや方正がテレビ局から一切仕事の声が掛からなくなっても、テレビ局が悪いのだからそれでいいのです。正義を貫徹するのです。

…………さて、それでいいのかな、とぼくは思うんです。

まず、おそらくは昭和の頃から議論されてきた「テレビといじめ問題」。
今回のベッキーのくだりを見て、「よっしゃ、学校のあいつにタイキックをしてやろう」と思う子供は出てくるでしょう。いや、それを言い出せば、罰ゲームの概念が生まれた頃から、そのリスクはあったわけです。現にそれで、嫌な思いをした子供もいるだろうなと容易に想像できます。
ただ、それでテレビを責めるというのはあまりにも短絡的だろうと思います。包丁で殺人が起きたからと包丁の所持を禁止するのはおかしいわけです。大事なのは、その背景のほうです。問題視すべきは凶器でなく、原因。つまり、なぜいじめが起きたのかです。テレビが罰ゲームをしなくなれば、いじめはなくなるのか。あり得ない。いじめにおいて問題視すべきは児童間の人間関係だったり、学校における監視と管理体制だったりするわけで、テレビの影響があるからいじめが起きるのではない。
 むしろ、テレビに原因を求めて現場の問題を直視しないような言説こそが、いじめの解決を遠ざけるとさえぼくは思う。テレビで罰ゲームをなくせば、まるで社会が綺麗になったかのように錯覚できるのかもしれない。テレビでいじめらしきものを見なくて済むから、ほっとするのかもしれない。しかし、そうやって良識者が勝手に満足する裏で、いじめは起き続けることでしょう。BPOがあの番組を問題だと断罪すれば、いじめは減るのか? あり得ない。

 バラエティが生み出す「ノリ」や「空気」が、いじめの現場でトレースされている現状はあるかもしれない。バラエティ的な「いじり」のつもりが「いじめ」になっているケースもあるでしょう。じゃあそうしたものをなくせば、いじめは減るのか。そんなはずはない。バラエティがあろうとなかろうと、ノリも空気もいじりも存在し続ける。メディアがどうであろうと存在する現実をどうするか。それを考えることがいじめをなくすために必要な姿勢であって、テレビに責任を押しつけるのは教育的怠慢と言わざるを得ない。

 嫌がるベッキーを押さえつける様子が不快だ。女性を押さえつけて暴行し、それを笑うような内容を認めるわけにはいかない。

なるほど、そこだけを切り取ればまったくの正論です。しかし、彼女がキックを受けるに至った文脈も込みで、あのくだりは成立している。何も、道行く一般人を連れてきてキックしたわけではないのです。そこを汲まずに、行為や構図だけを切り取るというのは、あまりにも短絡的だろうと思います(それともブラックフェイスと同様に、「問答無用でアウト」という教条的態度を取るのでしょうか)。

 ではなぜベッキーがターゲットになったのかと言えば、不倫問題でバッシングされた経緯を切り離すわけにはいきません。ミュージシャンとの不倫が話題になり、クリーンなイメージで売っていた彼女がワイドショーで散々に叩かれた。好感度は下がり、全国区のテレビに出る機会も激減したわけです。不倫の是非、バッシングの是非はここでは問いません。大事なのは、彼女がそういう文脈を背負った個人であるということです。彼女を一般女性同様に捉えることはむしろ、彼女自身を軽視しているとさえぼくは思う。何も知らない人間が見れば、「女性が押さえつけられてお尻を蹴られた」構図でしょう。でも、見ている人間はベッキーの過去を知っている。ベッキーを知っている。そこを踏まえずに、ベッキーが可哀想だ、女性に暴行を働くのは問題だと訴えるのは、どうにも教条的すぎるとぼくは思うのです。

 あのくだりはもともと、ベッキーがメンバーにタイキックを仕掛ける側でした。でも、果たしてそれだけで成立していたのか。かつて猛バッシングをくらったベッキーが、単に仕掛ける側で終わっていたら、視聴者は満足したか。そうではないでしょう。「タイキックを仕掛けてるおまえが、バッシングを受けてただろうこの不倫女め!」という視聴者のもやつきが前フリとしてあって、そのうえでタイキックを受けた。その構図が、観る者に笑いを生み出すわけです。これは、「原因があるから蹴られていいんだ」「いじめられる側にも問題がある」というのとは違います。なぜなら、彼女は芸能人だからです。一般人の社会と同じ捉え方で、バラエティを捉えてはいけないのです。

 オンエア上はドッキリを受けた形ですが、ベッキーはある程度織り込み済みでしょう。自分がどういう観られ方をしているか、彼女だってわかっているはずです。自分がドッキリを受けるとわかっていたか、ぼくにはわからない。わからないけど、単にドッキリを仕掛ける側の人間でいられないことなど、十分承知のうえでオファーを受けているでしょう。

 ベッキーが可哀想だと言う人間は、いったいどうしろというのでしょう。テレビ局が表立って、ベッキーに謝罪すればいいのでしょうか。そうすれば、可哀想だと言っている人間「だけ」は満足するでしょうが、果たしてベッキー自身がそれを望んでいるのかどうかといえば、ぼくにはまったくそうは思えない。気まずさだけが残るでしょう。暴行を受けたと言ってベッキーが刑事告訴したら、正義の人々は満足でしょう。その代わり、彼女の仕事は間違いなく、絶対に減ります。正義の人々はそのあとの面倒を見る覚悟も、当然おありなのでしょうね。なにしろ高潔な正義感の持ち主ですから、仕事が無くなったベッキーを放っておくなんて、そんな無責任なことはないでしょうねえ?

 芸能人は特異な業界の人間です。一般人から見れば嫌なことでも、「おいしい」と解釈する回路を持っている。特に今のベッキーの場合、そういう回路を持たずには業界を渡っていけない事情もあるでしょう。一般人の尺度で文脈も無視で観るというのは、何度も言うように教条的すぎる。

ぼくは今のバラエティを全肯定するものではありませんが、バラエティは好きです。作り手もリスペクトしている。だからこそ、一部分を切り取って正義の拳を振り上げ、悦に入る人間が嫌いです。ドラマをろくろく見てもいないのに、ワンシーンで残虐表現があったからと怒り出す人間と同じくらい嫌いです。文脈を見なくてはいけないし、出演者の背景を捉えなくちゃいけないし、自分の抱く正義を世界の複雑さと照らさなくちゃいけない

 結論として、今回のベッキーに関する「問題視」には、まったく同意できません。不倫で叩いたこと自体が間違っている、という意見もあるかもしれませんし、ぼくも不倫騒動で盛り上がるのはくだらないと思うけれど、「クリーンなイメージで売っていた人気タレント」という看板があった分、バッシングになるのも理解できます。そういう荒波にもまれた中で、それでも逞しくバラエティに復帰し、タイキックを受けるベッキーをぼくはリスペクトする。可哀想とか言っている連中自身が、実はベッキーを貶めているんじゃないか? ベッキーには可哀想な存在でいてもらいたいのか? ファックだ。そんなことも笑いに変えるからタレントなんだよ

 今回の件は、ベッキーの圧倒的勝利だ。蹴られることであらためてバラエティの世界に受け入れてもらえたし、ベッキーを嫌っていた人間を敵に回さなくてすんだし、あまつさえ可哀想だと言ってくれる心優しい人間まで現れてくれた。ベッキーは勝ったんだ。満足だろう? 可哀想だと思っている良識的人々は。それとも何か? もっと可哀想な存在でいてほしいのか? タレントは一般人じゃない。一般人の尺度でタレントを測るな。

 
 挑発的な物言いをしたところで、とりあえずはこの辺で。ご意見は、お気軽に。

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by karasmoker | 2018-01-04 21:16 | 社会 | Comments(0)
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