『ベニスに死す』 ルキノ・ヴィスコンティ 1971

美しいという褒め言葉を目にしますが、美しいってこういうことですか?

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好きと嫌い、まっぷたつに分かれる映画というのは沢山あるでしょうけど、この『ベニスに死す』はその種類の映画ではないでしょうか。持ち上げる人は名作だというだろうし、わからない人はわからないというしかないし。で、僕はといえば後者です。これのよさがまったくわかりませんでした。

 少なくともこれをして「芸術的だ」とかいう感じはしませんでした。むしろある意味でコメディですよ。臆病なホモストーカージジイのコメディ。そう思ってみると別の面白さがあると思いますけど、どうやらそれを狙っているわけではないのでね。何しろこのおっさんの最終的な目的がわからない。いつまでも主人公のおっさんがぐずぐずしているのをいらいらしながら観ていて、まあ終いにはだんだんそれが面白くもなってきたんですが、やはり僕好みではありません。

とある少年に究極的な美を見出した男が墜ちていく、みたいなことが書かれていますけど、これを仮にね、ベニスなんてところでやらずに日本のその辺の汚いところで、しかも大学教授でなくようわからんおっさんがやっていたらどうなんやと。間違いなくただの変態じじいですよ、こんなもん。それをね、なんや雰囲気でええように言うてるなあという気がしてならないんです。それなら結局見た目の話でしかないという風に思ったんです。この映画を褒めるときに「美しい」っていう言葉が使われやすいみたいですけど、「美しい」ってそういうことですか? 「ドブネズミみたいに美しくなりたい」という名フレーズがありますけど、美しいってこの映画よりもっと別のものに使う言葉のように思うんです。いや、映像的な美しさはわかりますよ、でも、それは映画というより映像としての話でね。映像と筋、その演出を踏まえてこその映画だと僕は思うんです。

こういうことを言うと、原作を読んでもいないのになんたらとか言われるかもしれませんけど、僕の大好きなとある方がおっしゃるように、「原作を読んでいないと語れない、そんな映画ならつくるな」ということでね。この映画だけで言えば、僕は観る前に原作の存在すら知らなかったんですけど、明らかに原作があってそれをなぞっている映画だなという感じがしました。起こること起こること全部断片的です。おっさんが伝染病にかかって死ぬ、というのも中途半端ですよね。なんであのおっさんだけが怯えているのかがまるでわからない。そういう病気にすごくかかりやすいのだということも言われていないし。観光で収益を得ている街だから伝染病を表ざたにできないのだ、みたいなことを言っていますけど、他の人たちは全然そんな風になっていないし、もうついていけないですよ。原作はどうか知らないけど、映画だけで言えば、「ベニスに『死す』言うてもうてるし、原作のこともあるし、死んで終わらないといけないからとりあえず伏線引いておこうか」みたいな感じがぷんぷんします。それと細かいところですけど、なぜあのおっさんはラストシーンで頭から血を流しているんですか? 病気のことはよくわからないので僕の無知のための疑問かもしれないけれど、喀血とかそういうのにしたほうが伝わりやすいと思うんですけどね。綺麗なところを撮るのは頑張ったけど、いかんせんそういう部分への配慮が足りないと思いました。

うん、確かに映像とか町並みは綺麗なんですよ、それはこの映画を褒める人たちに何の文句もないところです。そのために、わりと飽きずに見られたのは事実です。台詞が少ないのも僕は好きですから。でも、どうも映画が発される「臭気」がなかったんです。「臭気」って悪い意味じゃなくて、いい意味の「におい」ということです。もともと綺麗な町並みなんだから、それを綺麗にとったものを観て「綺麗だ」といっても仕方ないでしょう。それならたとえば黒沢明の『どですかでん』(1970)なんて、本当に汚い場所なのに美しく見えるという驚きがあって、そちらのほうがよほど好きですね。

こういうことを書くと、この映画を愛でる人々は嫌がるんでしょうけど、何を言われてももうこれは仕方がない。結局、映画でも何でもそういうことですからね。無知ゆえにわからないのだと言われるかもしれないけど、じゃあ知識があれば愛でられるかといえばそういうことでもないですし。まあ、誤謬などあれば素直に認めますけど。

うん、そんなところですかね。
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by karasmoker | 2008-01-25 08:52 | 洋画 | Comments(6)
Commented by yotumoto at 2012-05-23 15:37 x
こんにちは。きのうこのブログを発見したんですが、楽しく読ませてもらってます。ありがとうございます。それで、自分はこの映画大好きなんでコメントさせていただきました。原作も読んでますが、確かに原作をそのまま映像にした、という映画です。

観たのがもうずいぶん前なので記憶が曖昧なところもありますが、あの老人は音楽家だったと思います。頂点を極め、栄光と才能に斜陽が射し始めた頃に、旅先で見つけた少年に魅せられる、というものでした。ほんの少し、老人の栄光と苦悩の画面が入っていたと思います。

確かに老人が彼にひかれたのはその外見が最大の要因でしょう。あの外見の完璧さは文句のつけようがありません。ただ見つめるうち、その美しさを構成するもの、簡単に言えば成熟ギリギリ前の青い若さに魅かれてやまなくなった。自身の老いと死への拒絶からそこに美を見出し、抗うことができなかった。次第に老いた自分を恥じ始め、プライドから嫌っていた若返りの魔法、化粧や染髪をしてまで少年に近づこうとする。ラストシーンで頭から流れているのは、血ではなくその染髪料です。

Commented by yotumoto at 2012-05-23 15:39 x
じゃあなんでドブネズミ的な美しさじゃダメだったのか?というところですが、少年の美しさは老人に性の疼きも与えていたからです。逆に言えば性の疼きを感じるところに、人間はもっとも本能的な美しさを見出す傾向にあるからです。ドブネズミ的な美しさには気高さがあると思いますがエロスはない。どんなに崇高な言葉で飾っても老人は少年に恋をし、性的な疼きを根底に抱えながら、その対象である少年を「完璧な美」として捉えたのです。その具現として少年がいるわけですから、あの完璧な外見は納得できると僕は思います。

Commented by yotumoto at 2012-05-23 15:40 x
公にされず静かに蔓延する疫病は老人の死の宿命へのメタファ、老人の目的は少年を見続けること。崇拝者である老人にとって、その美しさを見つめていられるということがなにより重要だったんですね。AKBと信者の関係に似ています。どうこうなることを考えないわけではないけれど、それよりも見つめていたい。対外的な美とは、冒し難いからこそ美しいのでしょう。そこに人間性のドラマは必要ない。ベニスという場所も、避暑地のホテル住まい、という他者との関係を他人のままにできる設定が、人間ドラマを排除するのに適しています。都会のホテルだと老人の孤独が浮かび上がりすぎるし、別荘だとどうしても隣人との関係性(拒絶も含めて)がでてきちゃうんじゃないでしょうか。田園ではなく海というのも、開放的ではあるのに無慈悲な場所として、最終的な死を描くのに適しているように思います。もしも田園で麦の穂を見ながら死んだんじゃ、なんかあったかいですもんね。それじゃ幸福な死を通して人生を称賛する内容になりそうです。どんな場所でも描き方はあると思いますが、ベニスにある水の都のイメージ、実際の水の流れも、老人の最後の彷徨をなにげなく表しているのではないでしょうか。
Commented by yotumoto at 2012-05-23 15:41 x
長文本当にすいません。映画として、確かに老人の醜聞、として捉えることもできる内容ですが、老いと死、命が内包する美への焦燥を感じさせる美しい映画だと僕は思います。美しさとはいったいなんなのか、という問いも自分の中に生まれます。この映画について語れることなんてまずないので、つい長々とコメントさせていただきました。ありがとうございました。
Commented by karasmoker at 2012-05-23 19:01
 コメントありがとうございます。
 これを書いたのが4年以上前なのですが、今読み返すと当時のぼくの甘さが恥ずかしくなるなあという記事ですね。当時は今ほど映画を観てもいなかったし、わりと好き勝手に書き散らしていたので、こういうものになったのです。数年続けておりますので、過去の記事の中には、今読んだらぜんぜん甘いなあ、我ながら浅いなあ、というものも結構あるのです。今観たら別の見方ができるだろうと思いますし、いただいたコメントには同意するところであります。無理解な記事に対して、とても丁寧にお話しいただきまして、嬉しく思います。yotumotoさんのような方にコメントをいただけると、記事の大きな補足になりますし、コメント欄を設ける甲斐もあるというものです。
 またのコメントをお待ちしております。
Commented by yotumoto at 2012-05-25 00:06 x
こんばんは。

丁寧な返信ありがとうございます。とても嬉しいです。好きな映画についてじっくり考えることができて、書いてる時間は楽しいものでした。ありがとうございました。

それではまた、お邪魔させていただきます。お疲れ様です。ではでは。
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