『カッコーの巣の上で』 ミロシュ・フォアマン 1975

男はあの場所に来るべきであったのかどうか

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 アメリカン・ニューシネマというのは観たので言えば、『俺たちに明日はない』『イージーライダー』『タクシードライバー』など、有名どころくらいなんですけど、基本的に外れがないです。その中でも、『カッコーの巣の上で』は非常によかった。これはいいですね。でも、タイトルはどうなのでしょう。原作も原題もほとんど似た意味の英語ですけど、これはなかなか内容と繋がらないです。「カッコーの巣」が精神病院の隠喩と言われてもどうもぴんと来ません。『俺たちに明日はない』とか『明日に向かって撃て!』みたいなキャッチーな感じもないし、パッケージも引きが弱いです。僕などは予備知識がなかったので、田舎のほのぼの話なのかななどと思っていましたから。

内容はとてもいいです。これはなんというか、いろいろな意味が含まれていますね。安穏とした精神病院にジャック・ニコルソン演ずる一種荒くれた男がやってきて、そこをかき乱していく。学園もののテレビドラマとかで、今でもよく使われるパターンです。とある学校にぶっ飛んだ新任教師がやってきて云々という。でもそうしたドラマと違うのはやはりアメリカン・ニューシネマ的に、敗北のかおりが色濃いところです。ここには、彼は果たして善き訪れだったのか、という問いがあります。劇の最中、彼は精神病院の婦長や看護師たちに抗い、様々なことを仕出かします。ときには脱走劇を繰り広げたりして、それまでの状況では心開くことのなかった人々に笑顔をもたらしていく。中盤まで彼は、体制に抗う善き訪れとしての機能を果たしていくわけです。ところが最後、病棟にいた仲間の一人は彼の行いに賛同したがゆえに、自殺するという末路を迎える。では果たして主人公の男はあそこに来るべきだったのか、彼が来なければそれまでとなんら変わらない平和な日々は続いていたのではないのか。世界が外に開かれたがゆえに人々は幸福を享受したが、外の風景の訪れは同時に、それまでの内閉した世界の秩序を乱し、予測しなかった犠牲を生み出してしまった。結局、外からの訪れはその世界に飲み込まれてしまいます。他方、その訪れに心を揺らされた一人の男は、その訪れに最期をもたらし、己が外へと飛び出していって映画は終わる。明確な答えを出さないあの終わり方は、非常にいいなあと思いました。精神病院という限定空間がその構図の確かさを固めていたのもいいし、寡黙なインディアンの大男というのも気持ちいいところです。でも、考えてみると、あの後またしても病棟の人たちは静かな日々に戻るわけで、一度外からの訪れを見た者が果たしてそれまでの平和を取り戻せるかと言うと、難しいところなのかもしれない。こうなると、彼は善き訪れといえるのでしょうかね。そういうことを考えさせてくれるという点でもいいです。

精神病患者たちをコメディアンとして用いていたのもよかった。彼らの振る舞いは一種コメディアンのそれなんです。コメディというのは子供っぽい大人というのが沢山出てきて、それが物語を引っ掻き回すのが楽しいのですが、精神病患者たちもそういう面白さがあるんです。台詞がなくても、その振る舞いがいいというか、もちろんそうなれない人々もいるわけですが、その純粋さというのは、物語内において非常に機能性の高い装置になります。看護婦の帽子を被ったひげもじゃのお爺さんとか、ゲームのルールを無視する小男とかがいますが、ああいうのは面白いです。なんというか、それを精神遅滞の患者、精神病の患者と深刻に捉えるよりも、なかなか面白いコメディアンじゃないかと笑って受け入れられればそれでいいんです。芸能人でも、たとえばゲイを公言してそれを売り物にしている人たちがいますが、あれは正しい態度だと僕は思う。ゲイのタレントが男の俳優を好きだと言ってきゃあきゃあ騒ぎ、男が嫌がるという構図がバラエティのひとつの定番になっていますが、ああいう社会への溶け方はいいと思うんです。少なくとも、同性愛をカミングアウトしてなんちゃらというドキュメンタリーに見られるような在り方よりもずっと溶けやすいはずなんです。笑いって、そういう効果があるんですよ。それは面白いことに対する、笑いに対する敬意がなくては解せない立場なんですけどね。何かを笑うと、それを馬鹿にしているという風に捉えられることがありますけど、それは絶対に違うと思うんです。たとえばテレビで精神病患者や知的障害者を扱って、それを面白おかしく撮ったりすると、馬鹿にしているなんてクレームが来るのでしょう? それはもう本当に大きな間違いです。むしろそういうクレーマーのほうが、笑いというものを、もっと言えば人間の感性というものを馬鹿にしているという点で罪深いです。僕は誰に怒っているのでしょう?
でもまあ、笑いを解さずに本当に馬鹿にして笑う、どうしようもない馬鹿も世の中にはいるんですが。

話がそれました。もちろん、劇の最後に自殺した若者がいたように、あるいは劇中で錯乱する患者がいたように、笑い飛ばしてはいられない側面もある。その両面をちゃんと扱い、なおかつ精神病院というきわめて限定的な場所を基本的な舞台としたのもこの映画の勝因です。学校という舞台では無理ですし、刑務所という場所でも無理。精神病院というのが舞台設定としてなんとも素晴らしい。またひとついい映画に出会えました。ハッピーです。
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by karasmoker | 2008-01-28 10:09 | 洋画 | Comments(4)
Commented by neko at 2011-02-19 21:15 x
「パッチ・アダムス」昨日観て、とてもよかった映画だと思ったのですが、管理人様の映画評が読みたいです。時間と余裕のございますときに可能でありましたら、よろしくお願いします。
Commented by karasmoker at 2011-02-20 14:40
観ていないDVDがたまっているので、こちらは結構気長にお待ちください。代わりといってはなんですが、今話題の『冷たい熱帯魚』のレビウをアップします。でもネタバレになるので、ぜひ映画を観てその後に読んでいただければと思います。
Commented by neko at 2011-02-20 19:54 x
管理人様。ありがとうございます。いつかお気が向かれたらで結構でございます。また、管理人様はミスを犯さないと信じておりますが、私を含めて閲覧者に気に入られようというような映画評はしないでください。(こんなことをいう私は野暮です。このブログの映画評をあらかた読めば管理者様がそういった愚をおかさない方だとわかるのですから)閲覧者は身勝手な存在です。けれど、映画評というものはそれだけで一人歩きできるものです。映像の世界に身を投じますと、コンベンションの裏側は実際、コネの世界も少なくはありません。そんな、身内の人間から賞をもらって中身のない映画より、映画として「立つことができている作品」は残るものだと思います。偉そうに申し上げてしまいましたが、このブログも、そのような、「立つことができているブログ」なんです。これは私のたんなる思いつきな意見ではないと思います。こちらのコメントも長文になってしまいました。無理にお返事はいりません。お気を遣われず。もっとこのブログが評価されてもよいと私は素直に思っているのです。
Commented by karasmoker at 2011-02-21 00:24
いやはやなんとも痛み入る限りでございます。
再開した後には以前同様、時にインテリぶり、時には下品さ丸出しで、たまに知ったような口を利き、そのくせ無知を言い訳に議論を回避するなどして、気ままにお送りしたいと思います。
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