『突然炎のごとく』  フランソワ・トリュフォー 1962

突然炎のごとく死なれても、困る
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ヌーヴェル・ヴァーグ、ネオ・リアリズモ、アメリカン・ニューシネマ、イギリス・ニューウェーブ、ニュー・ジャーマンシネマ、はたまたイラン・ニューウェーブなど、映画の長い歴史は全世界に各々のカテゴリーを芽生えさせているらしく、まあ僕などはそのどれひとつについてもまともに論じられぬ、そもそもそこまで映画を観ておらぬ若輩ですけれども、それでもちょっとずつ自分の趣味嗜好というのは輪郭化されてきていて、たとえばネオ・リアリズモはあまり肌に合いそうにないなあとか、アメリカン・ニューシネマはいいかもしれないぞなどとなんとなく思っておりまして、それで今回のトリュフォーといえばヌーヴェル・ヴァーグ。あとはゴダールくらいしか観たことがないので、なんとも言えないのですが、このヌーヴェル・ヴァーグの肌色はまだ微妙なんです、自分の中で。合うのか合わないのかよくわからない。そして今回の『突然炎のごとく』もそんな感じです。

トリュフォーというと、ちょっと思い出すことがあります。なんていうことはないのですが、高校生の頃、深夜、僕はエロの入っている番組に餓えておりまして、まあAVを借りる度胸もなかったものですから、「ミニスカポリス」「水着少女」などのちょいエロでも、「動く胸」「動く尻」が見たくてたまらなかったのです。その折、ラテ欄をチェックしていると、『柔らかい肌』というのがありました。動くエロに餓え、理性をなくしていた僕は、「これはVシネマとかロマンポルノ的な類のやつなのでは!」と思い、深夜二時まで起きていたのですが、全然違っていて観るのをやめました。あれがトリュフォー作品だったと知ったのは、その五年後くらいのことでした。

ものすんごくどうしようもない話をした後で、やっとこさ話を始めます。トリュフォーの『突然炎のごとく』です。ジャンヌ・モロー演ずるカトリーヌに、ジュールとジムという二人の男が恋する話なのですが、ぎくしゃくする恋愛関係とかいうのとは違い、カトリーヌはどちらにも愛を向けており、ジュールとジムも別にいがみ合うことなく、「彼女はそういう女なのさ」みたいな軽い感じになっています。

実際にいたらとてつもなく迷惑な女です。仕舞いにはジムを道連れにして死んでしまいますし、子供のこともものすごく軽く扱っている。僕はねえ、前の記事の『アカルイミライ』にしてもそうなんですけど、子供を出したら一応それなりにケアしてあげてほしいんです。子供好きじゃないですよ、どちらかといえば嫌いかもしれない。でも、物語に出すからには知らん顔してほしくないんです。『リップスティック』というフジテレビのドラマで、三上博史が「子供産んだんならなあ、女やめて母親になれよ!」という叫ぶ場面があるのですが、僕にもそう叫びたい気持ちってある。女をやめろとは言わなくても、母親の部分を描かないならば母親としてそこにいてほしくないんです。この映画ではその葛藤さえもなくて、それはこのカトリーヌの奔放さを描く上ではいいのかもしれないけれど、観ているとあまり気分がよくないんです。

早いカット割りなど観るに、ある意味では彼らに人間性を与えようとはしていないのかもしれない。どちらかというと駒的でした。ジムとジュールも別に深く悩んでいる様子はなくて、「彼女が言うならそうしようぜ」みたいな感じになっている。ちょっとは自分の意思を出したりもするけど、最終的にはずっとこの女に寄り添ってますからね。鬱陶しいですよ、これは。「おまえは何やねん、最終的にどうなりたいねん!」と突っ込みたくなって、最終的には死にやがります。まあ傍についていた男もどっちつかずのやつらばかりなのですが。だから登場人物に気持ちを入れ込んでみることはできませんでしたね。「なんやうだうだやっとんのお」という感じでした。これをね、どちらかの男がね、もう俺だけのところにいてくれっていう強い意思表示をしたらわかるんですけど、結局振り回されてばかり。
結末で死ぬというのもどうなんやろう。原作がそうなんでしょうけど、「また死んだわ」と最近僕は考えるのです。この物語でいくと、どうにか死んでほしくなかった。死なないで何がしかの結論を見出してほしかったんです。死ぬっていうのは簡単なんです。いろいろなことがありました、でももうその当人は死んだのでもうこれ以上は語れません、というのは逃げている感じじゃないですか。あの女の別の末路を見てみたかったです。「突然炎のごとく」、消えられても困る。

でもまあ、飽きずに観られたというのはあります。テンポが好きだったのかもしれません。あとは時折はさまれる視覚効果であったりとかもあって。レンタルしたDVDにはトリュフォーのインタビューがあって、そこでいいことを言っていました。原作を映画にしようとするとき、小説を戯曲化してシーン割りしたりしてはいけないのだ、原作にある文体を活かさねばならないのだ、ということを言っていて、これについては、ええこと言わはりますわあと思います。この金言は覚えておく価値がありそうです。
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by karasmoker | 2008-02-05 12:45 | 洋画 | Comments(0)
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