『悪い奴ほどよく眠る』 黒沢明 1960

観終った後で、その演出の正しさに気づく
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 黒沢明はとにかく全部観たいと思っていて、ちょいちょい借りています。最初期、最後期のものに触れられておらず、とりあえずは円熟期ともいうべき時代の作品群を観ております。黒沢明といえば誰しもお気に入り作品というのがあるわけですけど、そしてその最大公約数は『七人の侍』になるのでしょうけど、いまのところ僕のフェイバリットは『乱』と『どですかでん』。黒沢明ファンの方々から観てこのふたつがどう取られるかわかりませんけど、僕はカラー時代のものが好きだったりするのです。というのはひとえに、黒沢明の色彩的な感覚が好きだからというのが大きいですね。モノクロの作品でずっとつくってきた黒沢明は、カラー化したことでそれまでの色彩的鬱屈を大爆発させたんじゃないかと勝手に思っているわけでして、たぶん、アプリオリにカラーになじんできた作り手とはやはり違うと思うんです。最初からカラーにまみれた世代はそれなりにカラーの映像美を追求するのでしょうけど、やはりそれは白黒でつくるのが当たり前だった時代の作り手たちとは感じ方というか、ありがたみが違うんじゃないかという気がして。キューブリックも最初期はモノクロから出発していますよね。モノクロ世代の作り手が色彩を得たとき、そこにはアプリオリの能天気さでは太刀打ちできないこだわりを見て取ることができるように思うのです。

さて、前置きが長くなりましたが、『悪い奴ほどよく眠る』です。いきなり単純なことを言いますが、香川京子がやっぱり綺麗ですねえ。『どん底』で初めて観て、「かわいこちゃん発見!」と思わずパソコンに叫んだのですが(あほやがな)、なんというか、ううむ、綺麗ですねえ。香川京子的顔立ちに僕はしびれます。

さて、映画ですが、なんというか正統派のエンターテイメント映画というか、世に言うエンターテイメント小説で喜ばれそうなつくりですね。談合なる社会悪の一端を打ち崩そうとする男、しかしその男は策略のため結婚した敵の娘に惹かれてしまう、そして実は男の正体は談合のうちにあって死んだ父親の息子で、という、非常にわかりやすく目を引きやすい形です。恋愛的なロマンスタッチは抑えられていて、あくまでもハードボイルドで、ひとつの現代的娯楽作品に徹したという感じ。黒沢映画の中で言えば映像的意匠というのは感じられませんでした。純文学もエンタメも手がけられる作家がエンタメ作品をがんばって、その純文学的うま味を削ってしまったという感じですかね。次から次にいろいろと出来事が起こるし、三船ががんばるし、飽きずに見られますが、他作品と比較するとすごさはあまり感じない。贅沢な話なんですけどね。でも、黒沢明ともなるとやはり期待値は高まってしまうので。かなり抑えてつくったという感じもします。試みよりもむしろ、今まで培ってきたものの中できちんとしたひとつのものをつくろうとした、という印象です。ラストはちょいと別です。後で話します。

ハードボイルドと書きましたが、一方では志村喬演ずる守山を監禁したときなどは、それまでにない軽快な音楽を流して、なんだか朗らかなシーンのようにさえ思わせてくれます。大事な会話をしているし、廃墟の地下に監禁するという穏やかならぬことをしているのに、妙に明るいシーンのように思わせる。あれによって深刻さは一瞬剥がされるんですね。そして、嘘か誠かわからないですけど、三船敏郎と加藤武が「自首して刑務所に行く」という話をし、これまたあまり明るくない未来をさも万事希望に溢れているとでもいうかのように思わせる。それまでの流れを踏まえて、不思議なシーンでした。しかしそれが後になって効いてくる。ラスト間際の、加藤武が一人途方にくれているときにあのシーンが出てくるわけですが、ああした軽妙なタッチのシーンを先に描いたことで、あの場所の虚無感というのが鮮やかに対比される。もともと虚無だった場所が、さらに虚無であるように思われるのはやはり、ああした音楽演出の賜物ではないかと僕は考えるのです。色彩表現への飢え、鬱屈、という解釈を先ほど述べましたが、それは音楽の工夫によって昇華されようとしていました。ああいう音楽の配置は、無邪気に映画をつくってもきっとできないはずです。

ラストは呆気に取られました。「闇に葬られる」という言葉を地で行ったと言うべきですね。三船が殺されるまでの出来事を一切描写せず、ただすべて終わったこととして観客に知らせる。それまでずっと観客とともにあった三船演ずる西、あるいはその横で非常な名演を見せていた藤原鎌足の和田、壮絶だったはずの彼らの最期を、回想という形すら用いず、ただ語らせるだけで示したというのはまさに、「闇に葬られた」というわけです。ああいう、下手をすれば見せ場を見せなかったとも受け取られるような演出を施すことで、社会の暗部をより暗部として観客に提示する。なるほどなあ、と思いました。だからあれはある意味で、もっとも正しい方法のひとつなんですね、だからあのおっさんの電話で終わるのは、きわめて正しいわけです。そしてあのラストをもたらすうえで、これまでの演出のすべてが、意味づけられてくるのです。うん、そんなところです。
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by karasmoker | 2008-02-09 00:59 | 邦画 | Comments(0)
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