『ゲド戦記』 宮崎吾朗 2006

もう大体のことは言われ尽くされていますから、あまり書きようがないですね
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世間的にぼろかすに言われていたせいで、「それなら観んでもええわ」と放っておいた作品なんですが、たまたま気が向いて「まあ観たろかい」と思って借りてきました。公開されてからいい評判をぜんぜん聞かなかったですねえ、原作者も怒ってたみたいだし、うん、原作者を怒らせるというのはなかなかのもんです。

アニメ映画全般で言うと、まあさして観てはいないですが、オールタイムベスト1は『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』(2001)ですかねえ。ジブリでいうと『紅の豚』(1992)がベストです。

さて、『ゲド戦記』ですが、世間でぼろかすに言われている分、僕は好きになりたいと思って観ました。ところが、うん、そうですねえ、これはねえ、うん。いや、これをたとえば高校生がつくったとなれば、「ものすごい才能が現れた!」という風になるはずなんですよ。高校生でなくても、自分の友達が自主的につくったアニメだと言って見せてきたら、すごいクオリティだというかもしれない。ところがまあそうは行かないわけです。

作画的なことに関して言えば別に文句はないです。『千と千尋』とかを見せられているから今回のものにすごさを感じないかもしれないけれど、酷評されるほどのものじゃない。そういうところにはフェアでありたいですね。悪いところで言えば、やっぱりストーリーとか世界観、そこに付随するメッセージ性なんですねえ、これは仕方がない。ストーリーのことについて、今頃になって細かく言う必要はないでしょうけれど、まあ、もうどうでもええような話です。この映画に際立って褒めるところがあるだろうか?って思ってアマゾンの短いレビューなんか読んだのですが、それでも星五つがそれなりにあるのには驚きました。生と死について考えさせられたとか、子供の微妙な気持ちを表現しているとか、「どこらへんで?」と思いますが、まあそう感じたのならそうなのでしょう。僕は知りません。

僕が気になったのは、間です。テンポや間が映画にとっては大事ですが、この映画の場合はどうにも間が弛んでいる気がしてなりませんでした。もったりしているというかね、もうワンテンポ早くてもいいなと思うんです。そしたらもっと情報量をつめて整合性を取れたはずだし。この映画にとってベストな間が取られていたようには思えない、全体を通じてのことですが。

あとまあね、うん、声優のことはもう書きたくもないです。なんで俳優を使うのか、声優を使おうとしないのか。『ザ・シンプソンズ』について去年一部で問題提起がされていましたけど、もういいです。いや、やっぱりよくないので一言書いておきたいです。僕ね、『ハウルの動く城』を観ていないんです。観たいんですよ、『ゲド戦記』ほど評判も悪くないし。でもね、もうキムタクが頭にこびりついているから嫌なんです。こう書くとキムタクを嫌っているのかと思われそうですがそうではなくて、ちゃんとした声優を使わずにキムタクに頼るような発想がもう嫌いなんです。あげくに映画を観て「キムタクの声が格好いい」などとほざく輩まで出る始末。それなら是非、『HERO』のDVDを抱いて死んでくださいということなんです。アニメは他のあらゆる映画よりも、純粋世界の構築においては絶対的に優位なんです。カメラに意図せぬ対象が映りこむこともない。天候も環境も自分の好きなように変えることが出来る。なんなら作り始めた後であっても、キャラクターの顔をすっかり変えることだって不可能ではない。作り手が神になれる、世界のすべてを自分で作れる純粋な映像がアニメです。そしてそれに命を吹き込むのが声優でしょう。声優の畑をちゃんと耕さないと駄目なんです。そういう考え方を持たないっていうのはあまりにもひどい。「そのほうが収益が上がる」とか言うかもしれないけれど、収益が上がって結局飯を食うのはそいつらですから、「収益が上がる」じゃなくて「自分の利益になる」が正確な言葉です。でも確かに収益は上がるかもしれない、だったら先ほど言ったように、キムタクの声を愛でてるやつらが最悪なんです。いい加減にしてほしいところです。それで何かい、収益を上げまくって儲けてできた作品が『ゲド戦記』かい。はは、おもろ。

声優問題について言うとうるさくなるので、この辺にしておきましょう。ともかく、今回の作品はやはり僕の肌にも合いませんでした、残念でした。
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by karasmoker | 2008-02-11 22:08 | 邦画 | Comments(0)
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