『座頭市物語』 三隅研次 1962 /『ダーティ・ハリー』  ドン・シーゲル 1971

格好いいとはどういうことか
d0151584_10322227.jpg

d0151584_10323440.jpg


勝新太郎の『座頭市』は初めて観ました。というか、役者・勝新太郎の作品を初めて観たというべきです。三船敏郎大好きっ子の僕ですが、いやあ、勝新もめちゃ格好いい。やっぱりね、格好いい役者、まあ「貫禄」ってことですけど、その貫禄ってひとつには怖さでもあるんですね。三船にしても勝にしてもめちゃめちゃ怖そうですもん。本気で怒られたら僕は間違いなくびいびい泣いてうんこを漏らします。この「怖い役者」というのがなかなか今の時代いなくなってしまいました。いやもちろん、ヤクザ映画に出てくる俳優とかいるわけですけど、それでもこのどこまでも油断できない役者というのはなかなか今は見られません。時代は優しくなっていますからね。それこそこの映画の「めくら」という表現にしたって今では放送禁止になっているわけだし、配慮配慮の積み重ねによってかつてのような油断ならない俳優というのは生み出されにくくなっているのでしょう。勝新太郎にせよ、たとえば松田優作にせよ、監督との衝突という事件を起こしている。今はもうぜんぜん聞かないじゃないですか、そういうの。せいぜい広告代理店やらタレントの所属事務所やらが監督にあれこれ注文をつけて、俳優は「悪そうに見えますけどすごくいい子なんですよ」的な感じで収まって・・・・・・かあっ、むずむずする構造です。去年の沢尻報道でも思いましたが、もっと無軌道なやつらがいてもいいんです。それをあんな風に処理するから駄目なんです。最近で言うと窪塚洋介なんて僕の大好きな俳優なのに、俳優業に愛想を尽かしてしまったらしいじゃないですか。それじゃあすごいもんなんてできるわけないんです。平和ボケ国家は平和ボケ国家で結構だけれども、脅迫的な平和では困ると思うんです。この平和を乱すものは容赦なく撃ち殺す、といわれればそれはもう平和じゃないんです。SFが散々謳ってきたことです。

で、『座頭市物語』ですが、ちょっと『用心棒』に近い感じですね。ばくち打ち同士の衝突が会って、互いに用心棒がついていて、その用心棒たちは当の雇い主のいざこざには愛想を尽かしていて本人たちだけの戦いがあるという。それでまあ後年『座頭市と用心棒』なんて作品もできていますし。続編がどんどんとつくられたシリーズもの第一作になるわけですが、この盲目の剣豪というのは当時結構目を引いたんじゃないでしょうか。しかも剣豪ではありながら見た目はしがない按摩をやっているというね。で、三船の『用心棒』などの剣豪と違うのは、見た目は平身低頭な感じだということで、これが不気味さを醸すところがあります。三船が陽の強さだとすると、この勝は陰の強さがある。すごく物静かではありながら、太刀裁きですべてを思い知らせるというか、それであるからラスト、雇い主の親分に啖呵を切るところでもその台詞に格好良さが出る。この静けさと、終盤の戦いの混乱が対比されてすごくいいじゃないですか。あまり詳しいレビウは書けそうにないけれど、五社体制時代にものすごい数の映画がつくられまくった中で、時代を越えて語り継がれる作品というのには、やはり何事かのすごさがこもっているというのがわかります。

さて、後半はドン・シーゲル監督、クリント・イーストウッド主演の『ダーティ・ハリー』です。これもシリーズ化されて五作くらいまでつくられたようですね。クリント・イーストウッドの主演作というのはほとんど見ていないのですが、三船や勝のようなすごさは残念ながらあまり感じられないんです。どうも茶目っ気がないというのが今の印象なんです。三船や勝は怖いけれど、その一方でちょっとした茶目っ気が覗くところがあって、それが魅力的なんですけど、どうにもこのしかめっ面続きのイーストウッドには惹かれない。もっと見れば印象が変わるかもしれないですけど。あのー、この映画のイーストウッドはそりゃあまあ格好いいんですよ。犯人を追い詰めるところの銃をつきつけるくだりとかね。ただまあ、これは銃と刀の問題なのかもしれないけれど、やっぱり侍の格好良さはないんですよね。

作品自体は楽しめました。ただ、あの犯人を釈放してしまうというのはありなんでしょうか。証拠がないから云々と言っていましたけど、あの辺はちょっとどうなのやと思いました。なんだか説得力がない感じがしたんです、四十年近く前のアメリカの法律がどういうものかあいにく僕にはわからないから、こういう発言は無知をさらしているだけかもしれないんですけどね。犯人がテレビ局のインタビューに嘘をついて答えるくだりとかも、別にそこから話が膨らんだわけでもないですしね。当時の社会に対するメッセージ性があったのかもしれないですけど、なんならあの犯人の側からつくったら面白そうだなあと思いました。

今日は映画への直接的な言及よりも別の部分の話が膨らんでしまうんですけど、やはりねえ、僕などからすると、刀と銃があったときに、断然刀のほうが格好いいんですね。銃は好きじゃないです。銃も刀も凶器であることに変わりはないけれど、刀と侍は切っても切れなくて、つまり僕は侍の格好良さが好きなんですね。銃って西部劇でも出てくるけど、現代劇でもばかばか撃たれまくってるし、遠くから撃つなんてこともいくらでもできるから、格好良くないんです。それは『座頭市物語』の中ではっきりと語られました。病に臥する平手という用心棒が、銃を持っていくという他のやつの発言に対して、「鉄砲は卑怯だ」とどやしつけるんです。これがねえ、格好いいんです。傷つくリスクのない攻撃の仕方は卑怯だ、というのはやっぱり侍の心意気なんです。相手を傷つけるときはこちらも傷つく覚悟を持つべきだというのは一度ちゃんと腰を落ち着けてアメリカ野郎に教えてやるべきことです。

そういえば、今年には綾瀬はるか主演で『ICHI』なる映画が公開されるそうですね。はあ、綾瀬はるか、ふうむ。北野武の『座頭市』は、勝新とは別の要素を盛り込んでつくられていましたよね、真っ向から勝新をやっても仕方がないと見切っていた武は頭を金髪にし、タップダンスを盛り込むなど奇をてらった方策に打って出た(黒澤・三船を模写しようという暴挙に出た森田・織田とはそこが違いますね)。で、北野武はそれまでの芸歴、来歴からしても貫禄がありますから、僕は『座頭市』は楽しめたし肯定的に捉えたいのです。さて、厄介な代物です、『ICHI』・・・・・・。三番煎じは、よほど煎じ詰めないことには危険でしょうからね、今日はこの辺で。
[PR]
by karasmoker | 2008-02-26 05:25 | 邦画 | Comments(1)
Commented by at 2015-07-10 19:46 x
ダーティーハリ―の犯人が釈放されたのは
ハリーが手続きを踏まずに踏み込んでしまい
凶器等の証拠能力が無くなってしまったって事だった筈です
←menu