『八月の狂詩曲』  黒澤明 1991

日向の縁側で、黒澤じいちゃんと
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『八月の狂詩曲』はなんというか、中学校の国語の教科書なんかに出てきそうなお話ですね。原作の『鍋の中』というのは読んでいないんですけど、この映画について言えば子供たち四人がおばあちゃんと一緒に田舎で夏休みを過ごして、戦争のことを知って、大人たちや外国人と触れ合って、という、なんとも中学国語の小説を思い出させるような内容でした。八十歳の老師黒澤明が、これまでつくってきた血みどろの映画たちに別れを告げ、穏やかに語ったという感じ。御伽噺のようでもありますね。現代の社会派劇なんてものから遠く離れた本当に静かな映画でした。

 その静けさの中で、ひときわ驚いたのは、あのラストシーンです。あれは何なのでしょう、あのー、笑いの間なんですよね。あれは面白いんですよ。笑いを意図しているはずないと思うんですけど、最後の場面はものすごく面白いです。あのシーンで泣いたなんてレビューもありましたが、うん、いや、それもまあそれでいいんですけど、僕はおかしくてしょうがなかった。あれはものすごく絶妙で微妙なシーンです。おばあちゃんが暴風雨の中を傘を差して突き進む、子供たちがその後を追いかける、沈黙の反復がずっと続いて、最後におばあちゃんの傘が風でひっくり返ってしまう。そのときに「野ばら」という曲が流れる。これは観てもらうしかないんですけど、なんじゃそらという場面なんです。あれはものすごく面白い。絶対に笑わす意図ではないはずなんですよ、文脈的にもすごく真剣な場面なんです。でも、見た目がやけにおかしいんです。あれは映画史に残る、ひとつの名場面です。僕がこの先この映画を思い出すとき、必ず最初に思い出しますね。

 この映画は長崎の原爆投下について語っているんですけど、その点について肩肘張って観てはいけないと思いますね。黒澤が原爆投下をどう捉えているのかなんて難しい見方をしてはいけないんです。前述のように、中学国語的に穏やかな話なんですよ。登場人物たちも類型的です。大人たちも子供と対比するために非常にわかりやすく悪者っぽくされていますよね。戦争のことを語ろうとせずに自分たちの利益だけを考えて、なんて形であまりにも平たく描かれているし、子供との対比をそんなふうに色づけようとするものだから、子供は子供で本当に無邪気に、模範的で理想的な子供としてしか動かない。だからリチャード・ギアが出てきても別に何ということもなく、本当に穏やかに過ぎるほど穏やかですよね。

そう、だから、変な話、「さわやか3組」とか「中学生日記」みたいなNHK的ドラマにすごく似ているんですよね。子供の目線で、深い内面はなくて、道徳的でという。そこにはもちろん、教育が原理的に持っている数々のイデオロギー性が伏流しているのだけれど、そこに着目するよりも表層の劇を見ておきましょうよというね。ある意味、あのおばあちゃんというのが黒澤自身のメタファみたいな気もするんです。黒澤は社会派劇とか戦国の戦いとか、そういうものをずっと描いてきたけれど、老境に入り、腰を下ろして、子供たちに静かなお話を細々と語っている。縁側に座りながら、黒澤じいちゃんの語りに耳を澄ませ、そこから見える風景をただ眺めていればいい。この映画の見方は、そういうものだと思うんです。
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by karasmoker | 2008-03-17 07:03 | 邦画 | Comments(0)
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