『仄暗い水の底から』 中田秀夫 2002

「滴る水から洪水へ」というホラー映画の常道は踏まえているのに。

 ホラー映画というのを観て、怖いと思うことがほとんどないんです。なんというかこのご時世、視聴年齢制限もかけられていないホラーの場合、おそらく怖いものなど何一つできないと思われます。あのー、ディズニーランドのホーンテッドマンション的というか、結局は、「怖いアトラクション」みたいな感じなんです。アトラクションと恐怖って、本来的には繋っていないんですが、誰でも入れる形でそこを繋げるとなると、どうしても恐怖の濃度って薄まってしまうんです。

『仄暗い水の底から』にしても、やっぱり怖くない。いや、それはでも仕方ないと思うんです。特にこの作品の場合、子供が準主人公でしょう。そうなるとね、ある程度ブレーキがかかってしまうと思うんです。子供をめちゃくちゃな目に合わせると駄目というわけで、なんか危機的な状況でも全然危機的な感じがないというか。現代というナーバスな時代の表現枠組みがあって、この作品はあくまでもその内側にいます。内側で勝負するとなると、これはもうどうしたって難しいんです。

恐怖映画、ホラー映画としての怖さを抜きにして、ひとつの娯楽映画としてどうだったかといえば、結構だらだらしていました。結構いらないシーンがあったり、カメラワークに単調さが見られたり、いらないカットが数秒ほどあってテンポが悪くなったりしていました。ラストの水川あさみが出てくるくだりは要らないと思うんです。あれを入れるくらいならもっとそこまでの密度を高くしてほしかったと思います。

あと、映画が公開された当時にかなり言われたことだと推測するんですが、エレベーターの黒木瞳の心境がわからないんです。あれはちょっと困りました。子供を守るために犠牲になるみたいなことなんでしょうか。幽霊の女の子のところもちょっと貞子に被っているし、もっと遊んでほしかったです。いや、別にわからないならわからないでいいんです。エレベーターから水がどしゃあっと来るシーンも、どうしてそうなんねん、と思いますが、それはそれでいい。ただ、それなら水川あさみのラストのくだりはやっぱり要らない。水がどしゃあっと来るシーンで、娘役の子の後ろ姿をバックに終わっていればもっとポイントは高かった。無音でスロー処理をしてすべてが水に飲み込まれて終わってくれたら、それはかなり美しいシーンになったと思うんです。それでは確かに訳がわからなすぎるんですが、中途半端にわからないくらいなら、まったくわからないほうが気持ちいいですよ。

母親と子供のふれあい、みたいなくだりは、ぼくのような人間には邪魔くさかったです。よその親子が花火をしているのを見かける場面、その後に黒木が娘を抱きしめるんですが、ああいうのは要らないなあと感じてしまうんです。いかにも大人目線の子供というか、演出装置としての子供、になってしまうんです。「いかにも劇映画」みたいな点って、ホラー映画にはまったく不必要なものだとぼくは思う。たとえば幼稚園でよその子供が怒られるくだりなんかも、いかにも大人を悪者っぽく扱っているんです。園長先生の芝居ももうひとつでした。小日向文世の父親役もただの役割になってしまっており、敵対的な役柄に留まるものに過ぎず、「ああ、この父は父なりに我が子を愛しているな」という描写がないので、人間性が見えてこない。

100分という時間は映画としては理想的です、ぼくにとって。長さを感じない適切な時間なんです。それなのに、随分長く感じた。だらだらしていました。滴る水が洪水になる、というのはまさにホラー映画のメタファなんです。最初は滴る水程度のわずかな不快感だったものが、やがて洪水的なとどめようのない恐怖に変わる。それがホラー映画のひとつの典型であり、また理想でもあると思うんです。この映画はそのシーンにこそ洪水はあれ、恐怖的な洪水がなかった。ひどく残念でした。
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by karasmoker | 2009-01-12 06:39 | 邦画 | Comments(0)
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