『スカーフェイス』 ブライアン・デ・パルマ 1983

 ぼくの中の「アメリカ映画」像における、ひとつの模範

 ずっと気になっていたのですがなかなか観られずにいました。ビデオ屋さんで棚を眺めていると見つけることができました。どうもこんにちは、レンタルビデオ屋が大好きな者です。いわゆるショッピング的なものの楽しみはわからず、たとえば女性が「趣味:ショッピング」などと言えばさっぱり女はわからぬものだ、と思うのですが、なるほど、ぼくのレンタルビデオ屋での気持ちがそれに近いのでありましょう。あそこはまさに宝物庫であります。

 公開当初は酷評されたそうですが、どうしてでしょうね。文句なしの傑作だと思います。アル・パチーノ演ずるトニー・モンタナの生き様を描いているのですが、こういうキャラクターは一も二もなく好きですね。凶暴な北野武、おしゃべりな北野武と言いますか、北野が演ずるヤクザのお喋り版、放埒版という具合でとても楽しく観ました。3時間近くあるのですが、ほとんど長さを感じなかった。それをさせてくれるだけでも敬服です。

アル・パチーノの雰囲気がとてもいいのです。小柄だし一見強そうにも見えないのに、秘めたる凶暴さを一気に発露するときの表情が最高です。なおかつ、クラブで酒に酔ってぼんやりしているときの様子、レストランで妻に激昂して周囲に白い目で見られるときの様子、これもまた最高で、ひどく哀しげなのです。あの人物像をつくりあげたことですべての場面に緊張感が漲っている。こういう哀しい無頼漢が、ぼくは大好きなのです。

このタイプの主人公って、たとえば北野映画『BROTHER』の「ファッキングジャップくらいわかるよ馬鹿野郎」よろしく、怒りの中間地点がないんですよね。あるいは適度な怒りがないというか、怒った瞬間に殺してしまうというとんでもない瞬発性があります。やはりそこが面白さを生む大きな要因ですね。車に爆弾を仕掛けて追跡する場面にしろ、長年の友であったはずのマニーを殺す場面にしろ、「殴る」という中間地点がなく、すぐさま「射殺」に行ってしまう。マニー殺害の場面なんて、ほとんどの映画は殴らせてしまうと思うんです。ト書きに、「妹が下着姿で現れる。マニーと妹の関係を知るトニー。」とあったら、「トニーはいきなりマニーを殴りつける。」と続けてしまいそうなところ。ところがこの映画で言えばその代わりに、「トニーはマニーの腹を撃つ」と続けてあるわけです(台本を読んだわけではありませんが、つまりはそういう流れだということです)。

このタイプの人物だからこそ、麻薬組織で上り詰めたというところに一種の説得力が宿りますね。まったく生やさしさがない。映画における「殺人」という出来事はつまり、その殺人者が、「戻れない場所へと飛躍すること」なんですね。殴る蹴るでは回復可能ですから、飛躍にならない。この絶え間ない飛躍が活劇に魅力を付与しています。

この手の映画はやっぱりアメリカの強みがあるというか、アメリカならではだなあという感じがします。ぼくの中のアメリカ映画のイメージにおいて、この映画はひとつの模範であるなあという思いです。日本やヨーロッパの映画ではできないんですね、こういうの。日本もヤクザ映画は数多ありますが、どうしてももっと泥臭くなってしまうし、湿っぽくなる。いや、泥臭いのも湿っぽいのも好きなんですけど、この『スカーフェイス』的なドキドキ感って、日本映画では到底作れないと思うんです。

ラストシーンも圧巻でした。トニー・モンタナの壮絶な死に様ですね。ぐだぐだせずに、彼が死んだらすぐに映画も終わる、という潔さも大変によし。ぼくにとっては文句なしの傑作であります。
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by karasmoker | 2009-01-18 22:06 | 洋画 | Comments(0)
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