『タワーリング・インフェルノ』 ジョン・ギラーミン 1974

 高層ビルだけど、地に足のついた傑作。作り手の意気込みに敬服。
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まったくの予備知識なく観ました。インフェルノ(=地獄)という響きから、ホラーものなのかな、などと思っていたのですが、ビル火災のお話でした。高層ビルで火災が発生し、それに巻き込まれた人々と消防士たちのお話です。

 いまさら言うまでもないことを言いますが、これは大変な傑作であります。
 165分ありますがちっとも長さを感じません。非常に楽しい165分でありました。
 災害もの、パニックものといえばいつの時代も人気があって、今でも邦画洋画問わず次々につくられているわけですが、30年前にこんなに素晴らしいものがつくられたというのに、最近の映画人は何をしているのだ、と思います。CGだの何だのという技術は一方向的に発展していますが、その分それらの恩恵に浴しすぎているのではないでしょうか。この映画には学ぶべきものが数多くあります。

 全体的な表現として、地に足がついている感じがします(高層ビルものの形容としては変な感じですが)。奇をてらっていないし、盛り上げるために大袈裟な演出も施していない。過剰も不足もないというか、きちんと撮るべきものを撮っているなという点に大変好感が持てます。被写体との距離感も抜群でした。つまりはカメラ的な距離感、そして物語的な距離感です。これが最近のハリウッド映画に比べて格段にいいのです。

 人物に寄りすぎていないんですね。妙な人間ドラマみたいなものもなく、撮る側が人物に移入しすぎていないし突き放しすぎてもいない。それを強く感じたのは不倫カップルの場面でした。短いシーンなのですが、この登場人物に対する距離感が大変にいい。火災から逃げ遅れたカップルの悲劇的な最期。決して甘ったるくしないし、かといって軽んじているわけでもない。出てきた当初は「誰やねん」なのですが、数分後にはその人物がきわめて立体的になっており、かつ押しつけがましくありません。男のほうが助けを呼びに行くと行って炎の中に飛び込んでいくのですが、炎の揺らぎが非常に美しい。CGやなんやに頼りきりの昨今では絶対に出せない味わいがあるのです。ああ、映画というものをきちんとつくっているな、という感じがしました。職人の誇りのようなものを感じました。

 地に足がついているというので言うと、最上階に残された人々の戸惑いや恐れも適切です。愚かしいパニック集団でもなく、無論たるんでいるわけでもない。いい意味で地味なんですね。可燃物を捨てろと言われて皆が皆各々にものを担ぐ場面、カゴに乗る場面、その順番を決める場面、水流に流されぬよう体を縛り付ける場面。言ってみればとても地味なんです。でも、そこに人々の気持ちが宿っている感じがある。名もなき人々の危機感と助かりたいという気持ちが伝わってくる。なおかつ憔悴感もある。人間の無力さを描く手腕が大変に高く、描き方がフェアです。無力ではあるが、エネルギーがある。エネルギーはあるが、無力である。このバランスがすごい。一も二もなく、良質です。

 うん、あのー、CGに頼れない分ね、きっと撮影現場もものすごく緊張感があったと思うんです。実際の炎と戦いながら撮影するわけで、当然半端じゃない緊張感ですよね、撮り直しも大変だろうし。そうしたときにね、やっぱりCGで合成しようっていう作り方とは違う緊迫感が映画に宿るんだと思うんです。妙なことを言うようですが、ものづくりの神様に守られるんだと思うんです。黒沢明のモノクロ時代の時代劇なんかもきっとそうで、映像処理ではごまかしようがないわけですから、その分、「このシーンを撮る!」っていう意気込みがとんでもないものだったと思うし、だからこそ今の時代まで語り継がれているんですね。今回の『タワーリング・インフェルノ』もなんというか、そういう作り手の背景まで含めて、賛美したいのです。

スティーブ・マックイーンとポール・ニューマンの二大スターが共演して話題を呼んだらしいですが、なんでしょうね、今の有名映画俳優とは違うんですね。日本の三船や勝新などもそうですが、本当の男前という感じがします。あほみたいな表現をしますが、「モテたい臭」がしないんです。格好つけていないんです。マックイーンも三船も、だから臭そうだし、野蛮な感じがするし、怖いんです。だからこそ本当に格好いいんですね。

今昔併せ見た感慨も含め、『タワーリング・インフェルノ』は抜群の快作です。30年前のこの映画をぼくは今、自信を持って薦めたいと思います。
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by karasmoker | 2009-01-28 23:44 | 洋画 | Comments(0)
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