『あるいは裏切りという名の犬』 オリヴィエ・マルシャル 2004

しっとり感が好きな人もいるでしょうが、ぼくはもうひと味ほしい。

『あるいは裏切りという名の犬』ですが、よく言われるようにタイトルがまずいいですね。現代は「オルフェーベル河岸36番地」という意味のフランス語らしいですが、これでは何のこっちゃわかりません。パリ警視庁のある場所らしいですが、そんなのフランス人は知っているんでしょうか。これは邦題の勝ちですね。「あるいは」とつけるところに小気味が利いている。もしかすると当初は「オルフェーベル・・・」もあって、その後に「あるいは」とつけようとしていたのかもしれませんが、「あるいは」から始めているのが正解ですね。タイトルについてはちょっとやられた感もあります。

 話はと言えば、警察内の派閥争いにおける二人の男の生き様を描いたものです。実話が元らしいです。派閥争いと目下の大事件という二つの軸を設定した点は、特別に目新しくもないと思いますが、話の駆動材料としていいですね。キャラクターもわかりやすいです。ただ、主人公の男レオ・ブリンクスについてはちょっと歯がゆかった。感情を表に出さないだけで熱いものを秘めているのだろう、と思いきや、案外そうでもないというか、どうも爆発してくれないんですね。妻が死んで憎くてたまらないはずなのに、相手のクランに対してはずっと抑え続けているんです。主人公に苛々する、というのはあまり気持ちのいいものではないです。妻の埋葬シーンは特に、「なんでやねん、なんでそこで殴らんのや」と思ってじれったかったですね。

 岩井俊二の『リリイ・シュシュのすべて』でも感じたんですが、主人公がもたもたするのが嫌です。格好悪いのはいいんです。怯えたりめっちゃ弱かったりしてもいい。ただ、はっきりしてくれないんです。いや、わかりますよ。ラスト近くのトイレで、レオは自分で撃たずにクランのもとに銃を置く。「一発目を外してもまだ十三発ある」などと言って去っていく。要するにおまえの罪をおまえで報いろ、と言いたいのでしょうが、「いやいや、おまえが殴ったってくれや」という気持ちになる。結局レオは去り、まあある人物のおかげでああなるのですが、要は結局何もできなかった男ですよね。結局何もできないという、それはそれでいいんです。ただ、この男はさほど魅力がない。だから、何かしてくれないと移入できません。

実話ベースということですが、どこまでが実話なのでしょうね。悪たれにティティが暴行を受け、あのナイフを持っていたのが結末を呼び込むわけですが、あまりにも偶然やなあという気がするし、まあ偶然は偶然でぜんぜんいいんですが、あのティティがどうしてあのナイフを七年間もずっと持っていたのでしょうか。あの経緯で手にしたあのナイフを、ずっと持っている理由がわからない。何を後生大事にずっと持っているのか。偶然と意味不明の保持であの結末をもたらされても、どうも気持ちよくないというか、中途半端です。あの終わり方は、ずっとはっきりしてくれないレオに代わって観客にカタルシスをくれますが、その持って行き方がちょっとなあ、という感じです。その辺の詰めが甘い映画ではあります。ある事件に関わり、娼婦に顔を見られてしまい、それがレオの決定的転落を呼び込む場面があります。細かいことを言いますが、「よくあの状況でレオの顔を視認できたなあ」と思ってしまう。もうちょっと親切にと言うか、わかりやすくしてくれてもよさそうなものです。だってフェラの最中にいきなり襲われて、車の中でかがみこんでいたわけでしょう。そしてこれもまたバスの中のほんの一瞬でレオを視認する。一介の娼婦がえらい視力の良さと動体視力と洞察力を持っているものやなあ、です。

 映画全体の作りというか運びの部分ではいいんです。テンポもいいし。
 ただ、主人公はじめキャラクターに今一歩の輝きがほしかった。妙なところでしっとりしている。背中で見せる、というほどレオは格好よくないし、かといって格好悪いわけでもない。なんでこの男が次期長官候補になっていたのかよくわからないくらいです。レオの描き方次第でもっとおいしい作品になった気がするので、その点が不満と言えば不満です。もうひとつ、なんか味がほしいなという料理。たとえばそんな感じです。
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by karasmoker | 2009-02-04 00:58 | 洋画 | Comments(0)
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