『マッチ工場の少女』『コントラクト・キラー』 アキ・カウリスマキ 1990

 アキ・カウリスマキの名状しがたい魅力

 池袋、新文芸座にて。
 北欧、フィンランドという場所に特別惹かれるわけではないのですが、このアキ・カウリスマキには惹かれます。小津安二郎のごとき定点撮影、かつ地味な物語構成であり、小津安二郎にはまったく惹かれないのですが、なぜかアキ・カウリスマキには惹かれます。なぜなのだろう、と考えてみても、よくわかりません。ただ、すべてを観たわけではないので言い切れはしませんが、ぼくが観てきたカウリスマキ作品はどれもこれもどうしようもなく寂しいです。その寂しさに惹かれる、というのはあるかもしれません。

 今回の二作品も寂しい話です。『マッチ工場の少女』は、工場で働く少女が(まあ少女ではぜんぜんないのですけれども、あのカティ・オウティネンに「少女」というのはちょっと気持ち悪いのですけれども)一人の男と一夜をともにして妊娠してしまう話です。相手の男は一夜限りの付き合いと思っていたため、いとも簡単に捨てられてしまい、最後には毒殺に至り、ついには家族さえも毒で殺してしまいます。正直、ちっとも劇的ではないんです。すべてが異常すぎるくらい淡々としている。人間味なんてものはつゆほどもない。ただ、抜群に寂しいんです。今回の映画は青と灰色の中間色のような、古びた金属のような色合いが随所に出てくる、あるいは基調となっているのですが、その色彩の最中であのオウティネンの無表情かつ無言の演技が続けられ、一言で形容しがたい寂寥感があるのです。

『コントラクト・キラー』は、会社をクビになり自殺しようとした男が、自分では怖くて自殺できずに、契約殺人を結んで自分を殺してもらおうとする話です。一人の女性に出会い、契約を解除してもらおうとするのですが、殺し屋は黙々と彼を追い続けます。こう書くと動きのある、サスペンスタッチの作品の筋のようですが、そんなハラハラ感はないのです。緩急も濃淡もなく、ただ話が進んでいくだけです。そこには感興も感動もないのです。動きがある場面も、動きがあるように見えてこない。ここまで書くとちっとも褒め言葉には読めないのですが、それがアキ・カウリスマキの味わいなのです。

『レニングラード・カウボーイズ・ゴーアメリカ』のようなコメディタッチの作品にもその寂しさはにじみ出ており、今回の二作品や『過去のない男』『街のあかり』などでは、寂寥がえげつないほど前面に出てきます。いや、それもちょっと違うのかもわからない。「悲しい」でも「哀しい」でも「切ない」でも「寂しい」でも「淋しい」でも「冷たい」でも「寒い」でもない、名状しがたいものを観るのです。人によってはこれをただの「つまらない」「退屈な」映画と呼ぶのかも知れない。というより、「アキ・カウリスマキは面白い」というとき、その「面白い」は決して「愉快」とか「楽しい」とかのfunny系ではありません。「interesting」も違う気がする。どんな形容詞がふさわしいのか、今回の映画で余計にわからなくなりました。

アキ・カウリスマキはどんな気持ちで映画を撮っているのでしょうか。
 正直、延々とここまで書いてきて、今回の二作品に関しては、「すごい」映画ではないと思うんです。別にすごくない。絶妙なカメラ位置なのか、ぼくにはそうは感じられなかった。音楽がすごいのか、それも違う。照明はどうか。確かな味わいがあり、カウリスマキ特有の気配は十二分に出ているが、それだけ切り取ってすごいと思われない。
 でも、ぼくはその中の何かに強く惹かれています。
そしてたぶん、今のぼくには、これ以上は何も書けないのです。
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by karasmoker | 2009-02-06 00:48 | 洋画 | Comments(0)
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