『ジャッキー・ブラウン』 クエンティン・タランティーノ 1997 

 前二作の躍動感はどこへ消えたのでしょうか。

 先日『レザボア・ドッグス』(1992)を再見しました。『レザボア・ドッグス』のいいところはたくさんあるんですけど、冒頭からかなりつかんでくれますね。どうでもいい会話をだらだら流した後で主要キャストが格好良く裏通りを歩いて、その後すぐに流血のティム・ロスがぎゃあぎゃあわめいているシーンに繋げる。で、その後は会話劇が延々と続く。舞台劇でもやりやすそうなシンプルな設定で、会話にテンポがあり、なおかついつ銃声が響くかわからない緊張感もあって、不安定でありながら全体を通してきちんとまとまっています。内と外の使い分け、現在と過去の使い分けも巧みでした。

『ジャッキー・ブラウン』は『レザボア・ドッグス』、『パルプ・フィクション』(1994)に続くタランティーノの長編三作目です。前二作の後で言えば、それまでのタランティーノっぽさがぐんと薄まったというのは異論ないところでしょう。作風をがらりと変えて来よったな、という感じです。二時間半あるんですが、前二作のテンポを踏襲すれば二時間、あるいは一時間半強でまとまるような話じゃないでしょうか。時間軸やシーンをずらす面白みは減じています。同じシーンをいくつも視点から切り取るなど時間軸の遊びはあるんですけれども、テンポ的な面白さがあまりないんです。どうでもいい会話の面白さも減じていました。お、これはタランティーノならでは! というわかりやすい魅力がなくなっていて、ハラハラ感もないんです。ああ、このシーンはきっと何も起こらないなあ、というところではやっぱり何も起こらない。いや、最初のほうの、オデールのボーエン殺しとか、結構期待を持たせるんです。ああ、油断ならんぞ、というね。でも、二時間半あるわりには途中だらだらしました。

 それでも前半を観ている間は、「ここまでをあえて抑え気味にして、クライマックスで爆発してくれるのだろう」と思っていたのですが、それも別になかった。金の受け渡しもなんだかキレがありませんでした。金の受け渡しを一回目、二回目とやるのですが、一回目は要らなかった気がして仕方ありません。とにかくロバート・フォスター扮するマックスが面白くないんです。サミュエル・L・ジャクソンもパム・グリアもいいんですよ。デ・ニーロもいいし、ブリジットフォンダもいい。ブリジットフォンダはこの映画公開当時で33歳くらいと知って驚きました。女子高生役でもまったく違和感ないくらいで、うざい少女というのがよく出ていて圧巻です。なのに、ロバート・フォスターのマックスがもう何も面白くない。このキャラクターが出ると見事にテンポが死にます。ああ、結局こいつは最後まで何もしないだろうなあ、と思っていたら本当に何もしなかった。ジャッキーブラウンに言われたことをやっているだけです。主体性がゼロです。このポジションは必要だったんでしょうか。

前二作にしても『キル・ビル』(2003)にしても、やりたい放題やっているんです。タランティーノはそれがいいんです。ああ、こいつ好き放題やっとるなあ、というのが観ていて面白いんです。『ジャッキー・ブラウン』なんかも、デビューからの二作を観て映画館に行った観客はそのやりたい放題が観たかったんだと思う。なのに、妙に抑制しています。抑制して時間をかけて、そのくせ話の切れ味はよくない。やっぱり、二時間半では長すぎる作品だと思います。
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by karasmoker | 2009-02-11 12:19 | 洋画 | Comments(0)
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