『デス・プルーフ in グラインドハウス』 クエンティン・タランティーノ 2007

 あの結末をどう感じたか、よければ教えてください。 
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 グラインドハウスとは低予算映画を2、3本同時上映する映画館のことだそうです。日本向けのDVDではカットされたシーンも盛り込まれ、一本ずつになっているようです。 
 ついこの前、『ジャッキー・ブラウン』でタランティーノ節が失われていることを(世間に十年以上遅れて)嘆きましたが、『デス・プルーフ』は『キル・ビル』に引き続き、彼のやりたい放題が炸裂していてよかったです。時間を忘れて観ることができました。

 グラインドハウスの二本立てよろしく、この映画は前後半が分かれていますね。まずはタランティーノお得意のだらだらとどうでもいいことを喋りまくるシーンが続きます。松本人志が言及していましたが、あれは英語のリスニングができないともうひとつ楽しみ損ねる場面ですね。字幕は基本的に意味を表現するのに使われるわけですから、細かい言い回しにおける面白みは原理的に減じる。トーク番組などでも、その面白さは意味の部分で宿っているわけではなく、言い回し、表現の仕方、間の取り方などにかかっているわけですから。吹き替えで済むかと言えばそうではないでしょう。英語特有の表現というのがあるでしょうから、どのみち日本語にすれば楽しみきれない。もっとも、それはそれでいいんです。タランティーノのだらだら喋りって、その後の出来事のフリになると言うか、「ためてためてためてどーん!」の、「ためてためてためて」の部分に当たるわけです。RCサクセションの「雨上がりの夜空に」のメロディ部分みたいなもんです。わかる人だけわかってくれると思います。

 前半に登場したシドニー・ターミア・ポアチエというのは綺麗な人ですねえ。白人と黒人のハーフだそうですが、なるほど、上手い具合に白と黒が混ざるとこうなるのか、という感じの、正統派の美人です。ヴァネッサ・フェリルトという人は彼女ほど華はないですが、丁度いい感じの美人ですね。クラスにいたら一番もてるタイプじゃないでしょうか、ポアチエはなんか高嶺の花過ぎる感じもして、このフェリルトあたりが奥手な男子の気持ちをさらっていきそうです(何を言うとんねん)。

そして、だらだら喋りの後にびっくりが起こりましたね。ぼくは予備知識なしで観たので、単純に驚きました。カート・ラッセルが本性を現すときの言い回しが格好いい。悪役に言わせてみたい台詞です。それまでは、あれ? 今回はバイオレンス的なものがないのかな? と思わされるのですが、やはりそこはタランティーノでした。えげつないことをしましたね。それまでめっちゃ楽しくやっていたのに、突如です。あのシーンで眠気が見事に吹っ飛びました。

 その後、出てくる女性たちが替わり、グレードがかなり下がってしまいました。前半は綺麗どころがたくさんいたのに、綺麗どころと言えるのは一人だけです。しかもその人は途中から出てこず、おなすみたいな人と前髪を切りすぎている人とおばさんがメインになります。

 この後半、そして終わり方なんですけれども、ぼくとしてはなんか後味が悪かったです。映画としてはとても面白いんです。カーアクションもいいんです。でも、問題は結末なんです。ここからは完璧な、いつにもまして完璧な主観なのですが、カート・ラッセルが負けてしまうのが嫌だったんです。ぼくの頭がおかしいのでしょうか。今回の場合、あのラッセルに勝って終わってほしかった。そうでなくても相打ちにしてほしかったんです。

 カート・ラッセルは前半で、快楽殺人に踏み切るとんでもない悪人です。そして途中も悪事を働きます。だからあの終わり方は普通に考えて、勧善懲悪的カタルシスになる。にもかかわらず、ぼくは、あの殺人犯を応援してしまった。やはり頭がおかしいのかもしれません。銃で腕を撃たれてからは、何もいいところがありません。ぼくとしては、カート・ラッセルがあんな風に怯えて逃げ回りつつも、最後には「げへへ」と笑ってほしかったんです。そうでなくても、せめてあの女たちともどもどこかの崖から落ちるくらいしてほしかった。そのほうがすっきりして終われたんです。カート・ラッセルが勝っていれば、ぼくはこの映画、もっといいものとして受け止められたんです。我ながらおかしいとは思うんです。殺人犯が結局ぼこぼこにされる、それでいいはずなのに。ああ、ぼくの倫理観は変になっているのか。

 考えてみるに、あの女たちが好きになれなかったというか、カート・ラッセルのキャラクターのほうに愛着を感じてしまったというのはありますね。じゃあこれが逆に、前半のポアチエやフェリルトたちが後半の主人公であればどうだったか。なるほど、そう考えてみると、カート・ラッセルぼこぼこはすっきりした結末になりそうです。となると、ぼくのこの後味の悪さというのは要するに、女性の容姿の問題だったとも言えそうです。不細工な女たちに頑張られるのが嫌なのかもしれません。「おいおい、前半あれだけの上玉を出しといてあっけなく殺し、最後はブスが大活躍かよ」と、たとえばそんなゲスで下卑た感性の問題なのかもしれません。そうなるとこの映画はある意味で、ブス応援ムービーかもわかりません。ぼくはブスを応援していないので、すっきりしなかったのでしょう。思えばカート・ラッセルがあの女たちの車に体当たりしているとき、ぼくはカート・ラッセル側に感情移入していました。「落ちやがれこの野郎、けけけ」という気分でした。あれがポアチエやフェリルトであれば、「ああ、やめておくれよ、落ちちゃうよ」となっていたはずです。なんとも、ぼくの俗物性が露わにされた一本でありました。
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by karasmoker | 2009-02-16 01:33 | 洋画 | Comments(3)
Commented by zebra at 2014-03-31 15:23 x
DVDで何度も見てます。
>だらだら喋りの後にびっくりが起こりましたね。
あのガールズトークは眠気がきましたよ。つらかった・・・おいおい おい、もうええやん そんなん、って感じました。

>やはりそこはタランティーノでした。えげつないことをしましたね。 タランティーノのB級づくし この無意味なトークもそうですし 70年代の画質の悪いフィルムの質感も タランティーノの演出でした。

>しかもその人は途中から出てこず、おなすみたいな人と前髪を切りすぎている人とおばさんがメインになります。
 ハハハ^▽^ おなすですか(笑) たぶんゾーイベルかな
前髪切りすぎ・・・・・ロザリオドーソン・・・・ププ
おばさん・・・・トレイシートムズですね^^
いや~~~けちょんけちょんでにけなしてますね~
でも 前半女子と後半女子と比べるとグレードが下がるって意見は 否定はしきれませんね。


Commented by zebra at 2014-03-31 15:43 x
もう少しコメントしますね。

>カート・ラッセルは前半で、快楽殺人に踏み切るとんでもない悪人です。~中略~ああ、ぼくの倫理観は変になっているのか。
 別に その意見もなんとも思いませんよ。 カートラッセルが好きなら悪役でもOK なんてのも不思議じゃありませんから。

>じゃあこれが逆に、前半のポアチエやフェリルトたちが後半の主人公であればどうだったか。なるほど、そう考えてみると、カート・ラッセルぼこぼこはすっきりした結末になりそうです。
 それは考えたこともなかったです。う~ん そうですね・・・多分 ボクの場合は女子たちの容姿に関係なく ただ単に 狙った相手が悪かったんだなと。
>ぼくはカート・ラッセル側に感情移入していました。
 それもあなたの意見ですからいいんです。ボクもこの作品の感想をブログを書いた方たちに 同じコメントを書いてるのですが、
 ”マイク視点でいうなら ゾーイたち3人も 前半女子組であるジュリアたちのようにカークラッシュで一気に始末するべきだった・・・もしくはカーチェイスのとき とどめに ゾーイたちの車をひっくり返して動けなくしてから逃げるべきだった。 ”
 こう感想を書きましたから。

Commented by くえい at 2014-05-13 08:58 x
私も後半の女どもは好きになれませんでした。

監督の趣味は前半の女たちの美脚をさんざん撮って満足したので、後半は単純に強い女性でアクションを撮りたかったんでしょうね。
この映画の私の感想は味でいうなら「安い駄菓子」でタランティーノ作品の中でもかなり順位は低いですね…

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