『裸のランチ』 デヴィット・クローネンバーグ 1991

 精巧な特殊メイクも意匠を凝らした奇怪な装置も、たかだか数匹のゴキブリに勝てなかった。
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 ウィリアム・S・バロウズとこの『裸のランチ』というのは、その名前だけは前々から知っていたのですが、まだ原作を読んだことはありません。というか、麻薬でくるくるぱーになった最中に書いた、ストーリーもないような小説という時点で、ぼくはあまり興味を持てません。というか、それで名を馳せられても、ぼくとしてはもうひとつすごさを感じられないんですね。ある意味で誰にでもできることなんじゃないかと感じてしまう。麻薬でイッてるときに表現したものを、ぼくは認めたくないというか、それは一種の奇襲戦法でしかないと思っていて、じゃあ他の人間がそれをやったらもっとすごいんじゃないかと思ってしまう。普通の精神状態ですごい小説を書いた人が、麻薬でイッてるときに書いたものは、読んでみたいと思う。でも、麻薬漬けの人間が書いたものなら、それはやはり認めたくないんです。麻薬がいけない、というのとこれは別の話です。というか、ぼくは別に麻薬なるもの一般を嫌っているわけではない。ただ、ぼくはぼくでものをつくりたいと考えていて、それなりに日々悩んだりもしているので、そういう方面で飛ばれたとしても、ぜんぜん尊敬できないんです。

 とはいえ、映画についてはそれなりに期待して観ました。監督がどういう世界をもたらしてくれるかは、原作とはまったく別の話だからです。特に前に観た『ザ・フライ』がとてもよかったのもあって、今回は題材が題材だけに、余計ハードルが上がりました。しかし、残念なことに期待はずれでありました。ぼくが感じたことは山形浩生のウェブサイトにそのまま書かれているので、そちらを読んでもらうのもひとつとして、そこではあまり言及されていなかったことを書いてみたいと思います。

前回の『第三の男』の記事で、映像ならではのものを観たいと書きまして、それに関連する形で阿部和重の文章に触れました。いわく、「スタンリー・キューブリックが一九六八年当時の最先端テクノロジーによる特殊撮影効果を駆使して仕上げた『2001年宇宙の旅』におけるすべてのシーンをもってしても太刀打ちできなかった一九六一年の作品『ハタリ!』にみられる猿の大量捕獲場面」。今回、似たようなことをぼくは『裸のランチ』作中において感じました。

 作品の中ではグロテスクな生き物がたくさんでてきます。タイプライターに模した形状で、なおかつ背中に喋る肛門のある虫や、頭に生えた触覚の先からだらだらと液を垂らす、あばらの浮き出た白い生き物など、いかにも金のかかった特殊メイクおよび装置の数々。 かなり気合いも金もこめてつくられたであろうそれらは、作り自体は確かにグロテスクで良質なものであり、安っぽさは感じさせないけれども、残念なことに、冒頭及び前半の場面で登場した、本物のゴキブリに勝てなかった。たかだか三匹程度のゴキブリのほうが、よほど気持ちの悪い代物であったのです。これはこの映画にとってきわめて深刻な事態であるなあと感じます。ぼくは常々、「どんなホラー作品よりも、部屋にいる一匹のゴキブリのほうが怖い」と感じているのですが、それはつまりより確かな現実感を帯びるからであって、どうしてもホラー的な表現は表現という枠組みの中に収まってしまうんです。映画の作り物は、たとえどんなに精巧であっても(そして仮にCGを用いることがあったとしても)、それが作り物であるという時点で既に負けてしまうんです。2005年公開の海洋ドキュメンタリー映画『ディープ・ブルー』はそれを如実に示していて、人間の作った映像は結局のところ生身の生き物の躍動を超えることはできないんです。今回で言えば、ゴキブリが一番グロテスクでした。ゴキブリに似せた奇怪な生物が序盤、主人公の靴で潰されますが、あれが本物のゴキブリだったらもっと気持ち悪かったはず。ぼくは、どうしてもそう感じてしまいます。

 それに類した点は山形浩生が指摘している通りで、この映画はセットがその奥行きを感じさせない。モロッコの猥雑な街並みを再現しているのですが、まるでコントのような奥行きの無さで、そこからは何の臭いも匂いも風情も沸き立ってこないから、これまた哀しいことにラストの、ほんのちょっと映っただけの林のシーンに負ける。いや、それでもこの点に関してはまだ思案の余地があります。現実離れした世界を描く場合に、必ずしもセットにリアルさを求めても仕方ないのであるから、あえてリアルさを排した虚構的な空間を作ろうとしたのかも知れません。ただ、仮にそうだとするなら、やはり最初にゴキブリを出したのは失敗だった。あるいは、害虫駆除の脂ぎった汚い事務所のような場所を出すべきでもなかった。等身大でリアルな禍々しさ、鼻をつまみたくなるような悪臭の風情を見せてしまえば、今回の場合、虚構に軍配は上がらないと思う。この辺のことは多分に印象論がかっているので、それはぜんぜんそうじゃない、と感じる人もいるかも知れませんが、ぼくにはこの世界を楽しむことができませんでした。途中からどうでもよくなり始めていましたが、そのどうでもよさは、麻薬的な愉悦をくれなかったし、物語を追う必要を感じないという意味での狂いもまた、ぼくにはもたらされませんでした。
 
 うーん。味わいきれませんでしたねえ。
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by karasmoker | 2009-02-20 07:29 | 洋画 | Comments(0)
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