『八甲田山』 森谷司郎 1977

 現代の日本映画は過去から何を学んでいるんだろうか。    
何故こうした傑作を観て育ったはずの人々が、愚かな演出に手を染めるんだろうか。 

 ずっとずっと前に、この映画の一場面をテレビで観たことがあって、極寒の最中発狂してふんどし一枚になる男の像が頭に焼き付いていて、ああ、なんかとてつもない映画なのだろうなあと思い続けていて、実際に観てみるとやはりとてつもない映画でした。
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 監督は森谷司郎という人で、黒沢映画のチーフ助監督を務めた人らしいです。橋本忍や芥川也寸志といった黒沢明の盟友もおり、『砂の器』(1974)の野村芳太郎も加わっていて、役者陣は高倉健、北大路欣也、三國連太郎、加山雄三、脇を固めるのが丹波哲郎や緒形拳という、これまたすんごいメンツです。

 日露戦争前、極寒地域での陸軍戦闘とロシア軍の陸軍戦闘に備え、高倉健と北大路欣也の部隊が真冬の八甲田山に雪中行軍に出されるお話です。2時間50分の上映時間は序盤の旅立ち前夜のときよりあとはずっと、豪雪の山中が舞台です。これがもう凄絶な道程で、吹雪が荒れ狂うシーンがたくさんあって、誰が誰やらわからなくなります。二つの部隊の様子が交互に描かれるのですが、どちらがどちらなのかもよくわからない。でもこれって、とても正しい演出だと思うんです。ああ、今は日本海外問わず、こんなのはできないんだろうなあと思います。雪に難儀する人々の様が描かれ、それがどこなのかもよくわからず、人の顔も雪でよくわからず、観客もまた遭難者のような気持ちにさせられます。有名役者がたくさん出ているにもかかわらず、被写体に気持ちを取られていないんですね。最近の大作はどうしてもヒーローヒロイン、有名な役者の顔をばっちり撮ろうとするんですが、この映画はその愚を犯さず、あくまでも一人の雪中の受難者として描いています。だからこそ、深い雪に翻弄される人間の姿がひしひしと伝わってくる。不分明であることの分明さ。描かれないが故に、描かれるものがある。
 
 人間ドラマみたいなものも、つとめて押し殺したトーンで描かれています。長い雪中行軍のシーンはともすれば退屈に陥りかねず、何かと派手な出来事や人々のぶつかりを求めてしまいますが、この映画では皆が皆、軍の一員としての哀しい生き方を全うしています。上下関係というものがきちんと貫かれているのは、やはり作り手たちが戦前に生まれ、戦争を体験した世代だからではないでしょうか。生温かい人間ドラマ、上下関係の窮屈さを打ち破るような現代の若者的振る舞いは、そこにありません。ことさらな演出はなく、だからこそただ一度の、北大路欣也が三國連太郎に判断の過ちを咎めるシーンが熱を帯びる。そしてそれも、まったくもって過剰さがない。こういう表現にぼくはとても打たれます。たとえ間違っていると思っても、極限状態にあったとしても、上官の命令に逆らうことができず、ぐっと唇を噛みしめて従い、でもどうしても言っておきたい、言わずにおれない一言があり、強い怒りを堪えながらぶつける。あのシーンは、強い。

 台詞とか心の交流なんてものがなくても、人間のドラマは生まれるんですね。あの案内人の女性がそうでした。名前もわからない案内人、一切の私語はありません。彼女がどんな人間なのかもわからない。でも、三十一連隊が彼女に敬礼をする別れのシーンの濃度たるや、圧巻の一語です。ああいう存在にも、ぼくは心惹かれます。黒澤明の『隠し砦の三悪人』(1958)で、雪姫一行が道中買われた女を助けるところがあります。その女は一行についてくるのですが、ほとんど台詞もなく、綺麗でもなくて、ずっと無愛想な顔をしています。でも、終盤雪姫一行が窮地に陥ったとき、身を挺して彼らを逃がそうとし、撃たれて死んでしまうんです。台詞も人間味もエピソードもなくていい。ただ、大変な状況の中にある人間には、存在するだけで宿るものがあるのです。『隠し砦の三悪人』といえば、リメイクされていましたね。観たくもありません。これはさっき書いたことに関連することですが、聞くところによればなんでも、雪姫が連れの百姓の一人と恋仲っぽくなるというではありませんか! だからなんでそういうことをするんだ! 上下関係、身分の違い、超えられぬ壁があったんだ! それをなくして生まれた現代はそれはそれでいいものだ。だがどうしてその価値観をそのまま映画に持ち込むんだ! どうせあの買われた女さえも美女にしてしまっているはずだ! あれは美女じゃないからいいんだ! なんでそれがわからないんだ!

『八甲田山』に戻ります。八甲田山は大量に人が出てきますから、当然一人一人にまでスポットは当たりません。その他大勢みたいになる人がいっぱいいます。ただ、前進に雪を被りながらの物言わぬ後ろ姿や黙々と歩く姿は、人間の真っ直ぐさのようなものが現れているというか、どうしようもなく愚直であるしかないけなげさというか、哀しい面が映し出されています。一人一人の人間性までは見えなくても、辛い状況で必死になるほかない生き様は、そこに確かに透けているのです。その他大勢は、決してただのその他大勢ではありませんでした。何も言えず倒れていく様は、すごく哀しいものでありました。 

 吹雪荒れる真っ白なシーンの続く中で、すっと春や夏のシーンが入るのもよかったですね。しかもそれがただ風景を映し、幼い日を思い出すだけに留まり、妙な日常の回想を入れたりしないのが良かった。温かい家庭の様子、家族とのやりとりなんかを描けば一挙に手軽に感傷的になるけれど、この映画はあくまでもそうした感傷性を排除している。ああ、古い映画ならではの実に好ましい演出です。

 この映画を実際に撮ったのがすごいです。『タワーリングインフェルノ』で感じた「ものづくりの神様」の存在を、今回も感じずにはいられませんでした。2時間50分をぜんぜん長く思わせない。またひとつ、大傑作に出会えました。
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by karasmoker | 2009-02-23 08:42 | 邦画 | Comments(0)
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