『ダイアモンドは傷つかない』 藤田敏八 1982

主演の田中美佐子も映画の風合いもいいのに、いかんせんむにゃむにゃし過ぎていた。
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 田中美佐子の映画デビュー作なのですが、このときの田中美佐子は蒼井優とよく似ています。全体を通して佇まいが似ていて、カットによってはほとんど酷似している場面もありました。田中美佐子といえばぼくはテレビドラマ『セカンドチャンス』のイメージしかなくて、そのイメージも記憶とともに薄れているのですが、若かりし頃の田中美佐子を愛でるには最良の映画でありましょう。映画の中での演技や風情はとてもいいです。この後の活動はテレビドラマがメインで、ほとんど映画には出ていないんですね。長い黒髪には大和撫子の魅力が十二分に備わっており、彼女でこの映画は持っていました。

 大学生の田中美佐子と予備校教師の山崎努の恋愛劇がメインで、浮気性の山崎努には正妻がおり、なおかつ他の愛人もおり、云々という話なのですが、ストーリー展開自体はいくぶん退屈でありました。田中美佐子の心情描写に物足りなさがあり、山崎努も序盤に比べて面白みがなかった。話の運び自体は途中からどうでも良くなりますね。

 うん、大学生的な倦怠感でも言いましょうか、なんとない退屈さと言いましょうか、そういうのは表されているのですけれども、それにしても後半けだるさが過ぎて、田中美佐子の気持ちがよくわからなかったです。山崎努がもっと加速してもいいのになあと思えてなりませんでした。浮気しつつも、妻の朝丘幸路を捨てられないのだという気持ちの部分に全編通して変化がなく、恋愛劇が結局むにゃむにゃし続けているのです。田中美佐子がレストランで、もう一人の愛人、加賀まりこを交えて山崎努と衝突しますが、この場面にもどうも宿るものがないんです。あの場面には、もっと宿るものがなきゃいけないと思うんです。

 カット割りや街の写し方は好きです。全体を通してその点は非常に好ましかった。被写体とカメラの距離感、あるいはカメラが写し込む被写体の大きさは今の日本映画と比べて美しい構図で、カットも無駄に動きすぎずある程度の定点性を維持してくれます。撮り方については好きだったので、その分物語にもうひとつの味わいがほしかったなあと思います。

この手の映画って、わりと撮られやすいんじゃないでしょうか。要するに、「なんかむにゃむにゃする恋模様、そしてその生活」みたいなね。予算的にも大して必要とせず、過酷なロケも派手なシーンもいらないですから撮りやすく、ただその分話を持たせるにはテンポの醸成と静物画を描く際の演出力が必要と思われます。その種の映画でぼくが好きなのは矢崎仁司監督の『ストロベリーショートケイクス』(2006)。女性中心の物語で結構むにゃむにゃしており、しゃらくさい場面もあり、ぼくのような人間には肌合いが悪いはずなんですが、これはなぜか心地よかった(ちなみに作家の保坂和志がちょい役で出ています)。池脇千鶴や中越典子の好演が光っており、しゃらくさいデリヘル嬢もよかった。

 一方、そうしたタイプの日本映画にはもうどうしようもないものもあり、もう絶対に観てはいけない最悪な映画が大宮エリー監督『海でのはなし』(2006)。宮崎あおい、西島秀俊、それから菊地凛子など現代邦画界の逸材を起用しながら、もうこれがひどい。yahoo動画で配信されたものをDVD化したらしいのですが、予算云々以前に何も描いていないんです。スピッツの名曲をたくさん用いながら使い方はむちゃくちゃで、「何も描かずに、それでいて何かが描かれる」ほどの手練れでもない。『ダイアモンドは傷つかない』では田中美佐子の濡れ場がありますが、それで思い出すのが星野真里主演のむにゃむにゃ系恋愛映画『さよなら、みどりちゃん』(2005)。これももうひとつでした。星野真里がいいし、感情の振り幅もあるけど、倦怠感の風合いはもうちょっとほしい。惜しい。こういうのがあるから、現代のむにゃむにゃ映画には少し手を出しにくいところもあります。
 
『ダイアモンドは傷つかない』は、もう少し振り子を振ってほしかったなあと思います。そうでないとせっかくの田中美佐子も生きてこないんですね。大学の同級生もその他大勢感が強かった。なんだかもったいない感じがすごくする映画です。このときの田中美佐子は間違いなくダイアモンドの原石で、磨かぬうちに光っていましたから、映画にもその輝きがほしかったのが率直なところであります。
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by karasmoker | 2009-02-26 03:26 | 邦画 | Comments(0)
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