『愛のむきだし』 園子温 2009 レビウ前半

すごい映画につきレビウも二本に分けます。あらすじ紹介がメインの長い記事です。

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新宿はケイズシネマにて鑑賞しました。最新作を観に行く趣味はないのですが、この監督の、それも四時間近い大作とあっては話は別です。タイトルがまたいいじゃないですか。『むきだしの愛』ではそれほど面白くないけれど、『愛のむきだし』と倒置することで違和感が生まれ、響きもぐっと気持ちよくなる。口に出すと気持ちいいです、『愛のむきだし』。園子温は詩人でもあるそうなので、その辺の語感はさすがであります。

 さて、この映画についてはラジオ番組『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル』でも語られており、かなり的確な論評がなされております。

何しろ四時間の映画なので、あらすじを語るとえらいことになりますが、話自体は複雑ではありません。簡単に言うと、愛むきだしの映画です。簡単に言いすぎました。

 あらすじ1
 主人公である高校生ユウは幼い頃に母を亡くしたが、神父である父とともに平穏に暮らしていた。しかしあるとき、その父のもとに一人の女がやってくる。神父である父に惚れた彼女は強引に父に迫り、父もその思いを受け入れて一緒に暮らすようになる。静かな家庭に入り込んだ彼女を疎ましく思うユウの一方、父はいつしか彼女に惚れ込むようになった。そんなあるとき、女は家を出て行ってしまった。その日から父は人が変わったように暗い人間になってしまい、ユウに対しては毎日毎日、懺悔を強いるようになる。日々の罪を告白せよと迫られながらも心優しいユウにそんな罪はない。ユウは自ら罪をつくるべく、不良の一味に加わるようになった。仲間から特異な性格を見込まれた彼は、有名な盗撮魔のもとに連れて行かれる。そしてそれ以降、ユウは盗撮に明け暮れるようになる。父に愛想を尽かされながらも、彼は盗撮を続けていた。そんなある日、彼は運命の出会いを果たすのであった。


 長尺な映画を引っ張る工夫として監督は、「奇跡まで○日」というカウントダウンを随所に挟み込みます。これが先々への興味を引っ張る一方、エンターテインメントに特化したテンポのある描き方で話を織りなし、観る者をまったく飽きさせません。アクロバット的な動きで盗撮を繰り返す姿は実に馬鹿馬鹿しいのですが、馬鹿馬鹿しいことをとても真面目にやっているので、場面に張りが生まれている。なおかつ男目線のぼくにとって、パンチラは適度なスパイスと化しているんですね。ちょいちょいパンチラを挟み込むので、ついついにやにやしてしまいます。前回『巨人と玩具』のテンポに圧倒されたぼくですが、本作もまたすばらしいテンポ。宇多丸は賞賛の意味で「間がない」と評しました。四時間を引っ張っていくために監督が選んだ道がこれです。ただ、これだけでは盗撮に目覚めた高校生のお馬鹿ムービーなどと取られかねないところですが、そうさせないためのもう一方のおもりに、あの教会シーンと父の怖さを配置しています。教会シーンの荘厳な風景を描き、父を求める子のあがきという側面を配したために、ただの馬鹿らしい映画に収まらないことが示されているのです。

 映画は章分けがなされており、最初はユウの章、そして次に出てくるのはコイケという女の章です。コイケは新興宗教「ゼロ教会」の勧誘員で、ある目的からユウを付け狙っているのでした。コイケは奥田瑛二と安藤和津の娘、安藤サクラという人が演じていますが、これがまた腹の立つ顔をしているんです。うわー、むかつく女やあ、という顔で、この辺がやはり園監督の大変さじ加減がうまいところです。板尾扮する父親のペニスをちょん切るなどすごい過去を持つこの女の過去が示される第二章があり、この女が物語後半で大きな動きを見せます。

 第三章はヨーコの章です。元Folder5の満島ひかりという人なのですが、この人がもうべらぼうに可愛いです。観てもらえばわかりますが、系統としては欽ちゃん球団の片岡安祐美、あるいは蒼井そらに似ており、とてもスクリーン映えする顔立ちでした。Folder5などB級のアイドルに過ぎず、早々潰れ朽ちるのだろうと思っており、実際数年前に潰れたわけですが、いやはやこんな人が隠れていたとはお見それしました。いつもの園マジックにより、役者は120パーセントの力を出します。役者を劇中人物として際だたせるその監督の手腕は絶大であり、この満島ひかりの演技も瞠目です。いかにも演劇的、映画的、芝居的な攻撃的な性格を魅せる一方で、等身大の女子高生的な面が光る。この振り幅が素晴らしい。路上での格闘シーンにおいて、ダメな映画では馬鹿らしい表現になりかねぬ啖呵が抜群の響きを持っており、その後に続く乱闘シーンでこれまたパンチラならぬパンモロが見えることで男子の股間もまた躍動し始めるのであり、なおかつ後のレズシーン、ディープキスシーンなどが続くとなれば、ああ、これぞエンターテインメントであるなあという単純にして率直な感慨がせり上がること請け合いでありましょう。ヨーコに一目惚れしたユウ。この出会いが、後半のとてつもない物語の幕開けになるのです。

このペースで行くとかなり長いレビウになりますが、まあ仕方ありません。

 途中、主人公のユウとヨーコが親の再婚によって同棲するようになります。これがまさにラブコメ的なんです。というのも、第四章のサソリの章。路上でヨーコと悪たれの乱闘に遭遇したユウは、そのとき罰ゲームで女装しており、そのまま喧嘩で大活躍したものだから、女装とは気づかぬヨーコに惚れられてしまいます。ヨーコはユウ扮するサソリにベタ惚れ、一方ユウの状態では嫌われっぱなし。そんな状態で同棲生活が始まって…とラブコメのお膳立てばっちりの風合いで前半が終わります。

 十分の休憩時間があるのですが、後半が楽しみで仕方ないんですね。いや、これがよくわからない監督だったら別ですが、何しろ園子温です。コイケの伏線もあるため、ただのラブコメになるはずがないと想像力を膨らませてくれる。それでいて一度ラブコメ的なものに過ぎないのではないかという「ハードル下げ」も行っているため、後半の爆発がより効果的になっています。監督は休憩を挟みたくなかったようですが、この休憩はいい効果を果たしていると思われました。前半二時間を観た時点で、まったく飽きがありません。いや、結果から言うと、終わり近くになってもぼくはぜんぜん終わってほしくなかった。長いなあ、と感じることは皆無と言ってもいいでしょう。

 さて、やっと前半レビウも後半です。

 あらすじ2
 ずっと遠くから観ているだけだったコイケが動き出す。ユウとヨーコのいる高校に、女子高生としてコイケがやってきたのだ。コイケの目下の狙いは、ユウとその父であった。父は街で信頼の厚い神父であり、彼を教団に取り込むことで信者を増やすことを目論見、ユウと同棲中であるヨーコに接近していった。憧れのサソリは自分であると偽り、ヨーコの絶対的とも言える信頼を勝ち取ったコイケはとうとう牙をむく。ユウの盗撮の様子を周囲に露見し、彼をどん底に突き落とすのだ。動揺した父、そしてその妻とヨーコはユウを罵倒し、彼を置いて消え去ってしまう。コイケがユウの家族を皆、教団へと連れ去ってしまったのだ。消息のわからぬまま、「仕事をしたら会わせてやる」と言われ、ユウは盗撮AVの仕事を始める。そしてあるとき、ユウは道ばたでヨーコを発見する。ヨーコは洗脳されきっていた。友人の助力で彼女を拉致したユウは、彼女の洗脳を解こうと全力を尽くす。


 浜辺の廃バスと海辺のシーンは一も二もなく絶品でした。特に印象的なのはなんと言っても、ユウとヨーコがもみ合う場面で、ヨーコの聖書暗唱(あるいは絶唱)はすごい濃度。コリントの信徒への手紙1の13章。

たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしい銅鑼、やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう。わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。幼子だったとき、わたしは幼子のように話、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔を合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているように知ることになる。それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。

 これをアップショットの満島ひかりが鬼気迫る表情で叫ぶ。この圧倒感は、もはやその辺のアイドルでありえはしないのです。前半のラブコメっぽいのはどこへ行ったというものすごい迫力です。この後、結局ヨーコは教団に連れ去られるのですが、それを救い出そうとするユウの働きもまたすさまじい。巨大な話じゃないんですよ。話としてはむしろ小さい。でも、四時間費やすだけの価値が存分にあります。

あらすじを書く趣味はないのですが、不思議とそれを追いかけたくなってしまいました。でも内容が圧倒的なので、これを書かないと後半のレビウを書いても何のこっちゃわからなくなるのです。既に観た人からすれば、長い長い蛇足に過ぎない記事ですね。

後半に続きます。
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by karasmoker | 2009-03-11 08:05 | 邦画 | Comments(1)
Commented by シューズ at 2014-01-07 14:50 x
I got what you intend, regards for posting .Woh I am thankful to find this website through google. "Those who corrupt the public mind are just as evil as those who steal from the public." by Theodor Wiesengrund Adorno.
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