『ファントム・オブ・パラダイス』 ブライアン・デ・パルマ 1974

 強烈さ、勢い、映画という表現の強みが活かされています。
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映画という表現には小説にはない自由さがあるのであって(無論その逆もしかりですが)、そのひとつに「勢い」というのがありますね。勢いで突っ走って、細かいことを言うのも無粋で、ともかくもおもろいからええやんけ、と言わせてしまう強さというのは、文章のそれよりも圧倒的に上であるように思うのです。

 文章とは結局文字の連なりであり、その愉しみを享受することはすなわち、意味を解してから味わいを覚えることであります。読書においては否応なく「読解」が必要になるのであり、「読解以前の快感」を覚えるのは難しいというか、まったく意味はわからないけれど面白い、というものはどうしてもつくりにくいのです。文章表現は意味と不可分であるがゆえに、意味に縛られる。それを壊す醍醐味もあるのですが、それを人に理解してもらうのはこれはこれで至難で、それがゆえ映像の自由さに憧れを抱くのであります。

 何のこっちゃ、という文章から始めてしまいましたけれども、これが『ファントム・オブ・パラダイス』を観て抱いた率直な感想のひとつであります。リアリティだの何だのは置き去り、強烈であること、面白いことこそ重要なのだとぼくは強く思うのであります。

先日ハワード・ホークスの『赤ちゃん教育』(1938)を観たときも感じたことですが、映像特有の物語運びの勢いは、細かいリアリティなどどうでもいいものと感じさせてくれます。そうした映画を観ると、今の日本の小説はダメだなあという気がしてくる。面白くもない、有り体に言ってどうでもいいような細部はしっかりしているくせに、総体として見れば面白くない。そのくせそれを「エンタメ小説」などと呼んだりする。エンターテインメントっていうのは愉しませることが第一義でしょう。極端な話、面白ければ何でもいいんです。本来細かい理屈などものみな余計で、面白いことが何よりも尊いはずなのです。理屈抜きの面白さというものを追い求めていきたいのですが、どうもぼくにとって好ましくないものが小説の世界を跋扈し続けている気がしてなりません。

 どうも愚痴っぽい話に引きずられます。そろそろ映画の話をしないと行けません。
『ファントム・オブ・パラダイス』ですが、ぼくはやっぱりこのブライアン・デ・パルマという監督が好きです。この人の映像表現はぼくの好みに合うのでして、世間的にはヒッチコックの強い影響下にあるなどと言われるようで、その辺の細かいところはよくわからないですけれども、ぼくはヒッチコックより断然デ・パルマが好きです。

 一人の作曲家が悪徳プロデューサーの手によって自分の曲を奪われ、悲劇的に転がり落ちていくのですが、その運びはある種の馬鹿馬鹿しさが含まれつつも強烈であり、「ああ、もうとんでもないことになっているなあ」といつの間にか引き込まれてしまいます。主人公の作曲家はずたぼろになり、「ファントム」として再び現れるのですが、その格好悪さを描いているのが大きくて、決して無敵の存在にはなっていないんですね。よくわからないまま掌の上で踊らされていて、悪徳プロデューサーのしたたかさとうまくバランスがとれていました。

 日本で言うと、三池崇史や園子温の表現に近いなあと感じました。キューブリック的なシュールさにグロテスクさ、醜悪さが加味されているというか、リアリティなどないけれどリアリティなんてそもそもどうでもいいじゃんか! と宣言するような頼もしさがそこにはあるのであり、ロックの狂騒場面やスプリットスクリーンなどの映像効果によってその強烈さをより濃度の高いものにしているのです。

 ロックの場面の混乱ぶりが出てきますが、『キャリー』のプロムシーンよりも白熱の度合いが高くて、えらいことが起こっているにもかかわらず観客が騒ぎ続けているのがいいのですね。あそこで客が引いたり変に怯えたりすると狂騒の度合いが弱まってしまいますが、ラスト、観客の興奮を前面においたまま舞台上の大混乱をつくりだしているのがとても好ましい。「ファントム」化した主人公の悲劇的最期もまたその中で描かれ、決してしっとりしていないからいい。感動のラブシーンなんかだと、周囲の声を落として背景化し、主人公とヒロインの語らいに焦点を絞ってしまうことがありますが、この映画はその道を回避し、あくまでも混乱の中の一点として扱っている。これにより観ている側は不要な落ち着きを得ることなく、ただあの場面を呆然として見続けることになるのであり、だからこそあの場面の濃度はきわめて高いものになっているのです。登場人物に冷徹な距離を置くこのような演出は、どうも少なくなっている気がします。あの混乱の中にあればこそ、「ファントム」であるところの主人公の哀しさはより大きなものになります。かなりさらっと終わっていて、まったくだらだらしていない。説明していないのが、すごくよい。

 90分というサイズもいいですね。この映画の場合、のばそうと思えばもっとのばせそうですが、このサイズで切った分面白みが圧縮されています。デ・パルマの、実に思い切りのよい一本であります。
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by karasmoker | 2009-03-19 07:24 | 洋画 | Comments(0)
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