『新幹線大爆破』 佐藤純弥 1975

リアルにしたいのかしたくないのか。作品内でその点に大きな分裂があるため、久々の辛口モードです。
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 一定速度以下になると爆発する爆弾が新幹線に仕掛けられ、犯人が解除方法の伝授と引き替えに大金を要求するという設定の話で、犯人と警察・国鉄の駆け引き、当の新幹線のパニックが見所となる作品です。

 今日現在のウィキによると、
「当時のオールスター揃い踏みの豪華キャストが話題になった(東映の専属スターのみならず、いわゆる“東映色”の薄い俳優陣も数多く揃った)と同時に、それまで仁侠映画・実録ヤクザ映画を数多く手がけてきた東映が、その路線とイメージからの脱却を図るべく、当時の洋画におけるトレンドであったパニック系アクションの制作に乗り出した第一作目ということもあり、業界からも注目を集めた。しかし、国鉄から撮影(ロケ)の協力が思うように得られず、制作が2ヶ月ほど遅れ、映画の完成は封切の2日前だった。そのため試写会もなく、宣伝も行き届かなかった。(中略)1980年代以降、同作品のレンタルビデオやテレビ放映がされるにつれ徐々に再評価されるようになり、今日に至ってもなお多くのファンを魅了している。1998年には当時の資料や対談などを内ジャケットやライナーノーツに掲載した2枚組レーザーディスクも発売されている。2001年、東映50周年記念を機にDVDソフト化希望の映画タイトルを投票により募集したところ、3位にランキングされ、翌年DVD化されて発売された。DVD化により公開当時の直接世代とは言えない1970 - 1980年代生まれの世代にも一気に認知度が高まり、『太陽を盗んだ男』と並んでカルトとも呼べる熱烈なファン層も存在している。」
とのことです。同年代のパニック系アクションではアメリカにすごい作品がありました。日本でもパニック系ではないですが1977年、『新幹線大爆破』と同じ高倉健主演の『八甲田山』があり、その辺の関連のために期待を高めて観ました。

 傑作との呼び声もある本作ですが、ちょっと脚本がお粗末でした。

 止まれぬ新幹線が走り続け、他の電車との衝突を回避しながらなんとか解決の道を探る、という筋立てなのですが、鉄道のダイヤがかくも精密であるのに対し、この映画の脚本はかなり粗いです。重大な突っ込みどころが多く、緻密な鉄道運行や組織的な人々の動きというものが鍵となる本作においては、いささか看過し得ぬような奇怪な点が数多くありました。

 これはこの映画においてきわめて重大な問題と思われます。というのは、犯人と警察の一進一退の攻防が見物であるこの作品の場合、そのやりとりが緊迫したものでなければ2時間半の視聴に耐えるものではなく、なおかつその動きは説得的なものであるべきです。
 そのくせこの映画の組織の動きは、「駄目な警察の描写」をしているにしてもあまりにもやり過ぎている感が強く、終盤ではありえないような展開が起きる。ぼくはリアリティなるものについて、根本ではどうでもいいと感じているのですが、この映画の描き方に則るならばリアリティは必要になる。あくまでも現実の人間の動きを刻々と描いており、警察組織、国鉄、犯人の真摯なやりとりがそこに展開しているわけですから、リアリティはむしろ武器にするべきもので、リアリティが欠けているのはちょっとまずいと思うのです。

 その中でも重大なものをあげると(たくさんあるのですが)、あの喫茶店の描写です。犯人の高倉健に対し警察は爆弾の図面を要求します。高倉健は「喫茶店においてある」というのですが、ここが異常なまでに唐突かつ不思議。喫茶店に図面を置いた描写はなく、しかも客が立ち去った後の席にあんなに目立つ形で大きな封筒が置き去りにされているのは妙で、まあそれは許すにしても、なんとその後警察が駆けつけたとき、喫茶店は火災炎上しているのです。ぼくはてっきり山本圭が何かしらの動きを見せたのだろうと思ったのですが、そうではなかった。じゃあなぜあんな火災が起きたのか。あれはあまりにもいただけません。本当に唐突なのです。それ以前の場面でも、犯人一味の山本圭を警察が追う際の動きがあまりにも杜撰であり、それより前の渓谷の柔道部のくだりもおかしく、これでは警察と犯人の熱戦がちっとも説得的ではない。それがこの作品の肝でしょう。何をやっているのか。

 一番気になったのは国鉄職員の宇津井健がテレビを通じて犯人に呼びかける場面。爆弾が解除された後もあの呼びかけがテレビで続けられている。それはあり得ないでしょう。記者の一団を同乗させている点も踏まえ、当然マスコミが現場に詰めかけて報道しているはずで、あんな風にテレビで呼びかけが続くというのがあり得ず、一連の流れを考えても警察の動きとしてちっとも合理的ではない。あんな演出をされてはどうしようもない。シリアスな展開や犯人の哀しい過去などを描きながら、一方できわめてリアリティのない演出を施す。どうしたいのか。この映画をどう観ればいいのか。やっていることは真剣そのものなのに、悪いけれど脚本がバカ映画そのもの。

細かいところを言い出せばきりがないですが、新幹線に爆弾を仕掛ける描写がないのが妙で、車両清掃員になって仕掛けたと言いますが、どうやって清掃員があの位置に仕掛けるのか。犯人の一人を工事現場作業員に設定しており、傍には爆弾の仕掛けをつくれるような高倉健がいるのだから、整備士か何かになることにするほうが説得的じゃないですか、あの位置に爆弾を仕掛けるなら。また、警察は「爆弾の図面」を要求するのですが、なぜ「図面」を要求するのか。位置を知らせろというべきであり、しかも結局「図面」がわからないまま簡単に爆弾のコードを切っている。乗客の描写も平凡。せっかくあれだけの乗客がいるのだから、2時間半のどこかで、「爆弾がないか観客がそこかしこを探し回る」みたいな描写をつくったり、あるいはスターみたいな人を同乗させたのだからその周辺の話をつくったり、危機的状況下の人間模様を描いてみたり、いくらでもあるじゃないですか。そうすれば観客のパニックがより伝わるはずなのに、これじゃあ悪いけれどパニックものではないです。前年にアメリカでつくられたあの作品と同じ呼称では呼べません。だから車内の限定空間性が醸成されないし、車内と外の対比のテンポも生まれない。車内の模様、外の模様、車内の模様、外の模様、でテンポを織りなせばいいのに、かなり車内の動きが置き去りにされていました。

 序盤はそれなりに期待させるんです。でも、あまりにもおかしい箇所が散見されるので、全体としての印象が相当悪くなっています。それなりに魅せはするし、退屈な映画というわけでもない。だから面白いという人がいるのもわかります。ただ、役者、素材がいいだけに描き方、脚本の部分でかなりもったいない。まあ、「面白ければ何でもいい」がぼくの根本なので、これを面白いという人がいたらもうそれでいいとは思います。でも、ちょっと突っ込みどころが多すぎやしないかと感じられ、その点が大きくマイナスでした。
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by karasmoker | 2009-03-22 06:14 | 邦画 | Comments(0)
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