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『ハザード』 園子温 2006

入学シーズンたけなわですが、大学二、三年生に薦める映画です。

先月最新作の『愛のむきだし』で大ショックを受けたぼくですが、今回取り上げる『ハザード』はいい意味でも悪い意味でも、これまでぼくが観てきた園子温ムービーとは違いました。公開は2006年ですが、撮影自体は2002年の9月に行われたようです。そうなると『紀子の食卓』や『奇妙なサーカス』より前なのではないでしょうか。映画は全編ニューヨークロケで、予備知識なしで観たものですから、単純に驚きました。
 
 オダギリジョー扮する大学生のシンイチが、日本の大学生活につまらなさを感じ、単身ニューヨークに旅に出ます。その先で仲間と出会い、その青春の日々が描かれる、とまあそんなところです。

 これを大学生の頃、大学二年か三年の頃くらいに観ていればおそらく、今とは違う感覚を抱いていると思います。今観るよりも率直に切実に感じることがあったんじゃないかと思います。オダギリジョーの佇まい、振る舞いが映画の中でとてもいいんですね。なんというか、本当にバカな感じ。暴力的でアクティブなバカじゃないんですよ。日本につまらなさを感じてぽんと飛び出してしまったというのがよく出ている。監督インタビューで「素朴なバカ」という表現がありましたが、まさにその通り。ニューヨークに来たシンイチはハザード=危険を求めるのですが、その若さゆえ本当に危険なものを知らない。無邪気に危険なものを求めてしまう、ただの大学生の感じがいいんです。自分からいかつい黒人のほうに寄って行ってしまうくだりなんかも、わかるなあ。別にいちびっているわけじゃないんですよ。でも、なんか大丈夫じゃないかと思って寄っていっちゃうんです。この辺の息づかいはとてもリアルだと思います。ものを知らず、危険も知らないから、周りで起こっていることが受け止められないんです。実際に黒人に脅されても、何が何だかわからない。周りのノリがまったく訳がわからない。この辺の戸惑いは非常にリアルです。

この映画で特筆すべきはジェイ・ウェスト演ずるリーという男。この映画はリーで持っていたと言えましょう。リーはキャラクターとしてものすごく魅力的で、映画史に残ると言っても過言ではありません。ジェイ・ウェストがはまり役です。彼はどうやらつい最近、大麻密輸で捕まったそうですが、あの危ない感じ、ただいちびっているだけでない感じは観ていてとても楽しい。最近観た映画の中でダントツで魅力的なキャラクターでした。ちなみに、オダギリジョーは園監督の『夢の中へ』にも出演しているのですが、その映画の電車のシーンの彼はおそらく、このジェイ・ウェストの演技にインスパイアされていたんじゃないでしょうか。

彼と出会ったシンイチは、日本人のタケダとも仲良くなり、この三人の青春劇がメインとなります。リーのいつでもハイテンションのノリに、シンイチはついていけずに気後れしている。ここもよかったですねえ。ああ、外国のノリやあ、という、コミュニケーションが難しい感じ。願わくばリーとタケダが何故あのシンイチを受け入れたのか、友達と見込んだのかが知りたいところです。このシンイチはノリもよくなくてあまり面白い人間とも思えませんからね。

 相手のノリに十分対応できないというシンイチを主軸に配したことで、何をするかわからないリーを配したことで、ひとつの物語的な仕掛けが炸裂しますね。これはネタバレしたくないところです。あれには単純にだまされた。あのだましでもう一段階ぐっと引き込まれます。舞台挨拶時の監督発言によれば、本物の中国マフィアを使っていたそうです。本物の中国マフィアって……。一体どう接触したのでしょうか。

 リーのノリは物語の先を予測させますね。どう考えてもこの楽しい日々が続くわけがないな、というのはわかります。後々きっと何か起こるな、というのはもうかなり早い段階で予想がつくのですが、それでも突然の出来事には驚かされた。あの辺の突然さというのは、園子温の幅の広さを感じさせます。現代邦画で名のある監督と言えば、たとえばいわゆる作家的な監督でいうと黒沢清、青山真治、あるいは北野武。エンタメ的な映画をつくる人なら三池崇史などがいるわけですが、彼らの持っていない素質をこの園子温はやはり持っているのだな、と作劇、演出の点で強く思うのであります。

 ただ、今回の映画で言うと、ちょっと黒沢清、青山真治っぽいテイストもありました。オダギリジョーが「むかつくやつがいたら撃て」と言われるのは(舞台挨拶の映像でも言っていましたが)、彼が主演した黒沢清『アカルイミライ』(2003)で同じ構図があります。映像的には他の園作品とは異質な、ひどく穏やかなカットがあったりして、この辺は青山真治を連想しました。この作品は近年の園作品においてはちょっと違う色合いですね。何も起こらないような青春的な場面なんかもあって、リーの激しさと対比されたりもするのですが、ちょっと間延びする印象もありました。もうちょっとつめれば散漫さが消えるのに、というところがあったりするし、あのコインのくだりなんて、まったく園監督らしくない。あのコインのくだりはちょっと寒いです。この監督らしからぬ、あるいは最近の駄目な邦画みたいな、決して必要度が高いとも思えぬわりにくさいくだりでした。

 ラスト近くの場面には大きな疑問があります。あれは一体どうしたことか、というのがあります。映画冒頭、子供のナレーション(舌足らずな子供のナレーションはこの映画においてきわめて愉快なアクセントになっていました。ただ、内容的鋭さには乏しかった点、他の園作品と比較して残念なところです)で、「1991年9月」と明言されるのですが、日本に帰ってきたシンイチが歩く渋谷には2005年のイベントを告知している掲示物があり、ぼくが大学生の頃に実際に観た渋谷の光景そのままで、これはまったく訳がわからない。1991年、というナレーションの意味は何なのか。社交性の高いジェイ・ウェストが携帯電話を使っていない点を考えても2005年の話ではないはずなのですが、そうなると整合性がとれません。また、あの不良たちが絡んでくる理由が何もわからない。あれは不良たちを挑発するとかいう描写を入れない理由がわからない。普通に考えたら絶対に入れます。入れない理由がない。でも、まったく入れていないんです。この辺の目論見は何なのでしょうか。大変疑問であります。絡まれてからのくだりはとてもいいので、変な引っかかりは欲しくなかったなあと思います。それと、ラストはあの子供で終わるより、オダギリジョーで終わったほうがいいんじゃないでしょうか。園監督の演出にはいつも何も言いたいことがないのですが、今回はそうした点が引っかかった。

 映画全体の空気感はいいです。日本人監督が撮るアメリカ、という感じで、アメリカ映画では見えないアメリカの風景がありました。退屈な大学生活の部分も、郊外の大学キャンパスの風合いはいい。ああ、ここでの大学生活に退屈さ感じたら、きっついことになるだろうなあ、というような風景なんです。彼女の描写が薄いのもいいです。可愛くない、というか、ほとんどまともに映っていません。このシンイチはどうも、女性にあまり興味がないみたいです。この辺りの描写はぼくに心地いい。ニューヨークで再会した女の子に、最初は愛想よくするけれども結局それ以上距離を詰めようとしない感じ。あの辺、「おまえは俺か!」と言いたくなりました。あれ、大学の頃のぼくにそっくりです、本当に。

この映画を観て何らかの影響を受ける若者はきっといると思いますよ。もしあなたが、大学を退屈に思う大学生ならぜひ観てほしい。感想を聞かせてほしいと思いますね。「大学生に薦める映画」として、ひとまずこれからぼくは、これを薦めることにしたいと思います。ああ、でも、新入生にはまったく薦めません。大学二、三年生に薦めます。
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by karasmoker | 2009-04-07 02:53 | 邦画 | Trackback | Comments(0)
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