『食人族』 ルッジェロ・デオダード 1981

趣味の悪さ、露悪趣味が吉と出ている映画です。
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原題『Cannibal Holocaust』
前回『かもめ食堂』を取り上げて次にこんなのを持ってくるなんて、一体どういう映画の見方してるんだ、と半ば訳がわからなくなっている男、ぼくです。近所のビデオ屋が旧作100円レンタルデーだと知り、GWにはぼくみたいな野郎は特別何の予定もないため、手当たり次第に借りてきたわけです。うーん、GWだからどこかに出かけよう的な予定もないし、それ以前にそうした欲望もないのです。映画が沢山観られることが嬉しいです。ああ、寂しい男さ。でもその寂しさの中にいれば、寂しくはないのさ。人が孤独を感じるのは、どこよりも人混みの中なのさ。

 GWに『食人族』を観るなんてもう救いようがないんじゃないかと思われそうですが、めげずに更新するのです。コメントがないのは別にいいのです。ここに書くのは自分の映画体験をより強固なものにするための手続きなのです。さて、『食人族』ですが、これは大変見応えのある映画でございました。イタリア人というのは趣味が悪いですねえ、パゾリーニとかヤコペッティとか、なんだか趣味の悪い人がいっぱいいるみたいです。

『ブレアウィッチ・プロジェクト』(1999)が踏襲した疑似ドキュメンタリー的手法で、設定も「潜入したカメラクルーが死に、彼らのフィルムが発見された」という形をとっています。とはいえ全編がドキュメンタリーなのではなく、そのフィルムを発見するまでのくだりなどは劇映画的に撮られているし、フィルムを試写するくだりも劇映画です。その描写ぶりに監督は法廷出廷を命じられ、フィクションの証明をせねばならなかったそうですが、なるほどインパクトのある映像が多かったです。今でこそネットがあるし、史上のあれこれを踏まえていますからフィクションだと割り切れますけれど、三十年前ともなれば信じてしまう人が出てきてもおかしくないです。日本でも昔、熱心にドラマを観た視聴者が、悪役を演じた俳優をそのまま悪人だと思ってしまうなんて話もあったようで、まあ困った話ではあるんですけれど、そういう時代にはちょっとした羨ましさも感じますね。

 イタリア人は趣味が悪い、と書きましたが、この辺のイタリア映画は何をしてくるかわからない怖さがあります。この映画でも、動物をばんばん殺しているんです。死体を嫌というほど見せつけますし、とても露悪的です。映画で動物を殺すのは個人的に倫理的に、アウトです。でも、ぼくみたいなのが言っても説得力に欠けるんですよね。たとえばテレビで今、動物を殺す描写がちょっとでもあれば、大問題に発展するでしょう。でも、そのクレームの電話をかける人の食卓には屠殺された家畜の肉がある。食べる分には構わないのだ、と言ってもヴェジタリアン的にはアウトでしょうし、今この瞬間も、食べられることもないまま破棄される動物の破片が山のように排出されている。「野蛮人はどっちだ?」と映画の最後に語られますが、ぼくたち現代人が胸を張って「俺たちじゃない」とは言えないんです。だからこそ映画で動物を殺す描写にも、実際真っ向からは反発できないというか、する資格がない。

 なかなか映画の中身に踏み込めずにいますね。この映画の場合、描写がえげつないので、かなり魅せます。安っぽさみたいなのは感じられなくて、ファックシーンなんかも「この映画、大丈夫か」と思わされるくらい迫力があります。結構やばい映画です、可愛いお子様にはくれぐれも見せてはいけません。陰部もモザイク処理をかけてはいますが、そのモザイクを通して明らかにものの形状がわかるので、逆に目立ってやらしい感じがします。この映画の場合、「隠さずに自然のままに撮る」とかいうのとは違って、明らかにわざと見えるようにしていますね。露悪ぶりが炸裂しています。「別にそこはパンツ履いててもええやん」というところまで脱いでいますから、あほですね。でも、そうやって露悪的にやる分、描写にもすごみが出ています。人間の内臓をぐちゃぐちゃ出す場面も、つくりものとはわかっていても見応えのあるグロさで、これは映画的に勝ちです。つくりものとわかっていながらどこまですごみを演出できるか、というスプラッター描写の戦いに、この映画は勝利していると思います。劇映画的な鮮明な映像の部分でもそうだし、疑似ドキュメンタリーで画質を落としている部分は余計にいい。画質を落とす、というのはスプラッター描写において重要なところです。今は映像が綺麗になっている分、精巧につくる戦いをしなくてはならなくなっていますが、この時代の映画で、それも画質を落とし気味でつくられたものには、現代では再現できないような味わいが宿ります。

この映画のうまいのは、最初の劇映画っぽいところと後半のドキュメンタリーっぽいところを対比している点です。『ブレアウィッチ』なんかは全編ドキュメンタリー的にしており、あれはあれで味わいがありますが、この映画のようにすると、一度目線を下げさせるんですね。「これは劇映画ですよ」という感じを観客に与えたあとで、ドキュメンタリーのほうに連れて行くから、その落差が生まれる。また後半、フィルムを試写する場面があるのですが、そこではフィルムを観る人々のショットをドキュメンタリー的映像の合間に差し挟みます。この演出はいいと思う。あれをしないと観客の多くが映像のインパクト、緊張感にやられてしまうでしょう。入れない手もあるはずなんですが、この監督はあえて良心的な振る舞いを見せ、その虚構性を露わにする。この辺の手さばきが好ましいです。入れないで後半を全編ドキュメンタリーにするとそこが前半と対比されすぎてしまうし、これ見よがし感がいかにも強くなる。この監督はその点をわかっているのでしょう。一歩引いているのが頭いいなあと思いますね。監督自身が映画に対してちゃんと距離を置けている。まあ、それでも距離が置けない観客が沢山出てしまったようですが。監督としては作品世界に没入した人が多く出て嬉しい反面、「だからさあ、虚構性をちゃんと打ち出してるじゃん!」と思ったことでしょう。

 音楽のかけ方もいいです。残酷な場面で優しい曲を、というのは広く使われる手法で、ぼくはこの手法が基本的に好きです。これまで観てきた映画で印象深いのは『バトル・ロワイヤル』の「G線上のアリア」ですね。柴咲コウが撃たれまくる場面です。『エヴァンゲリオン』の劇場版でも、カタストロフ的シーンに「甘き死よ来たれ」を流しており、あれもよかった。園子温などもよくやる手です。一方、動物を殺すシーンではいかにも残虐な音楽を流したりするんですが、これはこれであり。最後のクライマックスではその両方を立て続けに流したりして、ああ、観客を狂わせようとしているなあという感じが好ましい。

『食人族』というタイトルはなんかもっさい感じがしますねえ。いかにもB級スプラッターのにおいがしてしまいますが、もっと見応えのある映画です。「食人」が大きな役割を果たしているというわけでもないし、この映画の要点はもっと他にあります。人によってはタイトルとパッケージで毛嫌いしてしまうでしょうが、まあ騙されたと思って、観てみるとよいでしょう。
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by karasmoker | 2009-04-29 09:55 | 洋画 | Comments(0)
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