『CUBE』 ヴィンチェンゾ・ナタリ 1997

『SAW』に超えられてしまった作品。だから今ひとつ褒めにくい。
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 立方体の部屋に閉じ込められた人々が脱出を計るシチュエーション・スリラーです。ぼくの場合、この手のものはどうしても(後年につくられたものですが)『SAW』が基準になります。あの奇異な設定と比べてもこちらはより突飛さが大きいですね。いくつもの立方体の部屋が小さな扉で区切られていて、ある部屋には即死トラップがあり、正しい選択をしながら先へ進んでいくという、『SAW』よりもゲーム的な要素が強い作品です。

 最初のほうである人物が死ぬんですが、このときの描写が結構グロテスクで、そっち方面で行くのかな、と思いきや案外そのあとは落ち着いた物語運びでした。この映画の潔いのは、他の部分を一切出さないということです。人物の回想シーンも入れないし、どこか別の舞台を描くこともしない。百パーセントこの立方体の中でつくろうとしています(外に出るところも、外の光景は一切わからなくしてあります)。この意気は買いたいところです。この立方体セットだけで全てやろうという姿勢は拘りを感じて嬉しいです。

 ただ、途中退屈になる場面もないではない。登場人物が苛立って、互いを罵り合ったりするのは、正直「どうでもええがな」と思ってしまう。さらっとやる分にはいいんですが、結構そのくだりに時間を割いていました。映画的にあまりできることがないから、物語的な面白みをつくろうとするとどうしてもああなってしまうんでしょう。あの対立は話の結末にも関わってくるところではありますし、あの人物がああやって感情的になるのもわかるんですが、この映画のガジェットを活かす意味ではあまりそこを押しても仕方がない気がする。これなら二班に分けるという手を使ってもよさそうですけどね。二班に分けて交互にカットバックしていけばより濃度が高まるし、その分の仕掛けなんかもできそうなんですけれど、この映画は一班で押すほうを選択した。そのために、時間的には90分と短いものがちょっと間延びしていました。

 うん、二班でやるとこの映画が持つ問題は解決できると思うんです。この映画のトラップをやっぱり観客はもっと観たいんじゃないでしょうか、少なくともぼくはそうでした。プロローグ的なところで一人がグロテスクな死に様を遂げ、本編の序盤でも一人がトラップにやられます。あれと同じようなものがあと二つ、三つあってほしいのが率直なところで、結局この映画のトラップって実はあの序盤の場面でしか活きてこない。開始早々でかましたくせに、結局後半で登場人物が死ぬときも別にあのトラップは活きないんです。『SAW』シリーズのようにテンポがあるわけでもなく、時間経過を表現するために実に平凡な方法をとるし、もっとあれこれやれるのになあ、と思うところも多いです。

あとはちょっと重箱の隅になります。この映画では解決の鍵として数字が出てくるのですが、この辺はもうちょっと詰めてほしいというのもありました。映画で難しい話をする時っていうのは、いかに観客を煙に巻けるかが勝負です。専門的に正しいかどうかはどうでもよくて、要は説得力さえあればいい。デカルト座標なんてのはいい例なんです。ぼくはデカルト座標なんて知りませんので、なんか難しいことをやっているのだな、とわからせてくれればそれで満足です。ただ、この映画では素人のぼくでもわかるような簡単な設定ミスがあるんです。それまで難しいことを散々できていた一人が、三桁の数字を見て、因数がいくつあるか数えるなんてできないわ!と言い出すんです。三桁の数字の因数の数なんて、別にそんな難しくもないでしょう。デカルト座標なんてものまで知っているインテリの女の子が、因数の数を知るには計算機が必要! なんて言うんです。三桁の数の因数なんて、たかが知れてるよ! 今まで難しい暗算もすぐにできていたのになんでいきなりそうなるんだよ! というのはありました。その辺の詰めをしっかりしてもらいたいです。

あの建物の仕組みがどうなっているかはどうでもいいのです。どういう目的でつくられたのだ、という疑問は当然湧くわけですが、この映画の場合その謎解きに比重が置かれないので、これでいいのです。たとえば今のシャマランが下手なのは、オチや謎の解明に観客の興味を仕向けてしまうところなんですが、この監督の作り方なら、別に謎の解明はどうでもいい。変に説明すれば蛇足になるだけですから、ああいう終わり方はいいと思いますね。そこは救いでした。でもまあ、『SAW』ができた今となっては、この映画のシチュエーション・スリラー的面白みは弱いと言わざるを得ません。
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by karasmoker | 2009-05-01 05:21 | 洋画 | Comments(0)
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