『パルプ・フィクション』 クエンティン・タランティーノ 1994

あれ? こんなに繋がりのない作品だっけ? と、思った。
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前に観たのが大学一年の頃だったのですが、あの頃とは見方も感じ方も違うだろうと思い、ツタヤディスカス。カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞し、一躍タランティーノを有名監督にした本作。このときの審査委員長はちなみにクリント・イーストウッドです。

 あらためて観てみると、「あれ? こんなだったかなあ」という感じが強いです。もっといいイメージがあったんですが、『レザボア・ドッグス』のほうがいいです。タランティーノで一番好きなのは『レザボア・ドッグス』と申し上げましょう。ダントツ、と言ってもいいくらいです。

 ジョン・トラボルタ、ブルース・ウィリス、ユマ・サーマン、サミュエル・L・ジャクソン、ティム・ロスなどの一流俳優陣を配していて、個々の場面はいいんです。オムニバス的になっているんですが、その中の繋がりがこんなにない作品だったかしら。時間をばらしてはいるけれど、ばらしたからこその面白みってそこまでないんです。トラボルタの最期とレストランのくだりくらいのもので、個々のエピソードの有機的繋がりはそれほどありません。

 冒頭の掴みはいいですね。ティム・ロスとアマンダ・プラマーがだらだら喋っているかと思いきや、いきなりその場で強盗を始めるのは掴みとしていい。その後、車の中のトラボルタたちに繋がるのですが、この導入とシーン展開は『レザボア・ドッグス』にも似ていて期待させます。タランティーノ演出の面白さはあの意味のなさそうなだらだらした喋りですが、これはこれでフリとしていいと思います。トラボルタとジャクソンが建物に入り、ドアの前に立って、入るかと思いきやその場を離れてまた意味のないような喋りをするんです。普通ならそのまま入るのに、何の意味もないような離れ方をする。余計な映画的言い訳をせず、堂々と無駄なほうに走るような、こういう方法は好きです。

 個々のエピソード自体は役者もいいし話も面白いし、いいんです。ユマ・サーマンのオーバードーズのくだりなんかも、えらいことになるぞ、とハラハラします。ユマ・サーマンはボスの女で、トラボルタが彼女とデートするのですが、家で彼女はコカインのオーバードーズを起こしてしまうんです。彼女に何かあったら一大事だ、とハラハラするわけです。それなのに、結局注射を打ったら元気になって、ああ、ひやひやしたよ、どうなることかと思ったよみたいになって、後々何も活きてこない。全体として何の意味もないんです。ただあのどたばたをやりたかっただけ、オーバードーズの無様な姿を見せたかっただけみたいに思えてしまうんです。

 ウィリスのくだりでも、ホモファッカーの登場に何の伏線もないし、変なマスクを被せられた人間も思わせぶりなだけですし、ボクサーの八百長の件も「助けてくれたからチャラにしてやる」で終わりだし、話がぜんぜん繋がっていかないんです。せいぜいトラボルタがウィリスの家にいた驚きくらいのもので、なんかものすごく手前の、単にびっくりさせるだけの時系列ばらしにしか思えない。

『レザボア・ドッグス』は時系列をばらばらにしているのが活きていたんですよ。最初にティム・ロスが怪我しているところから始まって、誰かが警察の犬だ! っていうくだりでもティム・ロスを疑わせないようにして、でも後でそれがわかる。これなら個々のエピソードにばらす意味もあるし、ティム・ロスが撃たれたのは実は警察にじゃなくてハイジャックしようとした車の女にだったのかみたいなのも面白いし、ハーヴェイ・カイテルとの結末もものすごく熱かった。

 この『パルプ・フィクション』。途中の事故と死体処理のくだりとか、完全にどうでもいいようなシークエンスになっているんです。二時間半がこの映画に必要かなあという気がどうしてもしてしまう。『レザボア』はまとまっている分、映画としての切れ味がすごかったのに、この作品にはどうも切れ味がないんです。最後のレストランのくだりは面白いですよ。大好きというわけではないですが、ティム・ロスは結構好きです。『レザボア』にも出ているし、前にも書きましたが、ビル・デューク監督『やつらに深き眠りを』という映画では『スカーフェイス』のアル・パチーノみたいな格好よさがありました。彼とジャクソン(後のタランティーノ作品『ジャッキー・ブラウン』でも好演)のぶつかりの場面はいいです。どこか間抜けなんですよね。緊迫したすごく濃度のあるシーン、というわけではなく、なんだか馬鹿っぽい。アマンダ・プラマーの腰抜けた感じが場の空気をうまく馬鹿っぽくしていて、あの規模の緊迫劇としては正しい空気感だと思います。

 個々のエピソードの連なりとしては見せるんですが、途中でだれてしまうのは結局、「あれ? 繋げる気ねえな」と気づいてしまうからです。あの車を洗うくだりなんてもう本当にどうでもいいシークエンスです。堂々と無駄な方向に走るのは好き、と書きました。どうでもいい会話とか、どうでもいいシーンは好きなのです。今のって必要? というおかしみが生まれます。でも、どうでもいいシークエンス(つまりはシーンの連続によるひとつの「くだり」)となると、ぼくには耐えられない。今のって必要? 丸ごと切れ! と思ってしまいます。

 まああのくだりでも面白いのはあるんです。タランティーノが出てくるんですが、彼の台詞ですごく面白いのがある。ジョークっぽいんですが、字幕でも十分おかしみが伝わる台詞です。あの台詞を言う間が巧みです。一回相手に返答を求めるから面白いんです。まあ、その台詞を書かないとなんのこっちゃになりますが、気になる人は観てみましょう。

 全体として残念です。もうちょっと繋げてくれよ、と思います。それで言うと最近に観た『明日、君がいない』なんて、ああ、うまく繋げるなあと思う。別に難しいことは言いません。びっくりさせるためだけの繋がりでも、うまく繋がっていればぼくは満足できるんです。それが今回は非常に乏しかった。この後の『ジャッキー・ブラウン』もぼくは駄目だったし、『キル・ビル』は馬鹿一本道を進んでいるのはいいですが馬鹿すぎるだけになっている気もするし、『デス・プルーフ』はタランティーノで二番目に好きですが、『レザボア』の頃にあった構成の妙は何もなくなっている。いや、どれも悪くはないんです。やっぱり世界に名だたるシネフィル監督だけあって、映画的な面白さを追求しているのはすごく好きなんです。だけどその分、『レザボア』があまりにいいのもあって、どうしても期待値があがってしまうんですね。

 最近は好き放題にやる、フェティッシュに爆進するばかりのタランティーノですが、もう一度あの頃のような、うまくやってやるぞ、というのも観たいものです。
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by karasmoker | 2009-05-09 02:20 | 洋画 | Comments(3)
Commented by at 2011-11-14 01:52 x
おまえには人並み程度の感受性すらない。
映画の批評に向いてないぞ。
Commented by karasmoker at 2011-11-14 02:20
見知らぬ人に対してタメ口で「おまえ」呼ばわりできる人が人並み程度かそれ以上の感受性をお持ちだとするならば、そういう言葉遣いが人を不快にさせるとわからない人に高い感受性があるのなら、なるほどぼくにはそんなものはありません。
Commented by 666 at 2015-04-29 09:41 x
めちゃくちゃ同意です。
昨日見たばっかりなのですが単調過ぎて…
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