『ダークナイト』 クリストファー・ノーラン 2008

もったいない!
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 前回『グラン・トリノ』がもうひとつ響かなかったという話をしましたが、それでもあの後、イーストウッドのしかめ面に対する印象が変わったり、あの映画のテーマ曲をyoutubeでリピートしたり、あの映画について考えてみたりなどして、どうも余韻に浸ってしまう部分があります。何事かではあるんだなあ、とは思います。あの映画のいわんとしていることというか、やっていることはいいなあと率直に思うんです。ただ、描き方の部分だけですね、喰い足りなさを感じたのは。でもあれはあれでいいのかもな、とも思うし、どうも揺れているところではあります。

 さて、今回の『ダークナイト』。『グラン・トリノ』同様、相当評判のいい作品であります。そして、あの作品と似たような感想を抱きました。作風自体はもちろん違うのですが、要するに「キャラクターはすごくいい」のに、「描き方が足りない」ということです。

 バットマンシリーズはティム・バートンの1作目しか観ていません。アメコミものというのも、せいぜいスパイダーマンくらいで、それもあれに関しては3を観たけど1と2は観ていないのです。こっち方面への造詣はきわめて浅いのであります。

 1989年の『バットマン』ではジャック・ニコルソンが演じた悪役・ジョーカーですが、今回はこの映画が遺作となった若手俳優ヒース・レジャーが演じています。この映画が褒められるのはもっぱらこのキャラクターのためのようです。バットマンがいいと言ってこの映画を褒める声は見聞きしません。ジョーカーは確かに面白いです。ぼくはこういう存在が好きなんだなあと思わされます。ぼくは生粋のあまのじゃくを自負しておるのですが、何か相通ずるものを感じるのであり、それはつまりぼくの悪魔的なものへの愛着なのです。町山智浩はこの映画とジョン・ミルトンの『失楽園』を関連づけていますが、『失楽園』のサタンも格好いいし、『ファウスト』のメフィーストフェレスも好きです。どうしてかこういう悪魔的なものに惹かれます。『ウルトラセブン』が名作なのは、やはりかの作品に登場した敵がほとんど異星人だったからであります。『ウルトラマン』と『セブン』の大きな違いはそこで、ウルトラマンの敵の多くが怪獣だったのに対し、セブンでは異星人が敵なのです。単に暴れ回るだけでなく、知的な方法で正義に立ち向かうその攻防に、ドラマがあったわけです。ウルトラマンにおいても、やはりメフィラス星人は印象的な敵です。ああいう存在は悪魔的な要素が強くあり、よいなあと思うのです。

 バットマンの話からウルトラマンの話になってしまいました。
『ダークナイト』のジョーカーですが、ジャック・ニコルソンのそれに比べるとコミカルさは減じています。というか、映画自体がティム・バートン版に比べて現実的な舞台設定になっており、演出もそれに合わせたものになっているようです。ただ、キャラクターそれ自体としてはジャック・ニコルソンのほうに惹かれます。奇態、狂態なキュートさ、というのが好きなんです。ジャック・ニコルソンのジョーカーは本当にキュートだったし、それはティム・バートン的世界ととてもよくマッチしていた。今回出演しているゲイリー・オールドマンがかつて演じた、『レオン』における悪役もめちゃ格好よくて、なおかつキュートでもあった。この映画の場合、ジョーカーにそのキュートさはないんです。他の部分がすべてリアルっぽく、あるいはSFっぽく、アクション映画っぽくなっているため、ジョーカーの表情がいかにもメイクって感じになっています。留置所に捕まったときも、ふざけてメイクをしている人みたいに見えます。ジャック・ニコルソンのジョーカーだと、白い顔がもともとになっていて、その上に化粧をして肌色になるんですが、今回のジョーカーはどうも白い部分がもともとの肌ではなく、劇中の彼がわざわざメイクで塗ってそうしている感じになっています。留置所では肌色が出ていたし。あれはどういうことなんでしょうか。こうなるとちょっと矮小化されて見えます。ニコルソンにはそうは感じなかったんですが、今回の場合、「このメイクが無くて普通の顔だったら大した敵に見えそうにないな」と思わされる。まさに、キャラクターはいいのに描き方が……というやつです。

 はっきりいって、この映画はこのジョーカーに頑張ってもらわないとどうしようもないのです。違う言い方をすると、ジョーカーが出ていないところはどうでもいいのです。最初のほうの、なんか香港の社長とぐだぐだやる辺りとか、何にもないです。バットマンが活躍してもあまり面白くないのです。悪魔好きのぼくはジョーカーが暴れまくるところにこそ快楽を覚えるので特に、バットマンとあの友人の絡みの部分もなんかどうでもいい。もっと切れ味のある作品になると思うんです。二時間半も必要ない。二時間くらいで、ジョーカーとの争いに特化してやればもっとキレがよくなるのに、もったいないです。

 ジョーカーは「純粋悪」として描かれるわけですが、それならそれで、もっと智略をめぐらせてほしいなあとも思うんです。イヴを誘惑するとき、サタンは蛇に化け、力ではなく語りで誘ったんです。ウルトラマンのたとえで言えば、ジョーカーは怪獣じゃなく、怪人、異星人としてあるほうが魅力が引き立つと思うんです。だから最後のフェリーのくだりみたいなのをもっと入れてほしいんです。その点、悪役好きのぼく『SAW』シリーズのジグソウ、トビン・ベルに惹かれます。『SAW2』において彼は座っているだけで、『SAW3』においては寝ているだけで十分な存在感を発揮したのであり、人々はただ彼らの掌の上で転がされていた。今回のジョーカーは暴れこそすれ、どうも頭が良さそうじゃなくて、正義や人々の倫理・道徳とぶつかり合うところまで行っていないように思う。そうなると、悪魔性がどうも弱い気がしてならないです。計画が嫌いなんだ、がおーとなるわけですが、それならいっそのこともっと暴れ倒して欲しい。怪獣にも異星人にもなりきれていないんです。

 描き方は結構首をひねる部分が多いです。たとえばあのバットマンの友人の検事です。後半ひどい目にあって、外見が変わってしまいます。あれはつまり、善と悪に揺れ動く、善と悪の両方を象徴したようなメイクアップなのでしょうが、ああいうのは必要なんでしょうか。あれだとジョーカーの存在感が弱まってしまうというか、一番変で不気味で怖いのはジョーカーでいいはずなのに、変にインパクトをつけたがったな、と思わされる。いや、というか、監督自身もジョーカーの描き方がいまいち弱いぞとわかっていて、あえてあの検事をあんな姿にすることにしたんでしょうか。しかも、ラストのほうの持って行き方が強引なんです。ゲイリー・オールドマンを追い詰めるところとか、なんで? と思う。無理矢理悪の部分を引き出そうとして、結局説得力がない話になっています。

 フェリーのところもなあ、描き方が変なんです。あれは変です。あのシーンの変さはかなり深刻です。だからね、最初のほうの香港社長のところとか、金に絡んだ云々のところとか、どうでもいいんだからもっと短くするか、いっそのことなくていいんです。それよりあのフェリーの内部の話をもっと密度あげて描いて、人々の混乱ぶりを描くなり何なりすればいいのに、乗客たちはただの風景になっているから何も緊迫感がない。荒くれの囚人が暴れ出すとか、無辜なる一般市民がえげつないほど差別的な言葉を吐くとかすればいいのに、そういうのもない。この映画は単にジョーカーに暴れさせるばかりで、「ジョーカー対人間」を描くならもうあそこしかないんだから、もっとあの場面に力を注げばいいじゃないですか。全体的にすっごいばらばらなんです。一貫しているものがないんです。

 バットマンも描こう、ジョーカーも描こう、ついでにその友人も描こう、というだけで大変なのに、どうでもいいくだりをいれたりするから、結局ジョーカーが物足りないんです。いっそのことジョーカーの映画でいいんです。バットマンが添え物になっていていいんです。普通ヒーローものは正義の側を沢山描いて、敵は相対峙するところを中心に描くものですが、そのやり方でいいと思うんです。つまり、今回はジョーカーを主役とわりきって、バットマンは「お約束通り出てくる正義のヒーロー」という役回りでいい。ジョーカー目線にしてもいいし、そうでなくてもバットマンは脇役でいいはずです。バットマン側のうだうだした話は要らない。そうするとこの作品の切れ味は絶対もっとよくなったはずなんです。いや、わかりますよ、ビジネス的にそうすべきではなくて、結局バットマンを重く描かないと駄目で、あまり悪魔を中心に据えるのはいかがなものか的な事情があるのはわかりますよ。でも、だったらこの映画、何をしたいの? ということなんです。ハリウッドはせっかく一昨年、『ミスト』でそれまでの常識を破ったじゃないですか。だからこの映画も破って欲しいと期待しますよ。そうすればアメリカン・ニューシネマ的な哀しい輝きが、このジョーカーにも宿ったんです。

 ぼくはジョーカー的なものが好きなので、つい熱く語ってしまいました。だからこの映画、一言で言うとしたら、「もったいない!」ということです。
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by karasmoker | 2009-06-01 23:29 | 洋画 | Comments(0)
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