『グレムリン2 新・種・誕・生』 ジョー・ダンテ 1990

まじめにふざけるまじめさ
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原題『GREMLINS2 THE NEW BATCH』
映画でも何でもそうだと思いますが、狙いに行く作品と暴れまくる作品があります。細かい設計を施し、丁寧に構築する作品は狙いに行く作品です。かたや、やりたい放題好き勝手にやるんだ! という作り手の暴れっぷりが楽しい作品もあって、最近のタランティーノなどはこっちばかりですね。ぼくは暴れ放題の作品が好きです。もうめちゃくちゃでいいから、とにかくエネルギーを出してくれればそれでよいのです。今回の『グレムリン2』はそうした作品であり、なかなか頭空っぽで楽しめるよい映画でした。

 ティム・バートンの『マーズ・アタック!』は今日付のウィキによりますれば、「アメリカでは不評でC級映画以下と酷評された。単体で観るとあまりにもお粗末ではある」と書かれているのですが、ぼくは大好きです。どこまでもふざけてくれていいのです。変にええかっこしようとせずに、辻褄なんざ糞くらえのノリで、跳んだり跳ねたりしてもらってよいのです。

『グレムリン2』はやりたい放題です。前作同様に、可愛らしい穏当な愛玩動物ギズモから亜種が分裂、その亜種が大暴れして大混乱を巻き起こす話で、簡単に言って怪物が暴れ回るだけの話と言ってもよいです。ですが、1のヒットを受けて金もかけられるようになったおかげで、それに加え特殊撮影の技術も発展したおかげで、前作よりも暴れ方に拍車がかかっており、見応えがありました。しかもこの映画、その点の暴れ方だけでなく、映画自体も暴れているんです。

 特筆すべきは、途中のメタ的な試みです。普通に映画を観ていると、いきなり画が歪み出すんです。それで映画がいきなり消えて、何事かと思うとグレムリンのシルエットが映り、ぜんぜん別の映画が始まったりします。要は、映画を上映しているその試写室にグレムリンが! やつらが映画自体をぐちゃぐちゃんしているんだ! という遊びで、劇場に来た観客をびっくりさせるような演出なんですが、こういう遊び方をグレムリンという存在に託してやってのけるのはいいですねえ。作り手の自己顕示的なトリッキープレイだったら鼻につくんですが、ここをグレムリンの仕業としているため、愉快さがまします。しかもその後、何の脈絡もなくハルク・ホーガンが出てきたりして、こういうおかずはとてもおいしい。今の日本映画にあるカメオ出演とは違いますね。ちゃんとふざけきっている、ああ、まじめにふざけているな、というのがわかってよいのです。1作目の『グレムリン』を酷評するくだりもいい。また、ヒロインの女の子が語るリンカーンのくだりも、1作目を見ていると意味がわかるし、それが映画の内容と実に何の関係もないという点で面白い。
 
やっぱりまじめにふざけている人というのは好きです。前回語ったジョーカーも、まじめにふざけているやつだから格好いいんです。前回語り落としたのでここで述べますが、ジョーカーの格好良さってたとえば、あのバットポッドとの対峙シーンにあるんです。向こうからバットマンの乗ったバットポッド(バイク)が猛スピードで走ってくる。そのときジョーカーは正面に立って啖呵を切り、「バットマン! 俺を轢いてみろ!」と叫ぶのです。彼は命がけでふざけているんです。だから、ちょっとスタイリッシュに、観客に媚び、こういうのって面白くない? 面白くなくなくない? みたいなノリでやっているやつはもう本当に腹が立つ。モテてろ馬鹿! と言いたくなる(誰に怒っているのだ)。

『サボテン・ブラザーズ』だったり『マーズ・アタック』だったり今回の『グレムリン2』だったり、どう考えてもアホ丸出しの作品っていうのは大好きです。やっぱり、「モテたい臭」がゼロのところに好感が持てます。とかく、世の人間は「モテたい臭」「愛でて臭」を出します。男の場合は「モテたい臭」を分泌し、女の場合はこれ「愛でて臭」を出します。ぼくは鼻がひん曲がっているため、そういうものに忌避感を抱きます(「おねだり!!マスカット」が素晴らしいのは、「愛でて臭」を出しているあたしたち、というところに自覚的だからです)。そういうにおいがまったくしない表現というのは、信頼できる。ジョー・ダンテは『グレムリン』以上のヒット作に恵まれていないようですが、モテそうにない作品をもっと観てみたい限りであります。
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by karasmoker | 2009-06-03 21:52 | 洋画 | Comments(0)
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