『闇の子供たち』 阪本順治 2008

描写に乏しく、ほのめかすくせに雰囲気がなく、全体的に軽い。本当にこのテーマで撮りたかったのか?
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 たまたま原作を読んだので観てみたいと思っていました。原作はショッキングな内容でした。リーダブルである半面、文章的な面白みには欠けるものの、モチーフのインパクトが大きいので興味が持続します。この内容を映像化するにはいろいろな意味で障壁があると思ったので、なおのこと観てみたくなり、鑑賞。

 以前にも述べたことですが、映画と原作を比較してもあまり意味がありません。土台表現方法が異なる以上、あるいは長さの制約がある以上、原作を忠実に映像化することは不可能ですから、ぜんぜん違っていてもいいのです。大事なのは、その原作が持っている核の部分を変えないこと、その原作が表そうとしていることを曲げないことだけです。

 ゆえに、原作を横において一本の映画としてどうなのか、を考えねばなりません。
 内容は一言で言うに、タイにおける児童売春、臓器売買を描き、それに巻き込まれている子供、その実態を暴き救い出そうとする人々のお話です。

 撮影に当たってはやはり色々と問題もあったようです。ひとつには子供が売春させられる、というか、強制的に犯される場面をどう描くかです。撮影に臨む子供のケアや映画としての描写についてどうするかは大変ナイーブなところです。結局この映画が選んだのは、「ほのめかす」やり方でした。ファックシーンを描いたとしても子供の表情をアップにするなどして直接的に全貌は見せず短くまとめ、その前後の場面を描くことで何が起こるか、起こったのかを描くという方法でした。モチーフである以上、ここは非常に重要な場面になるわけですが、あの方法に留めるのは致し方ないのかもしれません。直接的に描きすぎると、問題が多いわけです。一番安易に、衝撃的に描くなら、もろにファックシーンを撮ればよい。この監督はその点きちがいではない様子で、良心的に収めています。ただ、良心的に収めてそれでいいのかという問題もあります。こうした場面には陰惨さが必要です。子供が本当に可哀想だ、観ていられない、というのを観客に伝えなければ、この映画がモチーフとしている問題がきちんと描かれない。それは何も直接的に描かなくてもいい。映画が放つ雰囲気、つまりは演出によって可能なところであるはずです。そういう演出に作為性を滲ませたくないなら、逆に正面から撮るべき。
 
 要はこういうことです。妙な演出を施さずにありのままに撮りたいなら、いろんなタブーを打ち破る覚悟で真っ向から撮る。それができないなら、演出によってその出来事の周縁を濃厚に描く。どちらかの方法を撮るべきだと思いました。にもかかわらずこの監督は、出来事の周辺をありのままに描くばかり。いや、ありのままならありのままできちんとするべきなのに、日本人のくだりなどはなんとも気の抜けた場面だし、他にも原作を読んだ人間じゃないと補完できない場面が数多くある。ほのめかすならもっとちゃんとほのめかしてくれよ、と思います。たとえば園子温の『奇妙なサーカス』。あれは近親相姦が出てくる話ですが、子供の恐怖と父親の不気味さが本当によく表現され、きちんとほのめかされている。この『闇の子供たち』だと、いろいろなことに配慮するあまり、結局一番何も描けない、というか、悪いけれど誰だって描けるくらいの描写でしかなくなっています。

 ここに濃度を持たないと、他の場面がゆるゆるになる。正直、つまんねえ映画だなと思って観ていました。宮崎あおいのくだりなんかも、妙に軽いんです。途中、佐藤浩市が出てくるなど役者だけは妙に豪華なのですが、このシーンのぺらさはもっとなんとかならなかったのか。腕のある役者が五人もいるあの家のシーンの駄目さはひどい。テレビドラマならあれでいいけど、この重いテーマを扱う映画であの程度では絶対駄目です。園子温からぜひ密室芸を学んでいただきたい。というか、この映画、本当は園子温に撮ってほしかったですね。

 映画全体がどうも軽いというか、タイの風景も面白くないんです。異国感がなくて、だから日本のシーンとの対比も活きない。それにくわえどうもこの監督は象徴的にというか、何かほのめかすようなことばっかりやって結局中心を描いていないし、中心を想像させるほどの周縁も描けていない。ゴミ袋に捨てられて、もといた村に戻る少女が出てきますが、あのシーンも緩い。結局撮れなかったんだな、という印象ばかりが強くなります。それならいっそのこと、『闇の子供たち』ってタイトルにしなけりゃよかったのにね。あの作品からインスパイアされた別の話として組み立てればよかったのにね。どうもこの監督の耐性は弱いような気がしてなりません。子供が牢獄で虐待されるシーンで、監督は自分で撮りながらもショックのあまり一時的に失語症になったそうです。観てからそれを知ったのですが、いやいや、それほどのシーンじゃないよ。それほどすごくないのに、自分はすごいものを撮ったと思って満足してしまう人なのかもしれません。

 悪者に脅されながらも懸命に実態を暴こうとする、という流れも結局何も逼迫感がない。仲間の一人が殺されるのですが、どうして殺されなくちゃ行けなかったのかよくわからない。触れてはいけないものに触れたからだ、というのでしょうが、だからその場面がねえんだよ! 触れてはいけないものに触れてるなって場面がないの! だからあの児童売春撲滅の集会もだらだらしてるの。銃撃戦になっても混乱が描き切れていないの。宮崎あおいに危機感がないの。テーマに比して軽いんですよ、全体が。

 しかも最後の場面。あれは原作と改変したところなんですが、ちょっとこの監督、映画をよくわかってないのかな、と思わされます。ここからはネタバレになりますので、まあ観てから読んでもらいましょう。はい、ぼくは注意しました。




 あのね、江口洋介がセンターの前で号泣するシーンがあるじゃないですか。なぜ号泣したのかと言えば、自分の過去が一気に思い出されたから、ということですよね。あの描き方もどうなんだと思うわけですが、問題なのはあれを思い出すきっかけです。宮崎あおいが子供の手を繋いで行く後ろ姿を見て、江口は過去を思い出します。これね、これで思い出すってことはね、「過去にそれと同じような構図を後ろから見ている」ってことなんです。「ああ、どこかでこの構図を見たことがある」と思って、人は過去を思い出すんです。だからね、江口洋介が子供と手を繋いで歩いていた自分の過去を思い出すのはね、どう考えても変なの。ぼく、あのラストに至るまで、あの暗闇の後ろ姿が江口洋介なのかどうなのかよくわかんなかったんですよ正直。だって、あんな思い出し方変だもん。江口洋介の目線じゃないんだもん。映画としておかしいですよ、あれ。

 それで最後に死ぬんでしょ、自分も幼児性愛者だったみたいな話でしょ。それで過去を悔いて自殺? えーっ、何それぇ? 切れ味悪いわあ。なんであの記憶が、彼の自害を促すほどに強烈に迫ってきたのか、ぜんぜん描かれてないもん。ぜんぜん衝撃のラストになってないもん。どうもうっすいんです。メンバーの一人が裏切った辺りも、あいつがメンバーだった印象がすっごいうすいんですよ。これはうっすい映画です。モチーフのすごさだけがこの映画の全て。描き方がもうゆるゆる。本当にこのテーマで撮りたかったんですかね。
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by karasmoker | 2009-06-10 00:06 | 邦画 | Comments(0)
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