『狼たちの午後』 シドニー・ルメット 1975

原題の意味は『暑い日の午後』。そう思って観たほうが、この映画の味わいが深まる。
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原題『Dog Day Afternoon』。
原題の『Dog Day』とは、猛暑の日、または停滞期を示す言葉だそうです。邦題の狼というのは勝手につけたものみたいですね。シドニー・ルメットはぜんぜん観ていませんでしたが、もっといろいろ観てみたいと思いました。よかったです。最近はもうひとつ褒めきれない映画に数多く出会っているため、いいのに出会うとやはり嬉しいです。

 銀行強盗の話ですが、最近作でもルメットは銀行強盗を扱っていたようです。アメリカ映画では結構よく出てくる事件じゃないでしょうか。アメリカン・ニューシネマでも『俺たちに明日はない』や『ゲッタウェイ』があるし、最近の『ダークナイト』でも銀行が襲われていました。日本の強盗ものといえばこれは『ルパン三世』をおいて他にありますまい。『陽気なギャングが地球を回す』なんて日本映画がありましたが、あれは面白くなかったです。

 アル・パチーノが主役です。やっぱりぼくは彼が好きです。以前、70年代から80年代の日本映画にはすごくいい俳優が沢山いたと書きましたが、アメリカ映画で言うとぼくは今のところ、アル・パチーノが一番好きですね。どこか危うい男を演じさせるとこの人はすごくいいです。『スカーフェイス』は言うまでもなく、『カリートの道』なんかでもすごく色気があったし、『ゴッドファーザー3』の老成ぶりもたまらない。『ゴッドファーザー』でいえば、3の老いたアル・パチーノが一番好き。決して強い感じじゃないんです。たとえばクリント・イーストウッドは昔から一貫して強そうじゃないですか。そのほかアクション映画系のマッチョなスターもわんさか出ていますし、イケメンスターも次々出てきますが、アル・パチーノの、一見弱そうだけど爆発すると頼もしい、何をしでかすかわからない感じというのは、かなり希有だと思います。

 今回のものもそうですが、アメリカン・ニューシネマ的敗北の香りはやはりぼくの好物です。おしなべて好きです。嫌いなのはマイク・ニコルズ監督の『卒業』(1967)くらいですね。名作とされる『卒業』ですが、あれはぼくには駄目でした。あの映画はどうしてあんなに褒められるのでしょうか。サイモン&ガーファンクルの楽曲はいいのですが、話の本筋がよくわからない。ダスティン・ホフマンがキャサリン・ロスに惚れていく過程がどう考えても弱く、逆もしかりです。おかんと寝ていたホフマンを、なぜキャサリン・ロスが許したのか、まるでわからない。有名なクライマックスも意外と盛り上がりませんでしたし、訳もわからず花嫁を持って行かれた男が可哀想です。

 なかなか映画の話に入れません。前置きが長すぎます。
さて、『狼たちの午後』ですが、銀行強盗をしたアル・パチーノと相棒ジョン・カザール(ゴッドファーザーではアル・パチーノの兄貴でした。この映画の公開3年後に42歳で亡くなったそうです)が、延々立てこもり続ける話です。予備知識がなかったので、ずっと銀行内で進めていく設定には驚きました。アル・パチーノが結構いいやつで、人質の事情をあれこれと対処しているうちに警察に囲まれ、出て行けなくなってしまうのです。途中、説得に来る警察官やなんやかやを交えながら、話は進んでいきます。

 ひとつ、これまさにアメリカン・ニューシネマなりと思ったのは、なんといってもあの「アッティカ! アッティカ!」のくだりですね。アル・パチーノが銀行の外に出て、警察を挑発するようにそう叫ぶのです。アッティカ刑務所という場所で、囚人の扱いがひどくて暴動が起きた実際の事件があったらしいのですが、これは官憲の横暴として当時話題になったらしく、野次馬たちはアル・パチーノの叫びに呼応して盛り上がります。ボニーアンドクライドも、言ってみればただの犯罪者なのに、人々の人気を呼んで映画化されるほどになった。これは社会の複雑さというか、いい子ちゃんでおられぬ感じが吹き出したようで、なんだかわかるんです。

 犯罪はないほうがいいに決まっている。ただ、『マイノリティ・リポート』のごとく、犯罪を事前に察知して逮捕するような社会なら、それはユートピアでなくディストピアに思える。やっぱり人というのは、どこかで対岸の火事を望んでいる生き物なんだと思います。これは悲惨な事件が起きたときのマスコミを見れば一目瞭然で、どこかそういう暗い願望はある。この『狼たちの午後』の頃、アメリカン・ニューシネマの時代は、その残酷さが息づいていたのだなあと思って、どこか憧れる。今の映画では邦洋問わず、つくるのが無理でしょう。ボニーアンドクライドが今いたら、それこそ本当にただの犯罪者として扱われるだけでしょう。いや、彼らはただの犯罪者なのだから、その捉え方は実は一番正しく、かつ理性的ではある。

 でも、どこか寂しさもある。アメリカン・ニューシネマが持つ今日的意義を最も明確に映し出すのは『イージー・ライダー』であり、『カッコーの巣の上で』であるでしょう。前者は荒野広がるアメリカ大陸をハーレーで放浪、後者は閉じられた精神病院での小さな反抗、その外形自体は大きく異なるものの、自由奔放なる姿とその悲劇的末路という構造は非常によく似ている。自由であることをよきことと言う、しかし、その自由が自分たちの規範を逸れるのであれば、たとえ当人たち(あるいはジャック・ニコルソンに魅せられたそのフォロワーたち)が幸せであろうとも、体制や社会は容赦なくたたきつぶす。では自由とは何か。その問いの前に立ち、進みあぐねたとき、ぼくたちはジョーカーに魅せられる。ボニーアンドクライドが当時の人々にウケたのは、たとえ悪人であろうと、彼らのうちに自由を見いだしたからだと思います。自由とはひとえに、神の庇護からさえも離れること。それは時として神との対峙という形をもとるのであり、社会に生きるほかない人々はその対峙した姿に憧れを抱くわけです。ああ、すいません。話がまとまらないまま勢いで書いてしまった。どうせ書くならもっとちゃんとまとめてから書け、意味がわからない。ええ、その通りでやんす。格好つけた物言いをして悦に入るな、不快だ。ええ、おっさるとーりでらんす。

 いい加減映画の話をしな過ぎです。これではいけません。
 あの「アッティカ!」シーンにおけるアル・パチーノはロックスターそのものですね。銃声がなることもほとんどない、はりつめた空気の中でこそ、あのシーンは光ります。映画を観て行くにつれ、何の話なのかよくわからなくなりそうにもなる。銀行強盗でたてこもっているはずなのに、どうもそういう感じがしなくなってきます。いや、これはこれでよいのです。銀行強盗は話の中心ですが、この監督は別に銀行強盗を描こうとしていない。実際の事件に基づいているそうですが、ならばなおのことでしょう。銀行強盗の話なんていくらも創作しようがあるはずなのに、実際の事件に基づいたということは、銀行強盗が主題ではなく、その事件が「単なる銀行強盗ではない何か」であり得たからでしょう。劇中のアル・パチーノの振る舞いや、家族、恋人との会話などを見ていっても、銀行強盗云々などどうでもよくなってくる。

あっ、そろそろ眠くなってきました。まあゲイの恋人が出てくる話とかもしたいのですが、ここまで読んでいる暇な人もいないだろうので、この辺でそろそろ終わりに向かいます。最後のシーンは今までのトーンで保った分、「あっ」という衝撃に持って行かれます。その後ににじみ出てくる、なんとも言われない虚しさ。何やってたんだろうな、という、『ファーゴ』的虚無感。ああ、これぞアメリカン・ニューシネマの醍醐味。タイトルは『狼たちの午後』などと、ちょっと格好つけた感じですが、これはもう、まんま直訳して、『暑い日の午後』みたいな、虚脱したタイトルがよかったように思います。体感時間自体は結構長いんですが、その長さが決して悪くない。激動の一日って感じがあって、その後の虚無感が効いて、『暑い日の午後』だったな、という寂しい鑑賞後感が生まれる。

 なんだか中身があるような無いような記事になりました。無駄に長いですね。あらためねばなりません。
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by karasmoker | 2009-06-17 23:57 | 洋画 | Comments(0)
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