『しびれくらげ』 増村保造 1970

渥美マリで保っている作品ですが、増村保造の変さが出ていて、個人的に好きです。
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 日本の映画監督、でぼくが一番惹かれるのは繰り返し述べていることからわかるように園子温ですが、既に逝去した監督で言うと今のところ、増村保造です。黒沢、小津といったビッグネームには遠く知名度は及ばないし、大きな賞を受賞しているわけでもないのですが、この人の映画が持つ特殊さには強く惹かれるのであります。

 一言で言うと、物語運びや演出は「テレビ的」であり、構図的風合いは「西洋映画的」なのであります。この人の映画の登場人物はとにかくよく喋る。映画的演出としてはむしろ不可とされかねません。たとえば誰もいない状況でも、登場人物が独り言で内心を独白したり、状況を説明したりします。また、進みのテンポもやたら速い。だから今回の『しびれくらげ』の前に撮られた『でんきくらげ』などはともすれば昨今のケータイ小説的な事件のオンパレードにも似ています。反面、イタリア留学でヴィスコンティらに師事したというだけあって、映画の風合いがどこかヨーロッパ的。それは今回の『しびれくらげ』を観るとよくわかります。

大映倒産まで一貫して大映で撮り続けた増村ですが、この作品はその最後期のものに当たります。『でんきくらげ』『しびれくらげ』をぼくは明確に「ジャケ借り」しました。画像添付は面倒くさいのでしませんが、ぜひ検索してジャケットを観てほしいものです。あからさまにピンク映画っぽく蠱惑的で、なおかつ古さを感じさせない(いや感じたとしてもそれは「レトロ・エロティック」として好意的に受け止められる)ジャケットです。一方タイトルはあからさまに気が抜けており、これをジャケ借りしない手はありません。

 この二つは「軟体動物シリーズ」として位置づけられるようで、他の監督が撮ったもので「いそぎんちゃく」などがあります。といっても本当にそれが出てくるわけではなく、では何が「でんきくらげ」であり「しびれくらげ」なのかといえばひとえに、あの渥美マリの魔性の魅力なのであります。

 渥美マリ、という人は1968年に映画デビューし、1973年に引退(18歳から23歳の間に主に活動)。実質活動は5年と女優としては非常に短いのですが、この映画を観るにつけ、いやはやすごい魅力でございますなと感嘆します。『でんきくらげ』のキャスト紹介によれば、当時の「No.1オナペット女優」だったそうです(DVDのキャスト紹介としてそれでいいのか)。顔の下半分が鈴木紗理奈に似ていますが、存在感はもちろん鈴木紗理奈の比ではありません。『しびれくらげ』における渥美マリはわかりやすく「日本人離れ」しています。メイクの感じもあって、ヨーロッパ映画に出ていても何の違和感もありません。また、この人のメイクや髪型には古さがないのです。今でも十分に通用する。いや、今でも「いわゆるいい女」の模範になりそうな、香り立つ美人ぶりです。もうぼくはこの渥美マリを観られただけで、この映画はこれでいいです。というか実際、渥美マリがいるから映画が持っています。

 ストーリーは別に紹介しようとも思いません。物語は特別に優れたものとも思われません。まあ要は『でんき』『しびれ』両方とも、「男に依存して生きながらも、男の小ずるさ、小ささに辟易した女が、一人孤独にももたくましく生きていく」ような話です。相手役は川津祐介ですが、この人は見た目めちゃ男らしいです。もう、「どう考えても仕事ができる社会人」です。この川津祐介が仕事場にいたら、もう間違いなく頼りにされるのであって、女子社員のハートがちゅくちゅくしちゃうことでしょう。絶倫タイプなので、その点でもOL、BGは揺さぶられ、引き続きキューティーハニー風にいえば(何のため)「私のあそこがじゅくじゅくしちゃうの」ってなもんでしょう(尾籠)。でも最終的にはこの川津祐介の弱さやずるさを見限り、渥美マリが強く生きていくってな筋立てです。

 渥美マリはこの頃20かもしくは19ですが、幼稚さは欠片もなく、大人の女性の魅力ぷんぷんです。芝居自体は変と言えば変です。いや、あるいは増村演出のせいでしょうか。すべての台詞が「押し」なんです。台詞の調子が強いんです。連想するのは栗山千明ですね。栗山千明がすごむとすごくいいのですが、あの調子が全編にわたっています。でもこれはこれでよいのです。この映画は渥美マリの存在感が勝負ですから、彼女が変にリアルな芝居などする必要はなく、ひとつの偶像として存在してくれるのがよいのです。

 というか、まあこの映画に限らず増村の映画はそうで、先に「テレビ的」と書きましたが、一方で「演劇的」でもあるのです。狭い空間におけるやりとりは演劇のそれです。沈黙による間とかそんなものはないのです。人物ははっきりと自分の言いたいことを言い、それで悶着を起こしますが、この濃度がいいのです。前回の『痴人の愛』は、テーマがテーマだけに、狂気にまで持っていく必要がこれあり、濃度的には物足りなかったわけですが、このサイズの作品であれば、濃度的には満足です。ああ、ひとつの物語がここにあるな、と思われ、映画的快楽があると言えましょう。

 映画自体は特別お薦めはしません。話自体は事件が詰め込まれていて退屈しませんが、かといって取り立ててすごいわけではありませんし、大映が映画会社として立ちゆかなくなった頃のものですし、良くも悪くもテレビドラマ的です。ただ、この渥美マリという女優を観るだけでも価値がありましょう。他の監督作における彼女を観ていないので何とも言えませんが、増村演出と彼女の存在が非常によくマッチしており、その点だけは個人的評価が揺るがぬところです。また、構図、画づくり自体も増村の特殊さが出ている作品ではないでしょうか。汚いアパートのシーンなんかでも、昭和の汚いアパートという感じではなく、欧米的なきらびやかさがあるのです。ごみできらめいている感じ、かといってけばけばしくない、モダンな感じがあります。ことほどさように増村保造は変です。種々の雑多な要素が混在しながらも、ひとつの統一的な映画世界を築いており、それがまさに他ならぬ増村保造映画たり得ている。この類例まれなる映画作家が、ぼくはやはり好きであります。
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by karasmoker | 2009-06-24 08:32 | 邦画 | Comments(0)
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