『ビデオドローム』 デヴィッド・クローネンバーグ 1982

これはともすれば我々の戯画。
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 町山智浩が「80年代で最も難解な映画」と呼んでいるのですが、ぼくはこういう難解系映画というのは、基本的には好きではないんですね。難解系とは要するに、①話の内容がよくわからない、もしくは、②話はわかるけれどそれが何を意味するのかよくわからないというものです。話、物語、筋書きというのはその映画を理解するうえで大切なものですが、これがさっぱりわからないときつい。鈴木清順の『ツィゴイネルワイゼン』とかデヴィット・リンチの『インランド・エンパイア』とかはぼくにとって①で、これはもうはっきり言っちゃえば、「ノリ」の問題に尽きると思いますね。訳わかんない、だったら大事なのは乗れるか乗れないか、もう本当にそれだけ。だから①みたいなタイプって、ある意味語る気力が持てないわけです。あれこれ理屈をこねて遊ぶことはできましょうが、場合によってはリンチの『インランド』みたいに、「自分でもよくわからない」などと言われてしまう。作り手にわからないものがわかるわけありません。それはつまり作り手の、「物語とかどうでもいいんだよ。乗れるかどうかがすべてなんだよ」という言明でしょう。

さて、問題は②です。今回の『ビデオドローム』は、まあぼくが眠かったのが大きいですが、①と②の境界線上にあるというのが個人的な受け止め方です。②の映画はぼくの場合、評論家の解説を必要とするものが多いです。町山智浩はポッドキャストなどでも、いろいろと教えてくれます。最近の宮崎駿はこの②のタイプをよくつくりますね。『千と千尋』なんて、一度観ただけでは普通、何の映画なのかよくわかりません。アニメ興収が歴代一位の映画ですが、あれを観た人の中で、あれがどういう話で、どういう意味を持っているのかきちんと解説できる人は、1%にも満たないのではないでしょうか。だからあれですね、今、難解な映画で客を寄せようと思ったら、実写では駄目なんです。アニメこそそれができる場所ですね。『ポニョ』だってそうです。意味なんかわかんなくても、あの一世を風靡したテーマ曲があればそれでよい、というわけです。

『ビデオドローム』は、ある拷問ビデオを観た主人公が、幻覚に取り憑かれていってしまう話です。クローネンバーグはまだこれを含め三作程度しか観ていませんが、グロテスク表現という点では、映画界で独自のものを生み出している人なんですね。きっと「グローネンバーグ」なんて呼ばれたりしたのでしょう。話のテーマとしては結構現代性を持っているというか、メディアの世界に取り憑かれている人、という暗喩があるようで、この主人公なども簡単な見方をすれば、テレビの世界(今ならネットの世界)に入り込んでしまって抜け出せなくなっている人、というように捉えることもできそうです。実際この主人公がテレビに(テレビから張り出した唇に)顔をうずめるシーンがあります。実際の現実よりメディアを通したものに感応する、ということでいうと、ぼくなどもそれに近いものがあるわけで、たとえば映画を見続ける時間、ぼくは現実を離れているのですし、こうしてパソコンのディスプレイに向かってキーボードを叩くのもそうですし、これを読んでいるあなたとて、「ぼくが書いている」ことをまあ信じているのでしょうけど、それとてもしかすると現実の出来事じゃないかも知れないよ! あなたが頭の中で生み出した妄言を画面に投影しているだけかもよ! ということです。

 この映画を完全に読解するのは難しいですが、メディアにまつわるエトセトラをテーマとしているのは間違いないでしょう。実際、性的、暴力的表現が社会に与える影響、について論じられていたりします。でも、この映画の作り方だとなんか、人によっては、「ほらね、やっぱり暴力的メディアは人を暴力的にするんじゃん!」と読解してしまいそうです。主人公は拷問ビデオを観て、その後人殺しに手を染めてしまうので、そんな風に受け取られかねないと思うんですが、それは監督の意図するところでしょうか。「つくっている間、よくわからなかった」と監督は言ったそうです。しかし、「でも今観るとよくわかる」そうです。つくっているときよくわかっていなかった、というのがここでは大事で、だとするとクローネンバーグはやはり無意識的に、暴力メディアの現実への影響という論調を肯定してしまっていたんでしょうかね。

 しかし評論などを読むと、クローネンバーグという人は一筋縄ではいかないらしく、ちょっと頭がおかしい、いや結構頭がおかしい人のようですね。いわゆる普通の捉え方とは違うというか、たとえば『ザ・フライ』なんかでも、あれをハッピーエンドだと言っているそうで、そう言われてしまうとまともに考える気が失せます。いや、悪い意味ではなくて、「ああ、いわゆる道徳的な基準で捉えちゃ駄目なのね」と思わされるということです。今回の映画も最後は主人公が自殺しますが、あれもハッピーエンドなんでしょう。いや、それ自体は間違っていないというか、狂人にとってのハッピーエンドとしてはわかります。ただ、周りにいた人々は冗談じゃないという話ですけどね。

 映画自体はちょっと眠くなってしまったんですが、それでもこのクローネンバーグという監督には興味があります。今後も観ていきたいと思います。

メディアの悪影響って言いますけど、「悪影響」の定義を一度しっかり決めたほうがいいんじゃないでしょうか。
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by karasmoker | 2009-06-27 11:11 | 洋画 | Comments(0)
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