『レスラー』 ダーレン・アロノフスキー 2008

プロレスのすごさってものが、初めてわかった気がします。
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 町山智浩のホームページにでかでかとジャケットが張られており、大絶賛の様子で、どうも気になる作品ではあったので観てみました池袋シネリーブル。

 予告のミッキー・ロークの佇まい、顔立ちにまずもって惹かれました。ぼくは大体、「哀しい男の話」が大好物でありまして、予想に反せず実に哀しい男の話でありました。

 とはいえ、この映画が持つ情報に惹かれたわけではありません。ダーレン・アロノフスキー監督の作品は『パイ』(1998)くらいしか観たことがなく、ほとんど内容も覚えておらず、ミッキー・ロークという俳優をまともに意識したこともない。そのうえ何よりぼくはプロレスなるものに何の興味もないのでありまして、この映画、文字情報だけで見知っていたらまったくシカトしていたに違いないのです。町山推薦ってこともさりながら、大きいのはあの予告、そして主題歌の魅力で、これまさに映画の放つ香気というわけでしょう。そしてミッキー・ローク、あるいはプロレスのどちらかにでも興味がある人ならば、これは観ておいて損はないはずでしょう。どちらにも何の予備知識も愛着もないのにぼくでも、うるりと来たのですから。

 ミッキー・ローク扮するは80年代に大人気だったプロレスラー、ランディ・ロビンソン、通称ラムは20年を経た今すっかり落ち目となっており、一人で暮らすアパートの家賃すら滞る状態。興業だけではやっていけず、スーパーで仕事をしており、それも賃金が十分でないものだから「もっとシフトを入れたい」と店長に談判する現状。

 と最初の設定はざっくりそんなところですが、このプロレスのシーンが非常に迫力がありました。プロレスに興味がないものだから、プロレスの映画も観た覚えが全然無いぼくであり、あまり比較のしようがないのですが、この映画におけるプロレスの肉体表現、重みの表現は文句なしでした。やっぱりこれは映画ならではのところで、リング上で肉薄して撮っているからこその迫力なんですね。プロレス中継なんかだと、どうしてもリングの外から撮ることになるんですが、それとはまったく違う重々しさがありました。

 正直な話、ぼくがこれまでプロレスをどうしても受け入れられなかったのは、やっぱりガチンコじゃない部分ってのが大きいわけです。ガチンコの格闘技のほうがおもろいやい、とこれまた凡庸な印象を抱いていたのです。ところがこの映画はそういうぼくの偏見というかなんというかあれを、覆してくれるものでありました。この映画のつくりが最初から巧みなのは、打ち合わせ風景をじっくりと描いているところです。リング上で生まれるドラマ、みたいな演出にすることなく、端から「プロレスってのは筋書きがあるんだよ」というのを堂々と示しているところ。これは好感度が高いです。言うまでもなく歴史上、現実世界で名勝負とされているものは数あるわけでして、いまさら劇映画でそれの真似事をしたってどうしようもない。それをしっかりわかっている監督は、プロレスの舞台裏をまざまざと見せることで、現実におけるプロレスの魅力とは違う場所で勝負し、なおかつぼくのようにプロレスを毛嫌いする人間までをも早々と取り込んでしまうのです。逆にプロレスファンがどう感じるかも知りたいですね、言わない約束の部分を全面に出していますから。

 そしてそのうえで、あのとても迫力のある試合のシーンを映す。「打ち合わせ通りの出来事であっても、すごいと言わざるを得ない」という展開を生み出す。試合展開自体はガチンコじゃなくても、このぶつかり合いの衝撃は紛れもなく本物だと感じさせる。巨漢レスラーが叩き付けられる場面を至近距離で撮影しており、生々しさが沸き立ちます。日本ではプロレス人気が落ち込んでいると言われて久しいですが、中継時の撮影法次第では違うファンを取り込めるんじゃないか、なんてことを考えました。

 この映画は序盤とラスト以外はほとんどプロレスの場面は出てきません。ミッキー・ロークが戦うのは序盤と最後だけです。その意味では、プロレスシーン全面展開の映画ではまったくない。しかしこの映画は間違いなくレスラーの映画だ、と思わせるだけの濃度があの試合シーンにはこめられています。巧みな点は他にもあって、まずは最初の試合の場面ですが、これはねえ、映画というものへの観客の期待をうまく利用しているんです。

 映画というのは、「思わぬアクシデント」という展開が演出としてよく用いられます。うまく行くだろうと思っていたものが思わぬことから事件に繋がり…というのはもうそれ自体が当たり前なくらい、よく使われる物語展開です。そして観客は心のどこかで、その可能性を常に予期しているし、期待してもいる。だからこそ、あの打ち合わせ通りのプロレスシーンも、肉弾的魅力以上の濃度があるんです。単に肉体的な見世物なら実際のプロレスでも可能。これはその点に加え、映画という表現が伝統的に利用してきた物語的特性を予感させることにより、実際に映っているもの以上の緊迫感を観客にもたらすのです。
 
まとめるとこういうことです。打ち合わせシーンを沢山映す。これによって、すべては筋書き通りと思わせる。そのうえで、それでも驚嘆せざるを得ないプロレス場面を映し、肉体的表現のすごさを味わわせる。一方で、打ち合わせシーンを観た観客は心のどこかでハプニングを期待しており、否応なく場面に引き込まれる。この作り方は実に巧みです。

 この監督はそうした構造を全てわかったうえでやっているようです。それがわかるのは二番目の試合シーン。あれは最初から試合後の様子、すべてうまく行った様子を映しています。一回目とは違う見せ方で、今度は先ほどよりも過激な試合展開を見せ、観客に試合自体のインパクトを上塗りして植え付ける。こうした一連の構成が、この映画をひとつの「プロレス映画」として見事に成り立たせているのです。

 物語を全部説明するとまたべらぼうに長くなるので省きますし、あまり説明しすぎてもあれですからしませんけれども、要はミッキー・ローク扮するランディは既に全盛期をとうに過ぎたレスラーで、彼の哀しい生活、生き様が物語の中心となります。レスラー仲間はいるにせよ、精神的によすがになる人は少なく、マリサ・トメイ扮するストリッパーとの交流が描かれます。男の肉体表現がプロレスなら、女のそれはエロティックな舞踊。マリサ・トメイは40歳をとうに超えているのですが、その分なんとも哀しい熟女的な肉体の魅力があります。これはただの若い女では絶対に駄目なわけです。マリサ・トメイは、ぼくがよく使う表現ですが、「丁度いい」ところなんです。無邪気に肉体を誇るには年を食いすぎた、化粧っ気ばりばりの女。このミッキー・ロークの傍にいてやれるのはこういう女だよな、という人なんです。ただ、この女はこの女で苦労してきた感じが色濃くあって、だからこそミッキー・ロークとずるずるべったりには絶対にならない。この辺の加減は実にいいです。

 このタイプの映画の主人公、つまり哀しい男の話っていうのは、強い愛情なんてものを手に入れないほうがいいんです。そう簡単に愛なんて手に入らないよ、たやすく愛されるわけなんかないよ、というのが世の条理であって、その正直さが描かれている映画がぼくは好きです。哀しい男の大傑作『スカーフェイス』のアル・パチーノ演じたトニー・モンタナ、小説で言えば『告白』(町田康だよ、本屋大賞のほうじゃないよ、っていうかこっちに本屋大賞をやれ馬鹿)の城戸熊太郎。彼らもまた救われるほどの愛なんてものにはたどり着けない。ここに関する話をするとやたら長くなるのでやめますが、やっぱり哀しい男の話は、他者との強い実りがないほうが引き立つんです。
 と、ここまで書いて、違うな、と思ったので追記。彼は実は強い愛は手に入れているんですね。それが何かは言いませんが、だからこそラストのああいう展開があった。マリサ・トメイは命に関わる試合を引き留めようとして、舞台袖まで彼に会いに行く。しかし、彼は最終的にリングに出て行き、客に向かって言うわけです。
「俺にやめろと言えるのは…」
 彼はその愛がゆえに、命を賭けるほかなかったのです。これをミッキー・ロークという人が演ずるのは、これはこれで大変味のある場面です。


 ランディは娘がいますが、彼女には嫌われてしまっています。この娘とのくだりには言いたいことがないでもありません。公開中につき詳しいネタバレは避けたいと思いますが、最終的にあの展開で持っていくより、もっと哀感のこもる方法はあった。あそこはちょっと雑な感じがしました。ランディは娘との関係をすごく戻したいと思っているんだよね、だったらさあ……と言いたくなるところなんです。ちょっと無理矢理にああいう風に持っていった気がしないでもない。

 途中はややだれたところがないでもありません。いや、わかるんです。結構ね、哀しい場面が続くんですよ。ものすごく哀しいというより、ああ、なんか、ああ、切ないわあ、というくらいの。ただそこの描き方はちょっと退屈さもあったかなあとは思います。ロケーション自体はすごく好きでした。北欧みたいな寂しさがあって、この映画の風合いに見合っていた。この中盤にもうひとつ何かあれば(今、その「何か」がぼくには具体的にイメージできないんですが)さらに好印象、文句なしの傑作と言えたかなあと思うんです。このランディは金がなくて、スーパーでバイトしているわけですが、あることがきっかけで、「もううんざりだ!」となります。うん、あのー、結構この辺の場面ってだらだらしているし、馬鹿げたやりとりもあるし、うんざりな感じはわかる。観客もうんざりしたくなるところがある。でも、「ああもう! うんざりなんだよマジで!」っていう描き方についてはねえ、これは好みの問題もあるかもしれないけれど、もう一押しできたのかなあとは感じるんですねえ。その意味ではやっぱり、あの娘とのくだりにはあと一工夫、とは思いました。

 最後は試合の場面ですが、あの終わり方はいいですね、あれが一番いいでしょう。
 長年のステロイドの副作用から心臓を病み、長くリングを離れていた彼が、命を賭してリングに出て行く。いや、「命を賭して」というのも違うのか。あのー、先月に三沢光晴というレスラーが死んで、その後「リングで死ねたら本望だ」と語っていたレスラーの多くがその発言を撤回したそうなんですが、このランディについてはもう、リングで死にたいと思っていたんでしょう。リング以外の死に場所が俺にあるっていうのか? ってことです。それはつまり、リング以外に生きていく場所が俺にあるのか? ってことでもあって、このランディの哀しさが活きてくるわけです。

 この映画がつくられる際、主演には長年人気のニコラス・ケイジを使うように言われていたそうですが、監督は是が非でもミッキー・ロークだと言い張り、予算を削られてでも押し通したそうです。ニコラス・ケイジではこの映画はできなかったでしょう。ミッキー・ロークの佇まいが最高で、これについちゃあ非の付け所がありません。あっぱれでございました。
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by karasmoker | 2009-07-08 07:31 | 洋画 | Comments(4)
Commented by 1 at 2013-06-07 23:59 x
はじめまして、最近こちらの存在を偶然知りまして、過去記事を貪り読ませて頂いています。大分昔の記事へのコメントで恐縮ですがよろしくお願いします。 映画レスラーについての貴殿の見解に、ほとんど共感しましたし言葉にされた事でより理解が深まりました、しかし小生にはどうしても最後の試合に違和感を感じてしまい、好きな映画と口に出来ない程度の引っかかりになっています。うまく伝わるか自信がありませんが、相手のレスラーとレフェリーのランディに対するいたわりが露骨過ぎる点が引っかかりの原因になっていて、鑑賞者である我々にランディの状況をわからせるには適度と思えますが、どう見ても会場の観客にもバレバレな程の立ち振る舞いで、だとするとランディの異常事態に気づいている筈のファン達のあの熱狂ぶりは応援とは言えず死ね死ねコールさえ聞こえてきそうです。だから小生にはランディは最後の最後で見せ物として逝ってしまったような哀しい違和感が残るのです。いかがでしょうか?
Commented by karasmoker at 2013-06-09 18:50
  コメントありがとうございます。
 本格的に紐解いていくと、いくぶん長くなります。
 1さんは「最後の最後で見せ物として逝ってしまったような哀しい違和感が残る」というのを、マイナスな捉え方をなさっているようです。しかしこの映画の場合、それこそが肝の一つです。
 奇しくも先頃、AKBの総選挙がありましたが、アイドルとファンの関係性それ自体を考えるうえで面白いものがあります。ファンは善意からアイドルを応援する。しかし、アイドルはその裏で精神的な重圧に潰されそうになる。期待に応えなきゃと感じて悲哀を背負う。そういうことが現実にもあります。
 さてぼくは今、善意から応援すると書きました。しかし本当にそれだけか。たとえば恋愛スキャンダルが起こるとバッシングが起きたりファン離れが起きたりする。おかしな話です。ファンがもし本当にアイドルの幸福を祈るなら、恋愛というアイドルの幸せを応援してあげればいいというのに、現実はそうはならない。
 だとすると、こういうことが言える。原理的に、ファンという存在はアイドルを殺すものたりうる。これはアイドルの本質の一つだと思います。
Commented by karasmoker at 2013-06-09 18:50

 そのうえで考えます。ランディはたとえそうであっても、最後までアイドルたり得ようとしたのです。なぜならそれが彼にとっての生そのものだったからです。ランディは劇中観客に、「俺に引退しろと言えるのは俺のファンだけだ」と言います。彼は覚悟した。自分は見せ物としての死を迎えるかもしれない。だがそれも本望だと。「哀しい違和感」というのは、この映画にあってしかるべきものなのです。「あえて痛い目を見る」ことが生業の、レスラーという存在の悲哀を、見事に描き出すものだと思います。
 クライマックスの演出面などについてもぼくなりの説明を加えることができますが、いかんせん長くなります。アイドルとファンの関係が持つ原理的な悲哀。そしてプロレスというものが本質的に抱えている「見せ物性」について、お考えになるのがよろしかろうと思います。
Commented by 1 at 2013-06-10 01:24 x
御返答有難うございます。その角度からは考えてもみませんでした。原理的にはハッとさせられましたが初見でそのように受け取れなかった小生の感覚にはマッチしなかったのか経験不足なのか。好きな映画なので5年後くらいしたらまた観てみます。
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